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第32話 誓いの乙女(1)

「しまった。遅かったか」


 凄まじい爆発が起こったのを見て遠くから馬を駆けさせてきたサディクは、船着場や倉庫がある河岸の一帯が焼け野原となっているのを目にして歯噛みした。


「どう見てもゼノクの攻撃魔法だな。並の人間にこんな真似ができるはずがねえ」


 バジリスクゼノクが放った稲妻で爆撃された運河の周辺はまさに焦土と化し、河畔に建っている倉庫も炎上して黒煙を立ち昇らせている。猛烈な破壊活動を行なったゼノクがまだ近くにいるかも知れないと、警戒したサディクは馬上で周囲を見回した。やがて焼け崩れた倉庫の陰から、誰かが出てくる気配を感じて彼は素早く後ろを振り向く。


「よう。サディクか」


「ラシード……?」


 姿を見せたのは、レオパルドスゼノクに攫われてしまったとターリブから聞かされていたラシードだった。顔は汗ばみ、呼吸は荒めでやや疲れているように見えるが傷などは負っていない。


「聞いたぜ。敵の斥候に不覚を取って捕まっちまったそうだな。昔の(よしみ)で仕方なく助けに行ってやろうかと思って探してたんだが、一体どうなったんだ」


「そいつは心配をかけたな。隙を見て逃げてきたよ。この通り無事だ」


 声や表情に不自然さが出ないようにと、わざと意識してぶっきら棒な口調でラシードは答える。


「そうか……。ここを焼き払ったのは誰なのか分かるか?」


「ああ。例の毒殺犯だ。気色の悪いバジリスクの怪人だったよ。ここで暴れてたんだが、俺を拉致した豹の魔人が戦って倒してくれた。これでめでたく事件は解決だな」


「ほう。で、そいつらが戦ってる間に上手く逃げおおせたってわけか」


「まあ、そんなところだな」


 サディクが自分から都合良く話を繋ぎ合わせて納得してくれたので、ラシードはそれに便乗してうなずいた。しばらく無言のまま何かを考えていたサディクは、不意に馬を下りてラシードの目の前まで近づくと彼の紫色の瞳をじっと見つめながら詰問する。


「お前、何か隠してねえか」


「何のことだ? 今の話がどこか変だったか」


「そうじゃねえがな。どうも引っかかるんだよ。全くのでたらめじゃねえのかも知れんが、何か大事なことが敢えて抜かされてるような気がしてな」


「そう言うお前こそ、俺に何かを隠してるように感じるんだが気のせいかな」


 互いの腹の内を探り合うように、二人は息が届くほどの至近距離からじっと相手の目を見て対峙する。長い沈黙の末、根競べに飽きたように先に視線を背けたのはサディクの方だった。


「フン、まあいい。少なくとも、俺がお前に全てを教えてやる義務なんてねえからな。隠してることがあると感じるのは別に気のせいなんかじゃねえよとだけ答えておく」


「気になる言い方をしやがって、相変わらず嫌味な奴だな。だったら俺もお前に包み隠さず話す義理はない。黙秘権を行使するよ」


「必要だったら後で力ずくで暴いてやるから好きにしろ。それより、そのアレクジェリア軍の斥候だっていう豹の魔人はどこへ行った?」


「さあな。バジリスクの魔人が死んだ後、どこかに逃げちまったよ」


 ラシードがそう答えてはぐらかすと、サディクはフンと鼻を鳴らして馬に飛び乗り、そして鞍の上で呟くように言った。


「……俺が倒してやる」


 強い敵意の籠もったその科白を聞いて思わず表情を強張らせるラシードをその場に一人残して、馬を駆け出させたサディクは疾風の如く去っていった。




 小さな商店や住宅がいくつも建ち並ぶ、エスティム西部のヨナシュ人街。照りつける強い陽射しを浴びながら、メリッサは悄然とした表情で炎天下の街路を歩いていた。


「あーあ……どうしちゃったんだろ」


 バジリスクゼノクを怒りの猛攻で倒したレオゼノク――ラシードを見て、思わず怯んで逃げ出してしまったのを今更ながらにメリッサは後悔する。全く、どう考えても自分らしくない行動ではあった。


