筋肉第31話 屋上にて
昼休み。
1年B組の教室は昼食を食べる生徒達の楽しそうな声に溢れていた。
入り口から1番近い席に座る牛崎みるくは、食べ終えた弁当箱を片付けていた。
「きみ、ちょっといいかな」
ふいに、入り口から声が聞こえた。
みるくが見上げると、入り口に、威風堂々とした空気を放つ女が立っていた。
みるくは眼を見開いた。
「獅子崎……先輩」
みるくがぽつりと呟くと、獅子崎 礼央はにやりと不敵に笑った。
「あの……なにか?」
みるくは緊張した。
3年生。
空手部主将。
可憐なる百獣の王と謳われる獅子崎礼央。
部活発表会の時は確かにかっこいいとは思ったが、こうして面と向かって会っているとまるで猛獣と向かい合っているかのような恐怖を感じる。
「鬼木坂奮子、呼んで欲しいんだけど」
礼央が言うと、みるくが一瞬眼を大きくした。
直後、礼央の視線が下がった。
みるくの制服を内側から盛り上げているはち切れんばかりな豊満な胸に、つい気を取られた。
礼央はすぐに視線を上げて、みるくの大きな瞳を見て薄く微笑みを浮かべた。
(胸でけーな。触りてー)
顔には一切出さず礼央がそんな事を思っていると、牛崎みるくは、わかりました、と言った。
その時。
「礼央さん!」
嬉しそうな声が聞こえた。
みるくが振り向くと、そこには三津亜 羅照がいた。
みるくは驚愕した。
普段、羅照はちょっと怖い表情をしているのだが、今の彼女は頬をほのかに紅く染めて、瞳を輝かせて、にこやかに笑っているのである。
「おう、羅照」
礼央が羅照の嬉しそうな顔を見つめながら言った。
「どうしたんですか? 礼央さん」
「鬼木坂、呼んでくんねぇ?」
瞬間。
羅照の表情が一変した。
星空のような微笑みが消えて、その両眼に一気に鋭い刃物のような光が宿った。
「あいつに何の用があるんですか」
羅照が言った瞬間。
礼央の視線が、僅かに上を見た。
羅照は瞬時に背後を振り向いた。
すぐ背後に、鬼木坂奮子が立っていた。
奮子は無表情。
礼央は不敵に笑っている。
「何だ?」
奮子が口を開いた。
「てめぇ奮子っ! 礼央さんにタメ口きいてんじゃねぇぞっ!」
羅照は今にも噛み付きそうな勢いで叫んだ。
「黙ってろ羅照」
礼央が冷たく言うと、羅照は意気消沈した様子で黙り込んだ。
「鬼木坂……ちょっとツラ貸せよ」
礼央はそう言うと、廊下に向かってすたすたと歩き出した。
奮子は静かに歩き出した。
「あの……鬼木坂さん」
みるくが、不安そうな表情で呼び止めた。
「ああ、心配すんな。戦って来るわけじゃない」
奮子はそう言うと、教室から出て行った。
みるくはすぐ隣にいる羅照に顔を向けた。
羅照は視線を下に下げて、肩ががくりと落ちている。
「あ、あの、三津亜さん。大丈夫だよ。ほら、戦って来るわけじゃないって言っていたし」
明らかに落ち込んでいる羅照を見て、みるくは思わず慰めの言葉をかけていた。
「……ちくしょう」
ぽつりと呟いた羅照の両眼に、涙が浮かんでいる事にみるくは気付いた。
その瞬間、みるくの胸の内に母性が溢れ出した。
「三津亜さん、悩まないで。話だけでも聞くよ?」
「……おめぇに言ったとこで……」
羅照は顔を上げた。
目の前にいる微笑みを浮かべている巨乳の少女が、聖母のように見えた。
すると羅照から涙が溢れ出し、まるで吸い寄せられるように、みるくの身体に向かって一歩踏み出した。
「……っ!」
抱き付く寸前で、羅照は耐えた。
今、自分は何をしようとしたのかと思った。
羅照とみるくは、至近距離でお互い見つめ合った。
すると羅照は、くるりと踵を返し、教室の外へ走り去って行った。
みるくは驚いた様子で、走り去る羅照の背中を見つめていた。
なぜか高鳴っている胸の鼓動が、妙にうるさく感じた。
ーーーーー
爽やかな風が吹いている。
清々しい晴天には白い雲が優雅に流れていた。
鬼木坂奮子と獅子崎礼央は、誰もいない屋上に、2人で横並びに立っていた。
獅子崎礼央は、両腕を広げて肘をフェンスにのせて、背中を預けている。
鬼木坂奮子は、両腕を組んで背中をフェンスに預けていた。
獅子崎礼央は、たった今、昨夜の出来事を話し終えたばかりだった。
珍走団サバンナの総長、象岩 鼻尾のこと。
そして、赤帽子が言っていた事を。
「……狂木博士ってのと、怪皇會が手を組んだんだとよ。それを鬼木坂奮子に伝えろと、はっきり言われたぜ」
言ってから、礼央は奮子を見た。
