筋肉第36話 ダークヒーロー
昼休み。
静かな屋上で、奮子はフェンスに背中から寄りかかって青い空に優雅に流れる白い雲を見つめていた。
その隣で、獅子崎 礼央も空を見つめていた。
礼央は右手に紙パックの無調整豆乳を持っており、時折ストローを口に運んでいる。
「……怪人にやられたのか?」
空を見つめながら、礼央が聞いた。
「……ああ」
同じく空を見つめている奮子が、ぽつりと答えた。
「おめぇがそんなになっちまうとは、よっぽど強ぇ奴だったんだな」
「ああ。竜怪人だった」
「竜怪人?」
「古代竜の力を持つ怪人だ」
「なんでそんなのが街にいるんだ?」
「……昨日、赤帽子と戦闘になったんだが。赤帽子の仮面に亀裂が入った直後、黒澤と名乗る竜怪人が現れたんだ。赤帽子は逃亡。その後、おれと竜怪人のタイマン。それでこのザマだ」
「……」
「赤帽子は怪皇會のメンバーだった。竜怪人もな」
「ふぅん」
「怪皇會は洒落にならん攻撃力を保有しているみてぇだ」
言ってから、奮子はふっと笑った。
その顔を無言で見つめる礼央の眼には、僅かに哀愁の光が宿っていた。
この自分が手も足も出なかった鬼木坂 奮子。
その奮子に、完全勝利する者の存在。
礼央の胸の内を、悲しみと悔しさと羞恥心が灯ったのはほんの一瞬だった。
自分は本当に井の中の蛙だったのだと改めて思うと同時に、どこかわくわくしている。
この世界は、なんて広いのかと思った。
「奴らは国家転覆でも狙ってんのかも知れん」
そう言う奮子の瞳には、優雅に流れる白い雲が写っている。
「そうか。そりゃ、玄女B組のあたしらが頑張らなきゃいけねぇな」
礼央がぽつりと言った。
奮子の視線が、すっと礼央に移動した。
「聞いたぜ。覚醒のこと。そしてこの学校の秘密もな」
礼央が真顔で言った。
「誰に聞いたんだ?」
奮子が問うと、すぐに礼央は応えた。
「誰だって良いだろ?」
しばらく、2人はお互いに見つめ合った。
無表情の奮子に対して、礼央の瞳には僅かに獰猛さが宿っていた。
そして、礼央は続けて言った。
「いざ秘密を知るとよ、笑っちまったよ。確かに、思い当たる節はたくさんあったんだ。どの学年もB組の奴らって個性的だよなとは思っていたんだよ」
頭をぽりぽりとかきながら、礼央は、はは、と笑った。
そして、続けた。
「流石にちょっとショックだったぜ。あたしが……あたしのクラスメイト達が、怪人予備軍だったとはな」
「……全員が怪人になるわけではない」
奮子の声には真剣な響きがあり、表情も真面目だった。
対して礼央は、優雅な微笑みを浮かべている。
「ふん」
礼央は鼻で笑った。
奮子は無言だった。
礼央は空を見上げながら、独り言のように語り出した。
「世の中には、異魂っつーのを授かって生まれて来る人間が一定数いて、ある日突然特殊な力を使えるようになることを覚醒という。そんで覚醒した異魂持ちの事を、解魂人と呼ぶ……だろ? 奮子」
「……ああ」
「そんで怪人ってのは、異魂の力によって異形と化した解魂人だったんだな」
「……そうだ」
奮子は無表情で遠くを見つめたまま答えた。
「で、犯罪を犯すような悪い怪人もいれば、そいつらと闘う正義の怪人もいる……と」
「ああ」
「この学校は正義の怪人養成機関だったわけかよ」
「そうとも言えるが、それはやや言い過ぎだな」
「あん? 説明してくれよ」
「……年々被害が大きくなる怪人犯罪への対応策として、異魂持ちの者を集め、監視し、覚醒した者が通常の生活を送れるように導く事を目的とした施設がいくつか存在する。玄女はその内のひとつだ」
「……」
「玄米市の中学校には、異魂の有無を見極められる教師が必ずいる。中学校で異魂持ちと選別された生徒達は、必ず専門の高校に入学するように誘導される。女子なら玄女だ。そして玄女に入学した異魂持ちはみんなB組にクラス分けされる。この事実は、基本的に生徒本人には知らされていない。保護者にもな。覚醒さえしなければ、普通のJKと変わりないからな」
「……在学中に覚醒したらどうなるんだ?」
「その時に教師達から全てを明かされ、力をコントロール術を身に付ける修行をさせられる。形態変化が起きて怪人化した場合は、一時的に力を抑える薬を投与される」
「……へぇ、そんな薬があるのか。力を制御出来なかったら?」
「専門の施設に送られる。制御出来るようになるまでその施設からは出られない」
「……ふぅん。そこから脱走したら?」
「犯罪を犯した怪人と同じ扱いを受ける」
「へぇ」
礼央は手に持った豆乳を一口飲んで、少しため息を吐いた。
「……ちなみに、おれのように解魂人でありながら特待生として入学、又は転入して来るやつは、何も知らない生徒に異魂の事を教えてはならないという決まりがある。精神的なショックから力が暴走する可能性があるからだ」
「へぇ。だからお前は、あたしに言わなかったのか」
「……まぁ、な」
「悲しいぜ。お前にはあたしがそんなヤワに見えてんのかよ」
「……いや」
奮子は目を逸らして頬をぽりぽりとかいた。
