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第29話 明かされざるべき真理(1)

 従軍司祭とは、戦争において軍に同行し、将兵たちのために祈りを捧げる聖職者のことである。ロギエル教があまねく信仰されているアレクジェリア大陸においてはその歴史は古く、戦の勝利や戦死者の冥福を神に祈り、戦地で催される様々な祭事を執り行い、凄惨な戦闘で心身が疲弊した将兵たちに神の教えによる癒しや導きを与える存在としてその果たすべき役割は大きい。


 だが教皇庁が主導する今回の聖戦においては、従軍司祭が担う役目はそれだけには止まらない。教皇の側近である枢機卿の中から選ばれた神聖ロギエル軍の従軍司祭は言わば軍監として、神であるロギエルとその地上の名代(みょうだい)たる教皇の意思に沿って聖戦が正しく遂行されるよう、ともすれば諸国の思惑が複雑に交錯して足並みを乱しかねないこの雑多な連合軍を監視し、取りまとめ、必要とあらば具体的な作戦についても諸将に助言や指示をする権限まで有しているのである。


 そもそも神聖ロギエル軍という名称自体が、この軍を率いているのは神ロギエルに他ならないという聖戦の理念を如実に示したものであり、人間の将兵の代表として総司令官を務めるヴェルファリア帝国のマティアス皇太子よりも、神とその声を代弁する教皇、そして更にその教皇の代理人である従軍司祭の方が立場や権威は上なのだという力関係を物語っている。


 マティアスとヒッツフェルト皇帝家に固く忠誠を誓っているヴェルファリア貴族のヘルミーネさえ、この軍の中で真に尊ばれるべきなのは自国の皇子ではないことはよく理解していた。この聖戦の陣中に限っては彼女はしばしば、帝国の朝臣としてよりも神の信徒、教会の使徒としての己を強く意識して行動するようになっていたのである。


「ゴルディアヌス枢機卿猊下に、謹んでご報告申し上げます」


 神聖ロギエル軍が本陣を置く、聖ウィリアン砦。聖地エスティムの西に位置する小高い丘の上に築かれた、古代のジョレンティア人の殉教者の名を冠するこの要塞の地下にロギエルを崇拝するための礼拝堂がある。家臣のゲルトを連れてその聖なる地下室に足を踏み入れたヘルミーネは、そこに安置されている巨大な竜神の像の前で祈りを捧げていた従軍司祭のゴルディアヌスの姿を見ると、彼の背後に跪いて恭しく言上した。


「我が配下の将、ゲルト・シュティーリケ男爵を連れて参りました」


 壁に掛けられた松明の火が照らす礼拝堂の中は薄暗く、荘厳でどこか薄気味の悪い印象を受ける。ヘルミーネが緊張の面持ちで口を開くと、祈祷をしていた司祭は既に全てを知っているかのように深くうなずいた。


「目覚めた、か」


 短く、ただそれだけを言った司祭の声は、初めて彼の前に出るゲルトを思わず畏怖させる低く重い響きがあった。この声は既に聞き慣れているはずのヘルミーネでさえ、その静かな迫力に()されて起こる表情の強張りを隠せていない。


「仰せの通りにございます」


 跪いた姿勢で深々と頭を下げたまま、ヘルミーネは答えた。


「このシュティーリケ男爵も、私たちと同じくレオニダスの血を引くゼノクの眷属であると判明致しました。先日、アイン・ハレドにおける異教徒との戦いで命を落としかけた際にゼノクの力に覚醒し、そのことが明らかとなりましてございます」


「で、あるか」


 黒一色のカソックを纏ったゴルディアヌスは、ゲルトが想像していたような一般的な聖職者像とは一線を画する、厳つく威圧感のある筋骨隆々とした大男であった。鎧兜を身につけて剣を佩けば、そこらの騎士よりもずっと騎士らしく見えるであろう。年齢はちょうど五十歳。ゲルトより十も年上で、ヘルミーネからすれば父親ほどの年代だが、その生気は成熟と共にみなぎるばかりで、まだまだ老け込むことを知らない。


