表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/69

第34話 誓いの乙女(3)

「スカーフは、いかがですか……?」


 エスティム西地区の外れを南北に走る大路で、スカーフを売り歩いている十八歳のヨナシュ人の少女がいる。病的なほどに華奢な体を水色のドレスに包み、腰の辺りまで長く伸ばした美しい黒髪を砂っぽい風になびかせながら、スザンナ・バト・エリシャは商品のスカーフを何枚も折り重ねて入れた籠を手に提げ、暑い昼下がりの街を歩いて行商を続けた。


「沢山の色を取り揃えております。スカーフは要りませんか……?」


 赤、青、黄色、桃色、白、黒、緑、紫。色とりどりの綺麗な布で作られた可愛らしい女性用のスカーフではあるが、売り子の少女がどうにも元気がなく、客寄せの声も小さく弱々しいこともあって足を止めて買ってくれる人は少ない。自分はやはりこういう商いが得意ではない――暗くうつむきながら、スザンナは籠の中の売れ残ったスカーフを一枚手に取って嘆息した。


「……はい。神様」


 突然、誰かに声をかけられたかのように空を見上げたスザンナは、持っていたスカーフを籠に戻すと何かに憑かれたかのように早足で歩き出す。女性が頭にスカーフを被る風習のあるアラジニア人たちの街区を出て、同胞のヨナシュ人たちが行き交う大通りの街路樹の下で立ち止まった彼女は籠を足元に置くと、苦手な行商をしていた先ほどまでとは全く違う美しく通りの良い声で道行く人々に語り始めた。


「皆さん、今こそ悔い改めましょう。予言された救いの時は近づいたのです」


 まるで天使のような可憐で神秘的な美少女が、神ザフィエルの福音について人々に語っている――貧しい服屋の娘のスザンナが時折こうして急に人が変わり、路上で辻説法をしているのはこの界隈のヨナシュ人たちの間では有名になっていた。誰が最初に呼んだのか、マグダレナ――誓いの乙女という呼び名で知られている彼女が現れると近所の住民は続々と集まり、すぐに広い街路を塞がんばかりの人だかりとなる。


「間もなく、恐ろしい疫病がこの街に臨もうとしています。神様に敵する者が私たちに与える試練です。でも神様は、信仰を持つ私たちをきっと救って下さいます」


 スザンナが最初に人々の注目を集めたのは、十日ほど前にエスティムで起きた小さな地震をその前日に予言して当てたからだった。彼女には未来を透視する力があると噂になったのだが、この一回だけでは単なる偶然かも知れず、疫病を予言しても信じるかどうかは人それぞれという様子である。だが、スザンナの凄さはそれだけではなかった。


「マグダレナ様、どうか私の娘をお癒し下さいませ」


 一人の母親が、衰弱した幼い娘を抱きかかえてスザンナの前に進み出るとそう言って懇願した。生まれつきの難病のために体が弱く、自分の足で立って歩くことができないまだ五歳の女の子である。


「可哀想に。でも、もう大丈夫ですよ。神様の愛と慈しみが、あなたの苦難を取り去って下さいます」


 スザンナは母親に抱かれているその幼女に近づいて優しく微笑みかけると、萎えて力なく垂れ下がった彼女の両足に右手をかざしてそっと近づけた。すると、スザンナの掌から青色の温かな光が注がれ、服の上から体内に染み込むように浸透していったのである。間近で見る奇跡に、人々は驚いてどよめいた。


「病は癒えました。これからは健やかに過ごせるでしょう」


 光をたっぷりと照射してから、スザンナはそう言って女の子を立たせてみるよう母親に促した。母親が恐る恐る娘を下ろし、左右の足をゆっくりと地面に置いてやると、何とその子は力の入った両足でしっかりと立ち、それから元気に歩き回り始めたのである。


「何という奇跡だ。どんな名医でも治せなかった生まれ持っての病を、たちまち癒してしまうとは」


「まさしく神の使いだ。救いの女神様だ!」


 あまりのことに母親は驚いて目を丸くし、それから感極まって娘を強く抱き締めながら泣き崩れた。周囲にいた群衆は歓声を上げ、口々にスザンナを讃えて拝み出す。


「凄いや。やっぱりスザンナさん、神様が遣わした救世主だよ」


 群衆に混ざってその光景を見守っていたシメオンは、感動して何度も手を叩きながら隣に立つラシードの方を見て言った。確かにスザンナは、あの幼女が患っていた重い病気を不思議な力で治したのだ。これにはラシードも目を見張り、遠くに立って人々に語りかけているスザンナの姿を無言のままじっと見つめて唸った。


「本当に神の奇跡か、それとも……」


 世の中には様々な摩訶不思議な怪異があることを、最近になってラシードは身を持って知るようになったばかりである。スザンナの力の源泉が一体どこにあるのか、彼は慎重に考え込んだ。とはいえ、病気の子供を癒したのは紛れもなく素晴らしい善行であり、人々が送る喜びと感動の拍手に彼も自然と加わって手を叩いていたのである。


「医者は健康な人には必要ではなく、病んでいる人にこそ必要です。神様の救いもまた、満ち足りた贅沢な暮らしをしている人よりも貧しく苦しんでいる人のためのものなのです。例え世間では卑しい者のように見下げられたとしても、神様は救いを必要としている私たちのことを決して忘れたりはされません」


 スザンナの教えに聴衆の多くは感嘆の声を漏らすが、一部からは野次や怒声も上がった。シメオンやミリアムも含め、ここに集まっているヨナシュ人の多くは差別を受けている貧しい平民である。同じ民族の驕った上流階級の人々よりも自分たちにこそ神が目を向けて下さるというスザンナの教えは彼らの心を強く惹きつける一方で、半ば冷やかし目的で見物に来ていた金持ちや聖職者などのヨナシュ人を憤慨させるものでもあった。


「あー、もう、また行商の途中で何やってるの、スザンナ!」


 辻説法を続けるスザンナの元に、人混みをかき分けて一人の若い女性がやって来る。スザンナの姉で、一歳年上のルツ・バト・エリシャである。


「皆さん、ごめんなさい! 妹がまた変なこと言ってたみたいで……どうか気にしないで下さい。本当にすみません。さあスザンナ、こんな所で油売ってないで帰るわよ」


 何度も頭を下げて皆に謝りながら、ルツは妹が地面に置いていたスカーフの入った籠を取り、手を引いて連れてゆく。それを見ていた群衆からは、「全くだ!」「ふざけるなよ小娘!」という罵声も飛べば、「もう帰ってしまうのですか?」「もっとお話を聞きたい!」と呼び止める声も聞こえてくる。必死に平謝りしてそれらの人々をなだめながら、ルツはスザンナを連れてすごすごとその場を去っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