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6 わたしは彼女のものだったのに

 恥の多い生涯を送って来ました。


 両親の顔も知りません。

 救貧院で育ちました。

 人生に意味はないということを、当然のように分かっていました。

 きっと大人になれずに死ぬのだろうと、先に楽になった同胞達を見て思っていました。


 転機が訪れたのは、七つの時です。

 孤児の中でわたしが選ばれたのは、ただ同性で、年が近く、物静かだったから。それだけの理由だったと思います。


 屋敷に連れて行かれると、見たこともないほど綺麗な女の子がいました。当時わたしは、あまり言葉を知りませんでしたから、お姫様のようだと思いました。


「ミア! あなたはこれから、わたくしのものよ!」

 

 炎のように燃える赤毛をしたエレノア様は、本当に嬉しそうにわたしを抱きしめてくれました。

 人は温かいのだと、そのとき初めて知りました。他の誰が、こんなわたしのことを抱きしめてくれるというのでしょう。わたしは、声を上げて泣きました。


 その瞬間、分かりました。人生に、意味はあったのです。

 エレノア様のためだけに、この人生はありました。


 エレノア様は、たくさんのことを、物知らずなわたしに教えてくれました。

 わたしは彼女によりよく仕えようと、家事の合間に勉強をして、武術を習い、淑女としての立ち回りを学びました。


 エレノア様は、時にわたしに手を上げました。それは彼女が寂しいときとか、悲しいときとか、どうしようもなく誰かに何かをぶつけたいときです。

 わたしは当然、受け止めました。

 彼女の痛みは、わたしの痛みだったからです。

 

 わたしたちの関係が変わったのは、エレノア様の婚約からでしょうか。


「わたくし、いつか王妃になるのかもしれないわ」


 エレノア様と婚約をされたウィリアム様には、ヒース様という兄がいらっしゃいました。だからエレノア様が王妃になることは、確率的にはあまりないでしょう。

 ですが幸せそうなエレノア様を見て、それこそ自分のことのように喜んだものです。


 エレノア様は、あまりわたしを気にかけなくなりました。

 どこへ行くのにも一緒だったのに、エレノア様がウィリアム様と行動を共にされている間は、置いて行かれることが多く、そんなときわたしは一人で過ごしました。彼女に叩かれなくなったので、わたしの体に痣はもうありません。

 

 寂しくなかったと言えば嘘になります。だけどそれ以上に、エレノア様が幸福であることを嬉しく思いました。


 雲行きが怪しくなったのはいつからでしょう。

 エレノア様は、ああいうお方です。人を熱烈に愛するのです。それが時に、殿方を困らせることを、わたしは後になって知りました。

 お二人の間に、何が起こったのか、わたしが詳細を知ることは、今日までありません。ですが、ウィリアム様は他の女性に心を奪われ、エレノア様に婚約破棄を言い渡しました。

 エレノア様が、素直に応じるはずもありませんでしたが、ウィリアム様はエレノア様を病気だと決めつけ、地方に戻るように言いつけました。その後すぐに、彼は別の女性と婚約しました。


 エレノア様は、ご自分で屋敷に火を放ちました。

 わたしが、用事を言いつけられ、外に出ていたときでした。


 炎に包まれ、しかしエレノア様は生き残りました。

 全身に火傷を負いながらも、彼女は言いました。


「ウィリアム様を、殺してやりたい――」


 わたしはエレノア様のものです。


 エレノア様の幸福は、わたしの幸福です。

 エレノア様の悲しみは、わたしの悲しみです。

 エレノア様の絶望は、わたしの絶望です。


 エレノア様は、泣きました。

 彼女の顔は火傷によりつっぱり、美しかった顔は、筋肉さえも動かせないほど変わり果て、涙さえ流すことはできませんでしたが、それでも泣いていたのです。わたしには分かります。


 わたしは一体、なんのために勉強をしてきたのでしょう。なんのために、武術を習ったのでしょう。

 すべてはエレノア様のためです。だってわたしは、彼女のために存在しているのですから。

 ですが彼女を守れませんでした。体も、心も――。


 衝撃だったのは、彼女の痛みの矛先が、わたしに向かわなかったことです。もはやわたしは彼女の影ではありませんでした。遂にそうでは、なくなってしまったのです。


 エレノア様が国王陛下から、ヒース様との結婚を言い渡されたのは、それからすぐのことでした。


 怒りが沸きました。

 未だ寝たきりのエレノア様が、どうやって結婚などすることができるのでしょう。醜聞を恐れた王家が、後始末のためにそうしたのは明白でした。


 エレノア様は言いました。

 自分の代わりに彼と結婚をして、ウィリアム様に復讐をする機会を待って欲しいと。


 彼女はわたしを頼りました。

 だから決めたのです。

 ウィリアム様を、殺そうと。

 エレノア様を、救うために。

 彼女の望みを、叶えることがわたしの望みでしたから。

 

 不安はありました。

 ヒース様が廃嫡された際に、エレノア様がこっそり理由を教えてくれましたから。

 殺される覚悟を決めて彼の元へとへ向かいました。


 ですが私が見たのは、荒れて、悲しんでいる孤独な人でした。

 

 初めてヒース様を見たとき、この世にこれほど美しい方がいるのかと驚きました。

 彼の不器用な優しさに触れる度に、わたしの心の中に浮かぶのは今まで誰にも感じたことのない恐怖でした。


 彼が笑うと嬉しかった?

 彼が幸福だと、幸福を感じた?


 分かりません。考えることさえ、わたしは怖かったのです。

 だって、彼といればいるほどに、エレノア様のことを考える時間が、少なくなっていくのですから。エレノア様が悲しんでいるのに、わたしだけ幸福なのは、おかしなことなのです。

 

 だから愛なんていらない。

 愛なんて……。


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