「畏れながら申し上げます」


 まさに言葉の通りに畏れ慄きながら、ヘルミーネに発言を促されたゲルトは声を震わせて口を開いた。


「事の概要は、ミュラー公爵から既にご教授賜っております。これまでもロギエル教徒の一人として聖典をよく読み、牧師様の説法をよく聞いて神については深く学んできたつもりでおりましたが、この世には私めの想像も及ばぬ隠された真理があると知り、己の卑小さを改めて実感した次第でございました」


「己を大いなるものとするための第一歩は、己の小ささを知ることである。聖典にもそう書かれているであろう」


 ロギエル教の聖典に記された古代の聖人エウゲニオスの箴言を引用して、ゴルディアヌスは哂った。


「遥か昔、神ロギエルに反逆した使徒レオニダスは禁じられた果実を盗み取って食べるという罪を犯した。それによって彼の体内に取り込まれた魔力は子孫にも遺伝し、ゼノクと呼ばれる魔人の一族が我ら人類の中に生まれたのだ。レオニダスの血筋は長い歴史の間に通常の人間との交配を通じて世界中に拡散し、今ではいつどこで誰が遠い先祖から受け継いだ魔力を覚醒させてゼノクとなってもおかしくはない。汝のようにな」


「神に背いて楽園を滅ぼしたレオニダスという男については、聖典の神創記にその罪が記されておりますが、それがそのような意味だったとは思いもよりませんでした」


 ロギエル教の聖典には人外の魔物が現れたという記述自体はいくつか見られるものの、それがどのような存在であるかについての説明はなく、使徒レオニダスの反逆に関しても、単に神の言いつけに背いて食べてはならない木の実を食べてしまったという命令違反の罪のことしか述べられていない。だが実際には、レオニダスが引き起こした事態の本質はそんな単純なものではなかった。彼は本来は天使たちだけが食べることを許されていた、超越的な力を持つ怪物へと自らを変異させる魔法の果実を食べ、恐るべき魔人の血脈を人類の中に作り出してしまったのだ。


「聖典をいかに熟読しようとも、そのようなことは決して分からぬ。本物の真理は、ごく少数の選ばれた者だけが知っていれば良い。それが神ロギエルのご意向ゆえ、誰にでも分かる形での明確な啓示は敢えてされなかったのだ」


「真理はあまりに深くて尊いゆえに、それを知った者にとっては耐え切れないほどの重圧ともなる。弱い人間の多くにそのような荷を背負わせまいとされるのは、父なる神の愛あるご配慮と言うべきでしょうね」


 ヘルミーネが自分の方を見てそう言うと、ゲルトは重々しくうなずいた。確かに、何も知らずに蒙昧のまま、ただ純真な心で神を崇めていた方が幸せだったかも知れない。全てを理解すれば気が触れてしまいそうになるくらい、真理とは壮大で恐ろしいものだったのだ。


「かつてレオニダスを唆し反逆へと導いた堕天使どもは、今や自らを神としてこの国の人間たちに崇めさせておる。だが真の神たるロギエルは、そのような不遜極まる反乱を決してお許しにはならぬのだ」


「そのために起こされたのが神を名乗るジュシエルとその信徒らを討伐する、この聖戦……」


 これは単なる人間同士の思想信条の違いから起こった宗教戦争などではない。文字通りの神々の争いに、人間たちがその駒として参戦し神の武器となって用いられているのだ。今回のアラジニア戦役の真の構図を知ったゲルトは、未だに戦慄が収まらなかった。


「もう一人の堕天使であるザフィエルを信ずるヨナシュ人たちも、この戦乱に乗じて独自の動きを見せつつある。奴らは十年前、神が救世主として地上に遣わされた獅子の仔を抹殺したが、万能なる神のご計画はそれでも阻止などできはせぬ」


 本来ならば既に立派な武将に成長し、この神聖ロギエル軍を率いて異教徒とその神々を討伐する役目を担うはずだった救世主。それが夭折させられたことで、ロギエルの計画は一時的に挫かれてしまったかに見えた。だが神の定めは絶対であり、そのような横槍を入れたところで変え得るものではない。現にロギエル教諸国の帝王となる救世主抜きでも神聖ロギエル軍はアラジニアの領土を次々と征服し、聖地エスティムを包囲して陥落へと追い込みつつあるのだ。


