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筋肉第6話 放火魔

 黒猫山(くろねこやま) (あずさ)は夜の暗い路地を歩いていた。

 一人で映画館に行って来た帰りである。

 手にしたビニール袋にはアニメのパンフレットやグッズが透けて見えていた。

 梓は嬉しそうな表情をしていた。

 先程観たアニメ映画の出来が大変素晴らしかったのである。

 上映期間中に、あと3回は観に行こう。

 そんな事を思っていた。

   

 路地を直角に曲がった瞬間。

 ゴミ置き場に積まれた段ボールの前に、男が立っているのが見えた。

 梓は眼を見開くと同時に、さっと身を引いて身体を隠していた。

 そろりと覗くと、男はこちらを何度か見た後、また段ボールの方を見つめた。

 梓は自分の鼓動が速くなって行くのを感じた。

 

 (この感覚は……あれだ)

   

 梓は自分には2種類の超常能力が備わっている事を物心ついた時から自覚していた。

 一つ目は、異常な程の危機察知能力である。

 小学校2年の頃、通学路を歩いていた時、なんとなくこのまま進むのは駄目だと思った。

 車が来ない事を確認して、反対側の歩道に移った。

 少し歩くと、さっきまで自分が歩いていた歩道に高齢者の運転する車が突っ込んで来たのである。

 あのまま歩いていたら、直撃していたかも知れない。

 他にも、何だか嫌な予感がして進行方向を変えると、さっきまで自分がいたところに上から物が落ちて来たり、乗る予定だった電車を直前で回避したらその電車の中に怪人が出現したり。

 そういう事が、今までの人生で幾度となくあった。

 そして、2つ目の能力。

 霊感である。

 普通の人間には感知出来ない存在である心霊が見えてしまうのである。

 心霊たちの多くは、眼があっても無害である事が多かった。

 しかし、ごく稀に、眼があった瞬間に明らかな憎悪と攻撃性を漲らせて迫って来る心霊がいる。

 小学生の時に、悪霊に襲われた事があった。

 その時に、とある巫女に助けて貰った。

 その巫女から渡された御守りを、梓は肌身離さず持ち歩いている。

 その御守りの効果は絶大であり、たまに見かける奇々怪界な悪霊達は、梓と眼が合っても決して近付こうとはせず、むしろ何かに怯えるように遠ざかって行った。

 この御守りさえあれば、悪霊が自分に近づく事はない。

 

 しかし、今。

 

 梓のすぐ目の前にいる脅威は紛れも無く生きた人間であり、御守りは何の効果も示さない。

 御守りは静かだが、梓の中の危機察知能力が最大音量の警戒音を鳴らしている。

 梓は暗いニュースや事件を知る度に思う事があった。

 確かに悪霊は怖いが、本当に恐ろしい存在は生きた人間の方なのだと、常々思う。

 悪霊や怪人よりも、人間の方が遥かに邪悪で強い凶悪性を秘めている。

 そして曲がり角の向こうにいるあの男からは、凄まじく不吉なオーラを感じる。

 逃げなくては。

 

 梓が踵を返そうとした瞬間。

 

 しゅぼっ。

 という音が、小さく聞こえた。

 梓の足が止まった。

 頭の中に、反射的にライターが浮かび上がっていた。

 梓の脚は自然と元の方向に向き直り、恐る恐る路地を覗き込んだ。

 段ボールに、ちらちらと炎が点っていた。

 男は、梓がいる方向とは逆側に走り去っていった。

 

 (放火魔だ!)

 

 衝撃を受けたものの、梓は冷静だった。

 まずは落ち着いて消防と警察に連絡をして、何かで火を消さなくてはと思った。

 辺りを見回していると。

 

 「うぎゃっ」

 

 そんな声が聞こえた。

 梓は声をした方を見た。

 さっきの男が、宙を舞っていた。

 超能力のように飛んでいるのではない。

 強風に身体を吹っ飛ばされているように見えた。

 直後、男は火の点いた段ボールの山に背中から着地した。

 

 「ぐわアチッ!」

   

 男が声を上げた。

 男の身体と風圧で火は消えたらしく、煙が燻っていた。

 

 「おい、おっさん」

 

 聞いた事のある声がした。

 梓が視線を移すと、巨大な人影がすぐ近くまで来ていた。

 

 「あ」

 

 思わず梓は声を出した。

 同じクラスの、鬼木坂奮子だ。

 

 「自分の家が燃えたら嫌だろ?」

 

 低く呟きながら、鬼木坂奮子は倒れている男に近寄っていった。

 

 「ひっ……く、来るな!」

   

