第56話 影に伸びる影(4)
「好奇心は猫をも殺すと、ジュシエル教の聖典にもあるのだがな」
薄暗い倉庫の中。縄を取り出し、捕らえたミリアムを柱に縛りつけたフサインは感情をぐっと噛み潰した声でそう言った。秘密を見られたからには命を奪って口を封じるしかない。例え昔の親友の忘れ形見の娘だろうと、容赦するわけには行かないことは彼にも分かっていた。
「ううっ……」
口に猿轡を噛まされ、柱に拘束されたミリアムは涙ぐみながら恐怖に震えている。フサインの隣には、彼の息子のナジュド・アル・ドサリが異国の商人から買い取った珍品の青龍刀を片手に提げて控えていた。
「ナジュドよ。そちが斬れ。無駄に苦しまず、一撃であの世へ逝けるようにな」
「承知しました。父上」
父に命じられたナジュドが、縛られて身動きできないミリアムに近づいて青龍刀を振り上げる。だが彼がミリアムの首を刎ねようとしたまさにその時、それを呼び止める声が倉庫内に響いた。
「待て!」
「むっ!? その声は……」
フサインにも、ミリアムにも聞き覚えのある低く鋭い声。暗がりの向こうからこちらへ歩いてきたのは、部下のマムルーク三人とメリッサを連れて倉庫に乗り込んできたラシードであった。
「あなたも堕ちたな。フサインさん。昔はこんなことをするような人じゃなかったはずだが」
失望と軽蔑、そして怒りを込めた声でラシードが言うと、彼の横に進み出たハミーダが普段の柔和さとは一変した厳しい態度で喝を入れるようにフサインに通告する。
「小麦商人アル・ドサリ一族。小麦を不正に買い占めて暴利を貪ろうと企て、私利私欲のために街に食糧不足を生じさせて民を困窮に追いやった罪で成敗するわ!」
「そしてミリアムちゃんの命を奪おうとした罪もね。許さないわよ!」
続けてメリッサもフサインを指差し、凛とした強い声を鋭く尖らせる。追い詰められたフサインはとうとう観念し、そして覚悟を決めた。こうなってしまったからには、どこまでも徹底的にやるしか道はないのだ。
「おのれ……かくなる上は是非もない。者ども出合え!」
フサインが大声で呼ばわると、彼が雇っていた十数人の用心棒たちが現れて居並び、一斉に剣を抜いた。いずれもエスティムの裏社会で恐れられている屈強で凶悪な殺し屋ばかりである。
「お前たちに容易く成敗されるような我らではないぞ。ここにいる我が息子ナジュドが異能に目覚めさえしなければ、こんな大それた企みなど怖くてできるものか」
「異能、だと……?」
「その通りだ。――変身!」
不意にそう言ったナジュドの体が光に包まれ、彼は毒々しい装甲に全身を覆われたムカデの魔人ケンティペダゼノクに変貌する。アル・ドサリ家が今回の陰謀を実行に踏み切った契機の一つは、憲兵やマムルークも寄せつけない超人的な力を持ったゼノクの覚醒者が一族の中に現れたことであった。
「なるほど。だが残念だったな。俺たちマムルークの側にもゼノクがいる可能性にまで考えが及んでいれば、やはりこんな暴挙はやめるべきだという判断ができたはずだが」
「何っ? まさかサウロ、お前も……」
「俺だけじゃないぜ。フサインさん。――変身!」
驚くフサインに見せつけるかのように、彼の眼前でラシードはレオゼノクに変身する。雄々しい獅子の鎧を纏ったレオゼノクが横へ振り向いて視線を送ると、隣に立っていたメリッサもうなずき、彼に続いて変身の呪文を唱えた。
「運がなかったわね。それとも神様が与えた天罰って奴かしら。――変身!」
豹の戦士レオパルドスゼノクに変身したメリッサが、レオゼノクと並んで鉤爪をかざし戦闘の構えを取る。
「ば……莫迦な。ゼノクが二人だと……?」