「我らは神が振るいし聖なる刃。聖地エスティムに巣食う邪悪な異教徒どもを一掃し、この地上を再びロギエルのみが神として崇められる正しき世界へと回帰させるのだ」




「こんにちは。元気だった?」


「あらサキーナ。久しぶり!」


 エスティム東地区の下町に住むサキーナ・ハウラという女性は、久しぶりに西地区にいる昔の友人を訪ねに彼女の家へやって来ていた。ちょうど(ほうき)を持って玄関の掃き掃除をしていた友人の女性は懐かしそうに笑顔を見せ、子供の頃から大の仲良しだったサキーナを歓迎した。


「力に目覚める前に死ぬがいい。レオニダスの血を引く異教徒よ」


 神話に登場する大蛇のような不気味な魔人が、路地裏の陰からその様子を覗き見て指先を向ける。刹那、頭に赤い突起を生やしたその魔人――バジリスクゼノクの指から放たれた黒い光の矢がサキーナの首筋を掠め、数秒の間を置いて彼女は急に脱力したように地面に倒れた。


「サキーナ! どうしたの? しっかりして!」


 驚いた女友達の悲鳴が響くのを尻目に、バジリスクゼノクは音もなく踵を返して路地裏の奥へと去ってゆく。狭い裏小路に淀む薄闇の中、彼は自らの全身を覆っていた硬く重厚な全身装甲を消失させ、正体である毒々しい青色の鱗を持った竜人の姿に戻った。


「天使ウェパルよ! 一大事にございます」


 バジリスク型の鎧を脱ぎ捨てたその竜人――ウェパルの名を呼びながら、上空からコルンバゼノクが舞い降りてきて――否、ほとんど墜落に近い形で落下してきて跪く。深手を負ったその様子にウェパルは不審そうに目を細め、彼を叱りつけるように言った。


「声が高いぞ。信徒ピネハスよ。一体何事だ?」


「申し訳ございませぬ……火急の凶報がございます。天使ウェパルよ。獅子の仔が……あのレオナルドが生きておりました」


「何っ……! 莫迦な。そんなはずはない」


 反射的に、跳ねつけるように否定する言葉がウェパルの口を突く。それはにわかには信じ難く、そして決してあってはならないことであった。コルンバゼノクの報告がもし事実ならば、それは自分たちの計画に大きな誤算が生じたことを意味する。


「獅子の仔は十年前、我が仲間のオルトロスゼノクが抹殺したはずだ」


「確かにそのように伺っております。ですが現実に奴は現れ……黄金の鎧を纏ったレオゼノクとなって同志ジムリを屠ったのです。変身したのは、あのマムルークの獅子将軍……」


「……ラシード・アブドゥル・バキ、か。アラジニアの王朝に仕えるあの男がレオナルドだったと申すのだな」


 マムルークの若き勇将としてヨナシュ人の間でも名を知られたラシードが、実はとんでもない秘密を抱えた危険人物だった。唸るように息を吐いて考え込んだウェパルは、やがて足元にひれ伏しているコルンバゼノクに言った。


「大儀であった。敬虔なる信徒よ。思わぬ事態となったようだが、今の時点で知ることができたのは僥倖よ」


「はっ……」


「事はまだ決して手遅れと言うべき段階にはない。レオゼノクの出現の報告がこれまでなかったということは、奴が覚醒したのは恐らくほんの最近……持てる力を未だ十全には発揮できておるまい」


「仰せの通り……このピネハスめに、奴を討つ機会を今一度……お与え下されば……」


 次こそは必ず勝ってみせる。傷の痛みを堪えながら荒い呼吸を繰り返して汚名返上を誓うコルンバゼノクだったが、ウェパルは彼を冷たく見下げたまま無言で指先を向ける。次の瞬間、放たれた黒い光が地面にひれ伏しているコルンバゼノクの右肩を貫いた。


「がぁっ……!」


「未熟な子ライオンにすら不覚を取るような雑魚は、永遠に休んでおれ」


 肩の装甲と骨を貫通してコルンバゼノクの心臓に突き刺さった光線は毒液へと変わり、ピネハスの姿に戻った彼は激しい痙攣に身を震わせながら倒れ伏す。心臓発作を起こして屍と化した信徒の体を路地の脇へと乱暴に蹴り飛ばしたウェパルは、口元を歪めて鋭い牙を覗かせながら呟くように宣した。


「獅子の仔は私がこの手で消す……予言は、決して成就させぬ」

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