 男は心底怯えた表情をしていた。

 段ボールからはまだ煙が出ている。

 

 「この辺には民家が連立している。てめぇが付けた火が民家に燃え移ったらどれだけの涙が流れると思ってんだ?」

 

 鬼木坂奮子は、太い右足を倒れている男のみぞおちに置いた。

 そのまま、ぐぐっと、圧迫した。

 

 「くっ……あぶっ……苦しっ」

 

 「このまま腹を潰されるか、警察に行くか、どっちか選びな」

 

 「くっ、け……けいっ……さつ」

 

 男は命の危険を感じていた。

 全く呼吸が出来ない上、このままでは内臓が潰れる。

 両手で、必死に自分を踏み付けている脚をタップする。

 脚は大木のように微動だにしない。

 

 「放火したの、今回だけじゃねぇよな? 警察に行ったら余罪も全部話せよ。話さなかったら……」

 

 鬼木坂奮子は、右脚に僅かに力を込めた。

 

 「あぎっ……は、は、は、なす……話すっ」

 

 男は、涙と鼻水を撒き散らしていた。

 ようやく鬼木坂奮子の右脚が浮き上がると、男は身体を丸めて大きく息を吸い込み、その姿勢のまま嗚咽を漏らして泣き続けた。

 

 「てめぇがどんな悲しみを背負っているか知らねぇが、それを罪の無ぇ人間にぶつけるな」

 

 鬼木坂奮子が、男を見下ろしながら言い放った。

 

 「うっ……うっ」

 

 男は焦げた段ボールの上で、身体を丸めて泣くだけだった。

 

 「あ、あの」

 

 梓が声を発すると、鬼木坂奮子が顔を向けて、赤い瞳を僅かに大きくした。

 

 「ああ。えっと、嬢ちゃんは……同じクラスの……えっと」

 

 鬼木坂奮子は太い指で頬をぽりぽりとかいた。

 

 「黒猫山梓です」

 

 「ああ、そうだったな」

 

 鬼木坂奮子はどこか申し訳なさそうに小さく微笑みを浮かべた。

 

 「あの、あの男の人、吹っ飛んで来たけど……」

 

 「ああ。おれが投げたんだよ」

  

 「投げたって……」

 

 投げたって、ボールとかを投げるようにって事だろうか。

 

 

 「こらっ、お前たち何してる!」


 突然、男の声が聞こえた。

 鬼木坂奮子と梓が同時に振り向くと、そこに自転車に乗った若い警察官がいた。

 警察官と鬼木坂奮子の眼があった。

 直後、警察官の眼が丸く見開かれた。

 

 「……!?……鬼木坂!?」

 

 警察官の顔に、明らかな動揺の色が浮かんだ。

 

 「おお、若葉(わかば)じゃねぇか」

 

 鬼木坂奮子は僅かに笑みを浮かべた。

 若葉と呼ばれた警察官は、ごくりと息を飲んだ。

 

 「あんた、玄米市に移動になったのか。よく縁があるな」

 

 緊張した表情を浮かべる若葉警官に対して、鬼木坂奮子は終始余裕のある表情で見下ろしている。

 そんな2人を、梓は無言で見つめていた。

 どうやら鬼木坂奮子とこの警察官は知り合いらしい。

 それならそれで良いのだが。

 鬼木坂奮子のこの態度は何なのだろうか。

 警察官の方も強く緊張している。

 

 「……お、お前……む」

 

 ふと、若葉警官の視線が、焦げた段ボールの上で丸くなっている男に気付いた。

 

 「ああ、あの男、放火魔だよ。さっさと事情聴取しな」

 

 鬼木坂奮子は、男の方を顎でしゃくった。

 

 「余罪も白状するとよ。しっかり聞いてやんな」

 

 言いながら、鬼木坂奮子が歩き出した。

 さり気なく、左手で梓の肩に優しく触れていた。

 一瞬、梓の細い身体が小さく跳ねた。

 

 「夜は物騒だ。おれはこの嬢ちゃんを家まで送るよ」

 

 「ま、待て! 鬼木坂!」

 

 無視して、鬼木坂奮子は歩き出した。

 困惑しながらも、自然と梓の足がそれに着いて行く。

 

 「じゃあな、若葉。また怪人が現れたら連絡してや」

 

 「待てこのっ」

 

 若葉警官は鬼木坂奮子を追おうとしたが、すぐに足を止めた。

 段ボールの上で横たわる男が、もぞりと動いたからである。

 若葉警官は俊敏な動きで男に手錠を掛けて、無線のスイッチを入れた。

 

 その時には、鬼木坂奮子と黒猫山梓の姿がもう見えなかった。


 

 

 

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