「ふん……で、奮子、お前はいつ覚醒したんだ?」
礼央が穏やかな微笑みを浮かべながら、奮子を見た。
奮子も礼央の顔を見て、答えた。
「10歳の時だ」
答えた奮子は、遠い眼をして当時の記憶を微かに蘇らせた。
小学生のクラス遠足。
みんなで乗っていた大型バス。
景色の綺麗だった山道。
突如、何かにぶつかる衝撃。
激しく揺れる車内と響き渡る悲鳴。
崖から転落する車体。
傷付き倒れているクラスメイト達。
そして。
こちらにゆっくりと近付いて来る異形の怪人。
その怪人が、倒れている友達を雑に蹴り飛ばした。
まるで、ゴミか何かを蹴り飛ばすかのように。
それを見て、プツン、という音が聞こえた。
気が付いたら。
怪人に馬乗りになって、そいつの顔をめちゃくちゃに殴っていた。
疲れて拳を止めた時には、そいつの顔が潰れていた。
「……とある怪人に襲われたのがきっかけだ」
奮子は短くそれだけ言った。
「そうか」
礼央も短く応えると、再び空を見上げた。
そしてぽつりと問うた。
「奮子、お前は正義の味方なのか?」
「そうではない。おれは殺人だって犯している」
「お前が殺るのは悪い奴だけだろ?」
「まぁな」
「それと悪い怪人か」
「ああ」
「なぁ、ぶっちゃけ怪皇會って何なんだ?」
「簡単に言うと、解魂人で構成された過激派組織だ」
「そうか」
礼央はストローを口に含んで中身を飲み干すと、再び奮子に向き直った。
「なぁ、奮子」
「?」
「玄女B組だからって、全員が覚醒するわけじゃないんだよな」
「ああ。異魂持ちの内、覚醒するのはおよそ8人に1人の割合だ。そして15歳から18歳の期間の覚醒が最も多い。15歳未満と19歳以上の覚醒は極めて稀だ」
「へぇ」
「そして異魂持ちの人間は、覚醒していなくても一般人よりも秀でた能力を持っている場合が多い。それは異魂の力が無意識の内に僅かに漏れ出ているからだ。その漏れ出ている力の事は微香と呼ばれている。異魂持ちに個性の強い人間が多いのはその為だ」
「へぇ。納得いったよ。いろいろとな」
礼央は優雅に流れる雲を見つめた。
そして思う。
一般人と明らかに一線を画す自分の身体能力の高さと戦闘力。
それは自分の才能だと思っていた。
しかし実際は、自分の奥深くに潜む異魂から漏れ出る力を借りていたに過ぎなかった。
いや、しかし。
生まれ持った異魂。
それも才能と言えるのではないか。
「ふっ」
思わず、礼央は笑った。
奮子が礼央の顔を見た。
すると、礼央も奮子の顔を見た。
「なぁ。解魂人の内、怪人になるのはどのぐらいの割合なんだ?」
「半々ぐらいだな。好戦的な人間ほど、怪人になり易いらしい」
「ふん」
また、礼央は笑った。
「んじゃ、あたしは怪人確定だな」
「安心しろ。怪人化しても人間の姿に戻れる事の方が多い」
言ってから奮子は笑った。
逞しい歯並びが光った。
「ふぅん。奮子、お前は自在に怪人化出来るのか?」
「……さぁな」
奮子は遠くの景色を穏やかな表情で眺めた。
「なんだよ。言いたくねぇのか」
「まぁ」
「ふん。なぁ、あたしが怪人化したらさ、すげぇ残虐な感じの見た目になるんじゃねぇかな」
「なんでだ」
「クズ共をこの手でぶっ倒している時……すげぇ気持ち良くて、どうしようも無い程の快感なんだよ。だから外見も、マジで悪役って感じのになるんじゃねぇかな」
礼央は軽く手を握って、鍛えられた拳を見つめた。
拳ダコがいくつも出来ている。
「そしたらあたしはマジで悪役になっちまう。そんで、お前みたいな正義のヒーローに倒されるんだ」
「……獅子崎、あんたは獲物をクズ共に絞っている。善良な一般人には決して危害を加えない。あんたのやってる事は法律に反してはいるが、悪人気質ではない。言わばダークヒーローだな」
「随分優しい言葉を言うじゃねぇか。ってよく考えたらお前もやってること同じか」
礼央は奮子の顔を見て笑った。
普段の獰猛さは無く、可憐な少女の微笑みだった。
「おれとあんたは似ている」
奮子も礼央の瞳を真っ直ぐに見ながら言った。
「どこが?」
「フェミニストなところだ。クズ男には容赦しないが、女には甘い。だろ?」
「ふっ」
また、礼央は笑った。
穏やかな瞳が、綺麗な形に細くなった。
「奮子、お前も女が好きなのか?」
「さぁな」
「はっきり言えよ」
楽しげに、礼央はまた笑った。
奮子も微笑みを浮かべている。
「なぁ、奮子」
「なんだ」
柔らかな風が2人の髪を揺らした。
直後、礼央が奮子の目を見て言った。
「あたしが覚醒したら、もう一度やろうぜ」
「……構わんが」
「あたしが勝ったら、お前、あたしの女になれよ」
礼央は微笑みを浮かべていたが、その眼には真剣な光が宿っている。
「またそれかよ。昨日、赤帽子に同じことを言われたんだがな」
奮子は後頭部をかきながら笑った。
「モテモテだな。だがお前は他の奴には渡さねぇ。ダークヒーロー同士、相性が良いと思うんだよな、あたしら」
そう言う礼央の茶髪を、柔らかな風が優しく揺らしていた。
2人はしばらく、薄く笑い合いながら見つめ合っていた。




