筋肉第3話 ひったくり
日辻山 羊子は歩道を歩いていた。
緩くウェーブのかかったショートボブの茶髪が、彼女の緩い雰囲気によく似合っている。
この春、玄米女子高等学校に入学してから3日目の朝であった。
桜がちらちらと舞う歩道を、同じ学校の制服を着た女子や他校の生徒、会社員だと思われる大人達も歩いている。
羊子の前から、杖を着いて歩く老婆がゆっくりと歩いて来た。
左手に杖を持ち、右手にバッグを掲げている。
そこに。
その背後から、黒い姿の男が走って来た。
服もズボンも靴も帽子も全て黒で統一されている。
その黒尽くめの男は、慣れた手付きで老婆からバッグを乱暴にひったくった。
「あ!」
羊子は声を出したが、あまりの突然の出来事に身体が動かない。
黒尽くめの男が、羊子のすぐ横を通り過ぎた。
直後。
「おっと」
羊子の斜め後ろから、そんな声が聞こえた。
同時に、さっきの黒尽くめの男が、巨大な壁に弾かれたように尻もちをついて転倒した。
黒尽くめの男は、突然現れた壁を驚愕の表情で見上げた。
羊子も、横に顔を向けた。
「お……鬼木坂さん……」
クラスメイトの鬼木坂奮子が、横に立って黒尽くめの男を見下ろしていた。
黒尽くめの男を弾いた壁は、鬼木坂奮子の腹筋だったのである。
「こら、おっさん」
低く呟きながら、鬼木坂奮子がしゃがみ込んだ。
「人のもん、強奪しちゃダメじゃねぇか」
「な、なんだてめぇ!」
黒尽くめの男は、尻もちをついたまま後退りした。
「それに、あの婆さんが転んだらどうするんだ? 危ねぇじゃねぇか」
「ち、近付くな!」
「バッグを返しな」
「くそっ! 覚えてやがれ変態ゴリラ!」
黒尽くめの男は、バッグを鬼木坂奮子に投げ付けると、立ち上がって一目散に駆け出して行った。
「覚えておくのはてめぇの方だ。次またやったら痛い目にあうぜ」
逃げ出す男の背中に言った後、鬼木坂奮子は老婆の元に駆け寄り、バッグを渡した。
「怪我はねぇか? 婆さん」
鬼木坂奮子は老婆を見下ろしながら穏やかに声を掛けた。
「おやおや、ありがとうねぇ」
老婆は糸のように眼を細めてにこりと笑った。
「気をつけてな」
そう言うと鬼木坂奮子は、ふと視線に気付いて、日辻山 羊子に視線を這わせた。
洋子の身体が、一瞬びくりと震えた。
「おお。同じクラスだったよな。えーと」
鬼木坂奮子は眼を逸らして、太い指で頬をぽりぽりとかいた。
「あ、あの、日辻山 羊子です」
羊子は上目遣いに見つめた。
「ああ、そうだったな。鬼木坂奮子だ。よろしくな」
鬼木坂奮子は、にこりと太い笑みを浮かべた。
羊子の心臓が、とくんと小さく跳ねた。