第43話 餓狼の戦士(6)
「ゼノクになったことをなぜターリブ卿らに報告しなかった? まずはそこから訊かせてもらおうか」
サディクに連行されてエスティム城に戻ったラシードは城主ターリブの面前に引き出され、尋問を受けることになった。ここぞとばかりに声を荒げて問い詰めてくるサディクに、ラシードは平静を装いながら涼しい顔で答える。
「報告の義務があるとは知らなかった。それだけだ」
「何だと……? こんな並外れた強い力、誰が持ってるか分からないんじゃ支障があることくらい言われなくても分かるだろうが」
「ガキの頃からお前に散々からかわれてた通り、残念ながらあまり頭が良くないもんでな。そこまでは気がつかなかった。言われてみれば確かにそうだな」
「お前……いい加減にしろよ。こら!」
煽られたと感じて怒鳴り散らすサディクを、ラシードはぶっきら棒な口調で冷ややかに受け流すばかり。そんないつもと変わらぬ二人の様子を、ターリブは白い顎鬚を片手で撫でながら愉快そうに眺めている。
「ターリブ卿、笑っておられる場合ではありませんぞ。ご覧の通り、ラシードには反省の色すら見られません。ゼノクの力を隠していた罪の重さに鑑み、どうか厳正なるご処分を」
「まあ良いではないかウスマーン将軍。アブドゥル・バキ将軍はゼノクの力を隠していたとは言え、それを使って密かに悪事や敵対行為をしたわけではない。覚醒したら報告せよとの法や軍規も、言われてみれば確かにどこにもありはせぬ」
「ターリブ卿……!」
サディクの憤りをよそに、ターリブは鷹揚に笑ってラシードを無罪放免とした。小さく安堵の溜息をついたラシードはサディクを無視してターリブの方へ向き直り、まだ状況がよく掴めないと率直な戸惑いを口にする。
「ゼノクのことを、以前からご存じだったのですか? 突然あのような魔物の姿になって、自分でも何が何だか分かりませんし、敵のゼノクと言葉を交わしても相手が申していることの意味がほとんど掴めません。ターリブ卿、ゼノクとは一体何なのですか」
「それを説明しようとすれば、神話の時代からの長い話になってしまうがの」
それでも構わないから詳しく教えてほしい。ラシードがそう言いたげにごくりと唾を呑んで話を聞く態勢を見せると、ターリブは嬉しそうに口元を歪めておもむろに語り出した。
「遠い昔、神と天使のみが食べることを許されていた禁断の果実をレオニダスという男が取って食べ、ロギエルに反逆した。ロギエル教では悪魔ジュシエルにそそのかされた人間が神であるロギエルに背く大罪を犯したとされている逸話じゃが、我らが信ずるジュシエル教では逆に、邪悪な魔王であったロギエルに隷従させられていた人類を真の神であるジュシエルが解放した物語として伝わっておる。この二つの相反する神話については、そなたもよく存じておろう」
「無論のこと」
ロギエル教とジュシエル教は互いの神を悪魔と呼び合って対立しているという言わば歴史観の違いがあるだけで、創世神話のあらすじはほとんど同じという言わば仲の悪い兄弟のような間柄である。神学の造詣が浅いラシードでも、その程度は当然知っている初歩的な知識であった。
「ロギエルとジュシエルのどちらが神か悪魔かという論争はさておき、レオニダスが禁じられた果実を食べたことが如何なる意味を持っていたかはいずれの宗教の聖典にも正確には記されておらぬ。いや、神意によって敢えて伏せられたと申すべきかな。実はそれこそが、人類の中にゼノクの血筋が生まれる原因だったのじゃ」
「分かるかラシード。それがロギエル教で言うところの原罪とかいう奴だ」
既によく知っている話を横で聞かされて退屈していたサディクが、そう注釈を挟む。レオニダスが犯した罪は彼の子孫にも受け継がれ、その血筋は今や他の人間との交配を通じて多くの人々に広がってしまったため、人類は生まれながらにして神に対する罪を負っているというのはロギエル教の根本教理の一つである。ラシードにとってはどうにも分かりにくく理解に苦しむ教えだったが、そこに隠されていた真の意味があるとなると受け止め方は全く違ってくる。