「もう少し落ち着くべきだったかしら。でも……」


 幼い頃から自分がずっと思い描いてきたレオナルドの温厚な人格からは想像もつかない荒々しい戦いぶりに衝撃を受けたというのも大きいが、それだけではなかった。まるで獰猛な肉食獣に狙われたように、あるいは暗闇で幽霊にでも遭遇したかのように、メリッサはレオゼノクに理屈を超えた本能的な恐怖を感じたのだ。いつも勇敢で勝気で、戦場でも恐れることを知らない彼女がこんな心理に陥ったのはこれが初めてだった。


「私、どうしてあんな気持ちになったのかしら……?」


 異形のゼノク同士の戦闘でも、相手を怖いと感じたことは今までには一度もなかった。これまでに体験したことのない、何か異質で特別な何かを彼女はレオゼノクから感じ取ったのである。だがそれが何だったのかは、いくら考えても分からなかった。


「レオ様……」


 こうなってくると、次は一体どう動いたらいいのだろう。困り果ててしまったメリッサが溜息をついたその時、砂塵を乗せた一陣の風が彼女の前を吹き抜け、道端に生えていたオリーブの木を揺らした。


「あら、どうしたのマルコ。泣き止みなさい」


 メリッサの十歩ほど前を歩いていたヨナシュ人の母親が、背中に()ぶっていた赤ん坊が急に泣き出したので振り向いて声をかける。今の砂風を浴びて不快に感じたのだろうか。それまで母親の背中で気持ち良さそうに寝込んでいた男の子が、突然火が点いたように大声を上げ始めたのだ。


「静かになさい。ほら、うるさくて迷惑になるわよ。お願いだからいい子にして」


 後ろを歩いていたメリッサの方に、母親は申し訳なさそうに振り返って会釈する。赤ちゃんが泣いてしまうのは仕方ないことだろうと、メリッサは優しく微笑んで焦りを浮かべるその女性を安心させようとした。だが、どうも泣き方がおかしい。


「何かあったのかしら。大丈夫ですか?」


「すみません。いつもはこんな大泣きする子じゃないんですけど……」


 不審に思って駆け寄ったメリッサは、目を凝らして赤ん坊の様子をよく観察してみた。この泣き方の激しさはどう考えても異常だ。乳幼児によくある癇癪かんしゃくと言うよりは、どこか痛がっているように見える。


「こ、これ……!」


 ズボンの裾から覗く子供の右足が黒く化膿しているのに気づいて、メリッサは息を呑んだ。皮膚病の症状だ。メリッサに言われて、背負っていた赤子を胸に抱き直した母親は我が子の足の異変に驚く。


「どうしたのかしら。こんな病気、家を出るまでは無かったはずなのに……」


「さっきの風……」


 不意に吹いてきたあの風が、それを浴びた赤ん坊の体にこの疾患をもたらしたのだろうか。直感的にその可能性に気づいたメリッサは素早く周囲を見回した。刹那、物陰からこちらを窺っていた灰色のアバヤを着た老婆が、急に走って向こうへ逃げ出したのが目に映る。


「あの人……!」


 老齢とは思えない――否、通常の人間の域さえ超えた俊敏な動きを見せたその女性を追ってメリッサは駆け出した。狭い路地を走っていた老婆はメリッサに追いつかれそうになると奇声を上げて凄まじい跳躍力を見せ、光に包まれながら三階建ての四角い宿屋の屋根の上に飛び乗る。


「なるほどね。――変身(ゼノキオン)!」


 驚く素振りもなく、メリッサは呪文を詠唱すると自分も赤く輝く魔力を全身から放ちながら地面を蹴って同じように高く跳び上がる。わずか数秒後には、変身を完了してレオパルドスゼノクの姿となった彼女は宿屋の屋上に立ちながら、禍々しい鳥人の姿をしたガルーダの魔人と対峙していた。


「我は天使アッハーズ。邪神ロギエルとザフィエルの魔の手から、この聖地を守護する者なり」


 鉤爪を立てて戦闘の構えを取るレオパルドスゼノクを威嚇するように左右の翼を広げて見せながら、不気味な女性の声でガルーダゼノクはそう名乗った。

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