筋肉第20話 呪いのVHS
貞 麗子は胸を躍らせながらビデオデッキをセットしていた。
古びたVHSの背には「鈍いノロイ」と書かれたシールが貼ってある。
このビデオはインターネット上においてオカルトマニア達から伝説的な存在となっているものの、どこにも販売していない為に非常に入手困難な代物であった。
そんな中。
麗子は、たまたま立ち寄った中古ショップて偶然見つけたのである。
値段は、500円。
心霊ものやオカルトが好きな麗子は、見つけたその瞬間に購入していた。
ビデオをセットし、スイッチを入れる。
しばらくの砂嵐の後、ふいに映像が始まった。
古い一軒家を、庭先から映している。
麗子の心臓が高鳴っている。
なぜ、このビデオがオカルトマニアから崇拝されているのか。
それはこのビデオには呪いが掛かっており、見た者は呪われると言われているからである。
呪いがあるのならば、呪われてみたい。
麗子の度を越えたオカルト好きが、一般人に備わっているはずの恐怖心というものを消していた。
麗子は無言でテレビ画面を見つめている。
すると。
映し出されている一軒家の窓が、ゆっくりと開いた。
家の中から、人間が出てきた。
白い着物を着た女のようである。
垂れた長い髪が、顔を隠している。
ゆっくりと、女は画面に向かって近づいて来る。
「わぁ」
麗子は笑顔になった。
眼が星空のように輝いている。
わくわくして踊り出したい気分だ。
この映画はなんだか凄そう。
なんかこう、オーラを感じる。
凄い。
これからどうなるんだろう。
気付けば、画面の中の女の顔がアップになっていた。
垂れた髪の隙間から、ぎょろりとした眼が見える。
麗子は、自分の視線とその女の眼が合っているような気がした。
凄い。
これは凄いぞ。
これは、本物かも知れない。
今日、やっと、幽霊とか、心霊とか、呪いとかを肌で感じる事が出来るかも知れない!
すると。
テレビ画面が、唐突に膨らんだ気がした。
直後、テレビ画面の中から、その女が這い出て来た!
「うひゃーっ!」
麗子は歓喜の声を上げた。
なにこれ!
なにこれぇ!
凄い!
凄すぎる!
思わず麗子の方からその女に近付いた、その瞬間。
その女が、細い腕を伸ばして麗子の手をがっちりと掴んだ。
直後、その女がぼそりと呟いた。
「次はお前だ」
瞬間。
麗子はテレビ画面の中に引きずり込まれていた。
上半身が画面の中にトプンと入っている。
「えっ? えっ!?」
腕を引っ張られながら、麗子の頬が紅く昂揚していた。
頭の中が高速で回転している。
次はお前だ?
という事はつまり。
この着物の女性が今演じている役を、私がやるって事!?
ビデオの中に入ってしまうという事!?
きゃあ凄い!
凄いわくわくするけど怖そう!
ていうか今もめっちゃ怖い!
怖いけど楽しい!
どうしよう!
どうなっちゃうんだろう!?
もはや麗子の身体のほとんどがテレビ画面の中に吸い込まれている。
テレビの外に出ているのは、右の足首のみである。
「わぁ〜っ!」
麗子の興奮度が最大級のものになった。
わくわくしてたまらない!
と、その時。
自分の右の足首に、痛みが走った。
何か、強い力で挟まれているような痛みだ。
まるで万力に挟まれているような。
同時に、麗子の身体が逆戻りし始めた。
テレビ画面の内部から外へ、引っ張られ始めたのである。
「えっ!? えっ!?」
なに!?
今度はなに!?
明らかに誰かが自分の足を引っ張っている!
だれ!?
「逃がさない」
自分の手を掴んでいる白い着物姿の女が、歯を食いしばりながら呟いた。
麗子の身体がテレビの中へと引っ張られる。
それに負けじと、足も引っ張られる。
麗子の身体が、ぴんと張った。
「痛っ! ちょっ……いたたたた!」
麗子の身体に痛みが走る。
身体が引きちぎられそうだ。
すると。
麗子の足の方から、「ふんっ」という息を吐く声が聞こえた。
同時に恐ろしい程の力で足を引っ張られた。
麗子の身体がテレビの外に完全に出た。
それに釣り上げられるように、麗子の手にしがみついている白い着物姿の女もテレビから出て着た。
麗子は部屋の中をごろごろと転がった。
何が何だか分からないまま、顔を上げた。
すると。
そこには、女子校の制服に身を包んだ屈強な女が立っていた。
プロレスラーのように威圧感のある肉体。
肩や背中の肉が服を内側から押し上げており、制服がはち切れそうである。
露出している腕や脚の筋肉は岩のようである。
そして、ショートカットの赤い髪。
凛々しい眉毛の下にある宝石のような赤い瞳が、麗子を見ていた。
「お、お、おに、おに……き……ざか……さん……!?」
麗子は眼を見開いた。
どうして。
鬼木坂 奮子が、私の部屋に!
「おい、貞 麗子」
奮子が、ぽつりと呟いた。
「は、はい……!?」
麗子の身体がびくりと震えた。
正直、白い着物を着た女よりもこの赤髪の女の方が怖い。
「呪われているモンに迂闊に手ぇ出しちゃ駄目だぜ」
「はいっ!?」
すると、奮子の視線がすっと動いた。
それに連動するように、麗子の視線が同じ方を向いた。
視線の先に、白い着物姿の女が立っていた。
黒い髪は突風に吹かれているかのように逆立っており、ぎょろりとした眼をカッと見開いている。
「貴様ぁ……」
白い着物姿の女は、凶悪な眼差しで奮子を睨み付けながら唸るように声を出した。
「もう少しだったのに……」
「あんたも呪いを受けて大変だったろう。辛かったよな。だが、おれのクラスメイトに手を出させるわけにはいかねぇんだ」
平然と奮子が言った。
「許さんぞ! 呪い殺してやる!」
白い着物の女が、修羅の形相で奮子に飛び掛かった。
その瞬間、奮子も前に一歩踏み出すと同時に右の掌を突き出していた。
そしてその掌が、優しく、ぽんっ、と、白い着物姿の女の額に触れた。
「もう、苦しまなくていい。成仏しな」
穏やかな声で奮子が言うと同時に、掌から眩い白い光が迸った。
次の瞬間、白い着物姿の女が、まるで風に溶けていくかのようにさらさらと消え始めた。
数秒後、その姿は光る砂となって、開け放たれた窓から外へ風に流れて行った。
「危ないところだったな」
奮子はそう言いながら、床に座り込んでいる麗子に視線を這わせた。
「……あの……えっと」
麗子は何か言おうとするが、なかなか言葉が出て来ない。
「呪いや悪霊ってのは実在するんだ。オカルトもほどほどにな」
奮子はそう言い残し、開け放たれた窓の方へゆっくりと歩いて行った。
「じゃあな」
そう言うと奮子は窓の外へ踊り出て、夜の闇の中へと静かに消えて行った。
「な……えと……えっと」
麗子は唖然としていた。
何だったんだ。
勝手に他人の家に入って来て、勝手に何をやって行ったんだ、あの人は。
ふわりと夜風に揺れているカーテンを、麗子は呆然と見つめていた。