奮子は両腕を組んで、無言で遠くの景色を見つめていた。
「なんだその狂木博士ってのは。おめぇとどういう関係があるんだ」
「1年前、阿武内事変があっただろう」
「ああ」
礼央は頷きながら1年前、世間を騒がせた事件を思い出していた。
阿武内事変。
玄米市の隣の街、阿武内市の市役所を、武装したテロリスト達が占拠した事件である。
「狂木は、あの事件の首謀者だ。奴は悪魔を利用した人体改造で作り上げた屈強なテロリスト集団を使ってあの事件を起こした」
「なんでお前がそんな事知ってんだ?」
「あの現場で、おれは狂木と戦ったからだ」
「!」
「テロリスト達は殲滅したが、狂木は警察の包囲網を突破して逃げ切った」
「……それでこの街に潜伏してるってわけかよ」
「おそらくな」
奮子の視線が、再び遠くの景色に移動した。
礼央は奮子の横顔をじっと見つめた。
柔らかいそよ風が、礼央と奮子の髪を揺らしている。
「その狂木博士が怪皇會と手を組んだのは、お前を倒す為なんじゃねぇのか?」
「……分からんが、そうかも知れん」
「赤帽子はあたしにまた学校で、と言ったんだ。この学校にいる可能性あるよな」
「ああ」
「赤帽子が狂木の手先だとすると、お前は常に監視されているようなもんだぜ」
「ああ。そうなるな」
柔らかい春風が吹き抜けた。
礼央と奮子の髪が揺れた。
「赤帽子が誰なのか心当たりねぇのか」
「ねぇな。が、阿武内事変に関与していたテロリスト達の身内の可能性はある。それなら狂木との繋がりがあってもおかしくない。もしそうならおれに深い恨みを持っているはずだ」
「そんなに酷くぶちのめしたのか?」
「ああ。というか、狂木以外全員殺した。狂木だけ、逃げられちまったんだ」
奮子が言うと、礼央はくすりと笑った。
「奮子、お前も結構暴れてんだな」
「まぁな。悪党は許せねぇんだ」
「ふん」
礼央は白い歯を見せて笑った。
「その狂木とかいう科学者、あたしも探すぜ」
ちらりと、奮子は礼央を見た。
「前から探してはいるんだがな。だが見つからん」
「……どうやって探してんだ?」
「千里玉って便利な神具があってね」
「なんだそりゃ」
「千里眼の効果を持つ水晶玉だ。その水晶に掌を当てて何か思い浮かべると、水晶に念じたものが映るんだ」
「ふぅん。良いなそれ」
「だが狂木はその水晶に一向に映らん。奴は狂ってるが天才科学者だ。千里玉に映らないようにする為に何か細工をしているんだと思う」
「へぇ」
礼央は鼻を鳴らした。
一瞬、外の景色に視線を移動させた後、再び奮子の方を向いた。
「なぁ、奮子」
「なんだ」
「正直に言えよ。あたしと、その狂木博士って奴、どっちが強い?」
「……」
奮子は無言で礼央の瞳を見つめた。
赤い瞳と、猛獣の瞳が空中で交わっている。
「狂木だな」
はっきりと、奮子は言った。
「はっ。そうかよ」
礼央は不敵にして楽しそうな笑みを浮かべた。
「……赤帽子の野郎がよ、あたしが覚醒してないのにその強さはなんたらかんたらとか言っていたんだがよ」
「……」
奮子は無言で外の景色を眺めていた。
「覚醒ってなんのことだ」
柔らかい風が吹き抜けた。
礼央と奮子の髪を揺らした。
「……知らねぇな」
ぽつりと、奮子が言った。
「嘘つくんじゃねぇよ。あたしの勘を舐めんな。てめぇ、知ってんだろ」
礼央の瞳が鋭くなった。
猛獣が獲物を捉える時の眼光である。
「ぶっちゃけよ、あたしの身体能力や戦闘力って、ちょっと異常だろ? お前には負けたけどよ。あいつの言う覚醒って、そう言う強さと関係あるんだろ」
「……」
奮子は答えずに、遠くの景色を見つめていた。
すると、昼休みの終了5分前のチャイムが鳴り始めた。
「けっ。シカトかよ」
「……悪いな。言えない事情があるんだ」
奮子は遠くを見つめたまま言った。
「そうかよ。なぁ、覚醒ってさ、内に秘めた力を解放するとかそんなんだろ、どうせ。ってことはよ……もしあたしが覚醒したら……もっと強くなるって事なんじゃねぇのかな」
「……」
「そうなったらよ」
肉食獣の眼差しで、礼央は奮子を睨み付けた。
「狂木も赤帽子もあたしが殺してやるよ。その後はてめぇにリベンジだぜ。楽しみにしとけよ奮子」
そう言って、礼央は背中を向けて歩き出した。
奮子は無言で礼央の背中を見つめた。
礼央が扉を開けて階段を降って行くのを見届けると、奮子は遠くの景色に視線を戻した。
腕を組んで、しばらく風に吹かれていた。