想定外の事態に焦ってうろたえるフサインだったが、ケンティペダゼノクはあくまで冷静に自信を見せて父に言った。
「案ずるには及びませぬ。父上。二匹ともこの俺が片づけてご覧に入れます」
「う、うむ。任せたぞナジュドよ。あの二人を血祭りに上げるのだ! お前たちもかかれ!」
フサインの下知で、アラジニア人の用心棒たちが一斉にカリームらに斬りかかる。ケンティペダゼノクもレオゼノクとレオパルドスゼノクを目掛けて突進し、こうして広い倉庫の中で戦闘が開始された。
「はぁっ!」
「つぁっ!」
「たぁっ!」
フサインが雇った用心棒たちは強者揃いだが、訓練を積んだ精鋭のマムルークからすれば恐れるほどの敵ではない。ハミーダ、カリーム、ダーリヤの三人は曲刀を振るい、襲いかかってくる大柄な男たちを磨き抜かれた刀術で次々と斬り捨てていった。
「例え二人がかりだろうと恐れるに足りずだ。行くぞ!」
ケンティペダゼノクは左右の脇の下に生えたムカデの脚のような無数の突起から光線を撃ち出し、レオゼノクとレオパルドスゼノクを射撃する。雨の如く大量に放たれた攻撃魔法の物量は、確かに一対二という数的不利を補って余りあるものであった。
「くっ……何て奴だ」
「負けないわよ! こんな外道の悪徳商人なんかに!」
レオパルドスゼノクが左手を突き出すと、拳を包んだ外骨格の装甲が赤く光って変形し、大きな剣の形となって伸び出す。薄暗い倉庫の中で眩しく発光するその突起の根元をもう片方の手で掴むと、レオパルドスゼノクは力強くそれをもぎ取って大上段に構えた。やがて輝きをやめて凝固したその長い棒状の光は、彼女の全身と同じ真紅の長剣となって物質化する。
「魔剣アウレリウス、行くわよ!」
アウレリウスという名のその剣に語りかけるようにそう言って猛然と駆け出したレオパルドスゼノクを、ケンティペダゼノクは再び何本もの副脚から一斉発射した光線で攻撃する。だがレオパルドスゼノクはアウレリウスを一振りして飛んで来た光線を薙ぎ払い、そのまま突撃してケンティペダゼノクの脇腹に斬りつけた。
「ぐぁっ……貴様!」
左の脇腹に生えていた脚を三本まとめて叩き折られ、怯んだケンティペダゼノクは後ずさる。勝ち誇るようにアウレリウスを構え直したレオパルドスゼノクの頭上を跳び越えて、今度はレオゼノクが魔力を帯びて金色に輝く右手の鉤爪を力強く振り下ろした。
「グォォッ!」
「勝負ありだな。覚悟はいいか」
用心棒たちを全て片づけたカリームら三人が、レオゼノクとレオパルドスゼノクの左右に並んで曲刀を向ける。さしものケンティペダゼノクも追い詰められたかに見えたその時、震える手で懐から短刀を取り出したフサインが大声で叫んだ。
「動くな! 動けばこの娘の命はないぞ!」
柱に縛りつけられているミリアムに短刀の先を向けながら、フサインは上擦った声でレオゼノクらを脅迫した。
「ちっ……ミリアムにまで自ら刃を向けるとは、とことん駄目な人に落ちぶれたな。フサインさん」
「何とでも申せ。サウロよ、大事な妹を失いたくなければ、大人しくわしの言う通りに――」
フサインが言いかけたその時、何者かの足音が倉庫の中に響くのが聞こえてきた。皆が気づいて一斉に振り返ると、入口の方から大きな二枚の翼を生やした竜人の影がゆっくりとこちらへ近づいてくるのが見える。
「我が右肩に傷を負わせた、憎きダーウードの末裔……レオニダスの仔らの中でも特に罪深き貴様を、許すわけには行かぬ」
熱い炎のような赤色の鱗に全身を覆われた竜人――天使アドラメレクは、燃えたぎる強い殺意をフサインに向けながらそう言って牙を剥いた。