「先祖が悪いことをしたからと言って子孫にも罪が代々受け継がれるというロギエル教の教えは理不尽に思えて、昔から納得できませんでしたが……その罪というのが、本当はそうした意味だったとすれば……」
「納得が行くようになるかの。奴らの申す受け継がれし罪とは決して小難しい神学上の概念などではない。禁断の果実を食べることによってレオニダスが手にした魔人化の能力――ゼノクの因子が遺伝しておるということじゃ」
ラシードもサディクも、レオニダスの末裔として彼の罪――すなわちゼノクの因子を受け継いでいるから変身できるというわけである。ようやく自分がゼノクになれる理由を知らされたラシードは、己の体内に流れている血液の巡りを感じ取ろうとするかのように拳を握った。
「眠っているゼノクの因子が何によって目覚めるかについては、まだ解明が十分にはできておらぬがな。アブドゥル・バキ将軍の場合は傷を負って生命の危機に陥った際に、生存本能が因子を強引に叩き起こして肉体を超人化させることによって死を免れようとしたものと見える。ゼノクになれば回復魔法を無意識の内に使い、凄まじい治癒力で命に関わる大ケガも治せるからのう」
スースゼノクの牙で心臓を貫かれて瀕死の重傷を負ったラシードも、あのアイン・ハレドの村で殺されたかに見えたが復活した二体のゼノクも、人体が死を避けるために眠っていた因子を強制起動させて魔人化を引き起こしたものと考えられる。一時はゾンビではないかという推測もあったゼノクだが、完全に死んでしまってから蘇生するゾンビとはその仕組みは似ているようで全く違う。
「いずれにせよ、我が国では早くからゼノクの存在を知り、密かに研究と軍事利用の道の模索を進めておった。この世にそのような怪異があるならば、戦力として使わぬ手はないとの考えでな」
「それはお見それしました。どうやら、周囲の反応を恐れて隠す必要は初めからなかったようですね」
ラシードは素直に脱帽した。アラジニアの軍と王朝にゼノクを受け入れる態勢が既にあるのならば、彼としても秘密を抱えて悩む必要はなく非常に助かる話ではある。
「……とまあ、説明はおおよそ以上だが、何か質問はあるかの? アブドゥル・バキ将軍」
ターリブに問われたラシードは、少し考えてから答えた。
「その……ターリブ卿にではなく、サディクに訊きたいことがあるのですが」
「何だよ。言ってみろ」
喧嘩を売られるかと警戒して目つきを鋭くするサディクに、ラシードは感情的にならないよう冷静な口調を意識しながら訊ねる。
「今朝の件だがな。俺があのアルミラージのようなゼノクと戦っていた時になぜ邪魔をした? あいつをお前が守ったように俺には見えたぞ」
レオゼノクがアルミラージゼノクに止めを刺すのを妨害した理由について問われると、そのことか、とサディクは鼻を鳴らして冷笑する。
「見えたも何も、その通りだが? お前からあの天使様をお守りしたのさ。ジュシエル教徒として当然のことだろ」
「何だと」
これは大事なことを説明し忘れていた、とターリブが横で苦笑する。人間界の事象としての概要だけでなく、神々の次元で何が起こっているのかもこの機会にラシードには教えておかなければならない。
「ゼノクとなったマムルークは単にアラジニアの王家と王朝に尽くすだけの存在ではない。天からの啓示により、我らの神であられるジュシエル様のご意向にも従って戦う使命があるのじゃ。つまり――」
「俺たちはジュシエル教の信者として、異教徒を討つ聖戦の使徒って訳だ」
異教徒を討つ――サディクのその言葉が帯びた不穏さに、ラシードは全身の血の気が引いてゆくのを感じて表情を強張らせた。




