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第54話 影に伸びる影(2)

「今日は一人なのね。あのスザンナさんって人と一緒じゃないんだ」


 楽しげな声でからかうようにそう言いながら近づいてきたメリッサに、ラシードはにこりともせず真面目な顔で答えた。


「何か勘違いしてないか? 恋人同士でもないのに、毎日一緒にいたりはしないさ」


 スザンナとは恋仲などではないと本人の口からも改めて確認できたのを嬉しがるように、メリッサは満足そうな笑顔を見せる。


「そうでしょうね。この私と婚約してるのに、他の女に浮気なんてするほどレオ様はだらしない人じゃなかったもの」


「婚約!? お兄ちゃんとお姉さんが?」


 二人の横で話を聞いていたミリアムが、びっくりして声を上げる。ラシードは参った様子で頭を掻いた。


「記憶を失う前はお前とどんな関係だったのか、後でゆっくり聞かせてくれ。ただその前に、今は急ぎの用があるんだ」


 バジリスクゼノクとの戦いの後、自分の過去を知っているメリッサに話を聞きそびれたまま数日を過ごしてラシードとしても実は内心ずっと気が気でなかったところである。だがそんな私情は今はひとまず胸に押し込め、彼はあくまでマムルークの将軍としての職務を優先した。


「お兄ちゃんもフサインさんに会いに来たの?」


「ああ。ちょっとな。もしかして、ミリアムも仕入れか何かの相談か?」


 エスティム西地区・二十番街の外れにある大きな穀物倉庫の所有者は、小麦を製粉して市内の飲食店などに小麦粉を(おろ)しているフサイン・アル・ドサリという商人である。敬虔なジュシエル教徒のアラジニア人だが異教徒や異民族にも決して差別をしない寛大な男で、ヨナシュ人であるミリアムたちの亡父のトマスとも生前に商売上のやり取りを通じて親交があった。


「うん。フサインさんに頼めば、もう少し安く小麦粉を売ってもらえるかと思って来たんだけど……」


「済まんなミリアム。まず兄さんに先に話をさせてくれ。フサインさんの命にも関わる大事な要件があるんだ」


 やはり小麦粉の値段が上がっているのか。先ほどダーリヤから受けた報告を思い出しながら、ラシードは来客を知って門前に出て来たフサインにまず自分が声をかけた。


「よう。トマスの家のサウロじゃないか。いや、今はアブドゥル・バキ将軍様とお呼びせねばならんな」


「いや、昔のようにサウロで結構です。それよりフサインさん、今日は緊急に伝えたいことがあって来たんですよ」


 子供の頃からよく知る陽気で気前のいいフサインに、親しみを込めた態度を見せつつラシードは話を切り出した。


「フサインさん。今日、この街で立て続けに起きた二件の放火のことはご存じですね?」


 ラシードが確認すると、フサインは痛ましげな表情でうなずきつつ答える。


「もちろん知ってるさ。まだ小さな子供まで焼け死んだというじゃないか。全くむごい話だが、やっぱり噂の通り放火なのか」


「恐らく、偶然の失火などではないだろうと見ています。それで、次に命を狙われるのはフサインさん、あなたかも知れない。俺たちはそう睨んでいるんですよ」


「お、俺が……!?」


 さしものフサインも動揺を隠せず、焦って目を白黒させる。落ち着いて聞いてほしい、と彼に言い聞かせてから、ラシードは事の次第を詳しく説明した。


「ここまでに集めた情報によると、二件の放火ではどちらも勇者ダーウードの子孫とされる人物が犠牲になっています。つまり犯人はダーウードの血を引く者を狙っている。少なくともその可能性があると推測することができるんです」


 フサインはますます蒼ざめて低く唸った。彼の一族であるアル・ドサリ家も、他ならぬ勇者ダーウードの血筋を誇りとしている商人の家系なのだ。放火犯がダーウードの子孫を狙って殺害しているのかも知れないという推理をハミーダたちから聞かされたラシードは、それで知り合いのフサインのことが心配になって足を運んだのである。


「すると何だ、犯人はダーウードの血を引く者を皆殺しにでもしようとしてるというのか。しかし、一体何のためにそんなことをするんだ?」


「それはまだ分かりません。今言った通り、その可能性があるということ自体があくまで推測の域を出ませんし、犯人の動機とまでなると何とも……。ただ念のため、フサインさんたちアル・ドサリ家の一族には俺の配下の兵たちを護衛につけるようにしたいと思うんです」


