筋肉第50話 電波
「ああ狂木博士。どうしました?」
山羊子は冷静な口調で言った。
『山羊子さん、僕があげた悪魔、祓いました?』
電話越しでも、笑みを浮かべていると分かる声だった。
「ええ」
山羊子も僅かに笑みを浮かべている。
『凄い人がいたものですね。だれが祓ったんです?』
「今、近くにいますよ。代わりますか?」
『お願いします。是非話してみたい』
山羊子は無言で、スマートフォンを奮子に渡した。
受け取った奮子は、獰猛な笑みを浮かべて声を出した。
「よぉ……! おれが誰か分かるか」
奮子の全身から熱気が迸り、髪が逆立っている。
『……おやおや。これはこれは。鬼木坂 奮子さんですか。お久しぶりです』
相変わらず微笑を浮かべていると分かる話し方だった。
「今どこにいる」
『会いたいんですか? 僕に』
「ああ。居場所を言え」
『市内とだけ言っておきましょう。先日、玄米女子高等学校に行きましたよ。校門で玄武さんに止められましたけどね』
「!」
瞬間、奮子の顔にびきりと怒筋が浮かんだ。
獰猛な肉食獣の瞳になっていた。
「てめぇ、学校に来たのか」
奮子の握っているスマートフォンが、みしりと鳴った。
『はい。僕に会いたいなら、玄武さんに言っておいて頂けませんか。次から僕は顔パスで通してくださいって』
奮子の全身から、更に灼熱の怒気が噴き出した。
「安心したぜ。てめぇがムカつく奴のままでいてくれて……!」
『どうしてそんなに怒ってるんですか? なんとなく電話越しに熱を感じます。あれ、なんか、耳が熱いです。おや? 僕のスマホから煙が出てきました』
「今から会おうぜ」
『千里玉に映っていませんか? それとも今は手元にないとか?』
「てめぇ……!」
奮子の眼が赤く発行していた。
修羅の貌をしていた。
『焦らなくても近い内に会えますよ。今ね、考えているんです。奮子さんのクラスメイトの内、山羊子さんの次は誰と友達になろうかなって』
ぷちっ。
という音が鳴った。
奮子のどこかの血管が怒りで切れた音だった。
直後、握り締めたスマートフォンの向こう側から、鈍い爆発音が鳴った。
電話が途切れた。
「あの、ちょっと、奮子さん。スマホ壊さないでくださいよ、マジで」
山羊子は本気で心配そうな表情をしていた。
「……大丈夫だ。壊れたのはあいつのスマホだ」
ふぅ、と息を吐きながら、奮子はスマートフォンを山羊子に返した。
「怒りのエネルギーが電波に乗って狂木博士のスマホを破壊したって事ですよね。もうそれ呪いじゃないですか。凄いですね」
「あいつだけは許さねぇ」
奮子の顔に浮き出た血管は未だにぴくぴくと動いている。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ。今、自分がどんな顔してるか分かってます? 凄い怖い顔してますよ」
そう言われた奮子は長く息を吐き出した。
そして湯呑みに入った茶を一気に飲み干すと、机の上にことんと置いた。
すると奮子の表情はいくらか落ち着いていた。
「山羊子。狂木の居場所が分かったら教えて欲しい」
奮子は真っ直ぐに山羊子を見つめた。
「奮子さんの頼みとあらば。必ず教えますよ」
にこりと山羊子は笑った。
「ありがとう」
奮子は穏やかな表情で外を見つめた。
柔らかな風が奮子の赤髪を揺らしている。
そんな横顔を見つめているうちに、自然と山羊子の口が開いた。
「洋子に代わりましょうか?」
洋子にも、奮子と二人きりで過ごす時間を楽しんで欲しい。
山羊子の胸の内を、そんな思いが満たしていた。
奮子は山羊子の方を向いて見つめた。
「自在に出来るのか?」
「ある程度は。それに、なんだか少し眠くなって来ました」
事実だった。
自分の身体から悪魔が消えたからだろうか。
先ほどから、妙な眠気を感じていた。
「奮子さん、腕まくらしてもらえませんか」
山羊子の今の素直な願望だった。
「……いいよ」
奮子は薄く微笑みを浮かべて頷いた。
すると、奮子は畳の上に仰向けに寝転がり、右腕を広げた。
「来な」
柔らかく温かい声で奮子が言った。
すると山羊子はゆっくりと奮子に近付き、隣に寝転んだ。
そして身体を少し丸めて、奮子の腕に頭を預けた。
「幸せです」
山羊子は唇を綻ばせた。
「そうか」
奮子の瞳には、優しい光が満ちていた。
「おやすみなさい」
そう言って、山羊子は目を閉じた。
長いまつ毛が、微風に揺れていた。