筋肉第7話 ザリガニ怪人
金曜日の早朝。
若葉 太郎は緊張した面持ちでパトカーを降りた。
先ほど怪人が現れたとの通報を受けたのである。
場所は海産物を扱う生鮮市場である。
「おまわりさん!」
市場の従業員だと思われる男が、若葉に声を掛けた。
「怪人は!?」
若葉が聞くと、従業員の男は建物の中を指さした。
若葉は拳銃を引き抜き、警戒しながら建物の中へ入ろうとした。
その直後だった。
入り口の扉が派手な音を立てて内部から吹き飛んだ。
同時に、人間と同じぐらいの大きさの黒い影が吹っ飛んで来た。
思わず若葉は尻餅をついた。
黒い影が飛んで行った方向を見ると、巨大なザリガニ型の怪人がうめいていた。
若葉は反射的に身体を回転させて地面を転がり、そのザリガニ男との距離を取った。
距離を取ると同時に、銃を構えながら立ち上がった。
そのザリガニ男も、むくりと立ち上がった。
「動くな!」
若葉は叫んだ。
立ち上がったザリガニ男の身長は、180センチほどだろうか。
全身を、頑丈そうな赤い甲殻が覆っている。
両腕がハサミの形をしており、股からは、人間のものに似た形状の両脚が生えていた。
すると、その脚が突然ふらつき、ザリガニ男は倒れた。
よく見るとザリガニ男は顔から青い血を流し、頭部の赤い甲殻が部分的に砕けていた。
「くっそ……バケモンが」
低い声で呟きながら、ザリガニ男は建物の中を睨んでいた。
横の若葉には眼もくれず、その獰猛な殺気をひたすらに前方にぶつけている。
若葉は銃をザリガニ男に向けたまま、ちらりと建物の中を見た。
そして、眼を見開いた。
建物の中から、巨漢のような人影がのそりと姿を現したのである。
そしてその巨体は、女子高の制服に包まれていた。
肩の筋肉が盛り上がっており、肩幅が広い。
白い制服から覗く腕の筋肉が岩のようである。
スカートから覗く脚は丸太のように逞しく、その足取りは黒豹のように身軽だ。
額に垂れた赤い前髪の下に、炎のように赤く燃える瞳がある。
鬼木坂奮子であった。
「鬼木坂……!?」
思わず若葉が声を出した。
昨夜、会ったばかりじゃないか!
今日も会うとは!
「おいザリガニ男」
鬼木坂奮子の声がその場に響いた。
「くそが……!」
ザリガニ男は、力を振り絞ってよろよろと立ち上がった。
「お前が暴れたせいで、漁師さんが獲って来た海産物がめちゃくちゃじゃねぇか」
呟きながら、鬼木坂奮子が歩いて来る。
ザリガニ男は覚悟を決めるように一度だけ喉を鳴らすと、雄叫びを上げながら前方に突進した。
直後。
めきゃっ!
という音が鳴った。
鬼木坂奮子の右脚がザリガニ男の腹に食い込んでいた。
次の瞬間、ザリガニ男は後方に吹っ飛び、地面を転がって人集りの前で止まった。
ザリガニ男は白眼を向いて失神していた。
「鬼木坂奮子!」
突然、若葉が叫んだ。
「ん?」
そこで初めて気付いたかのように、奮子が若葉を見た。
奮子の表情が柔らかくなった。
「おお、若葉。また会ったな」
若葉を見下ろしながら、奮子は余裕の声を出した。
「怪人、倒しておいたぜ。早く収容所へ送りな」
そう言うと奮子は、若葉に背を向けた。
「待て! 大人しく署まで来い!」
若葉は緊張した面持ちで叫んだ。
「いやだね。おれに構ってねぇで早く交通整理とかした方が良いんじゃねぇか」
そう言うと奮子はその場で跳躍すると、俊敏に建物の壁を伝い、屋根の上に昇った。
「あ! 待てこの!」
若葉は後を追いかけようとしたが、すぐに奮子の姿は見えなくなった。