 フサインらの身の安全のためにとラシードがそう提案すると、フサインは急に警戒したような表情を浮かべ、しばらく考え込んでから急に不機嫌そうに言った。


「そういうのは、お断りだな。わしら商人には商売上の機密ってもんがある。店や倉庫の中に部外者が入って来てあちこち覗かれるのは困るんだ」


「中に何があるかとか、そんなことを探ったり外に漏らしたりはしませんよ。あくまでもあなたたちを敵から守るために見張るだけです」


 フサインの態度の急変に戸惑いつつラシードは説明したが、フサインはますます目を怒らせ、怒鳴りつけるように大声で拒否した。


「困るって言ってるだろう! 帰ってくれ。余計なお世話だ。護衛なんかなくても、自分の身は自分で守るに決まってるじゃないか!」


 憤慨しながら、フサインは踵を返して去ってゆく。ラシードもその後ろで話を聞いていたメリッサも、思わぬ展開に困惑してしばし呆然とその場に立ち尽くした。


「……どうしちゃったのかしら」


「おかしいな。あんな剣幕のフサインさんを見たのは初めてだ。昔から怒りっぽい人ではなかったし、別にそこまで非礼な提言をしたつもりもないんだが」


「そう言えば、ミリアムちゃんはどこ?」


 二人の後ろで話を聞いていたはずのミリアムの姿がどこにもない。待ちくたびれて、フサインと仕入れの商談もせずに店に帰ってしまったのだろうか。そんなはずはないだろうと、周囲を見回した二人は悪い予感に駆られて顔を見合わせた。


「しっかりした子だとは思うけど、やっぱり心配よね」


「そうだな。何かあったのかも知れん」


 放火犯もまだ捕まらずに街のどこかに潜んでいるし、それ以外にも凶悪なゼノクが多数出没している今の情勢である。不安になったラシードはミリアムを探すため、メリッサと一緒に付近を回ってみることにした。




 護衛をつけると言うなり急に怒り出したフサインの態度を不審に思ったミリアムは、こっそりその場を離れて一人で彼が所有する穀物倉庫の中へ忍び込んでいた。足音を立てないよう慎重に倉庫の奥へ入って行くと、厚い木の板で覆い隠すように囲い込まれた一角が目に止まる。


「やっぱり……!」


 エスティムの街が神聖ロギエル軍に包囲されている現状では市外の農村との物流が断たれているため小麦の入荷ができず、アル・ドサリ家としても原材料不足ゆえの品薄で小麦粉の卸値を上げざるを得ない。だが、そう見えたのは人目につきやすい倉庫の入口付近だけのこと。仕切りで隠された奥の部屋には、大量の麦俵や製粉を終えた小麦粉の袋が山のように積まれていたのである。


「これって、もしかして買い占め……?」


 アラジニア軍は蔵に備蓄していた小麦を民間にも施し、この籠城戦の中でも民が飢えないよう必要な対処をしている。だがアル・ドサリ一族はその小麦を密かに買い占め、市民には戦の影響と見せかけて小麦の流通量を減らし麦価を不正に吊り上げて大儲けしようとしていた。ただでさえ様々な物資が欠乏して皆が困窮しているこの戦時下に、私利私欲のためにこのようなことをするのは当然ながら重罪であり、もし発覚すれば厳罰は免れない。


「それでお兄ちゃんたちを慌てて追い返したんだ。倉庫の中身がばれないように……」


 小さい頃から世話になってきた大らかで親切なフサインが、まさかこんな悪巧みをする人だとは思わなかった。大変なものを見てしまったという実感に身震いしながら、ミリアムは倉庫を出ようとそっと出口の方へ向かって歩き出した。だがその時、ムカデの脚のような何本もの異形の手が背後から伸ばされ、彼女の小さな体を包み込むようにして懐へと抱き寄せたのである。


「きゃっ……!」


「見たな。小娘」


 両腕の下に無数の脚を生やした毒々しい体色のムカデの魔人――ケンティペダゼノクはミリアムを捕らえると、赤い大きな目を暗闇の中に光らせながら不気味な奇声を上げた。

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