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地下公園

作者: 森野 ふうら

 Oさんは子供の頃、よく近所の公園で遊んでいた。

 その公園は敷地が広く、滑り台やジャングルジム、その他の遊具が充実していた。そのため地域の子供たちは、学校が終わるとそこに集まり、日が暮れるまで遊ぶのが習慣のようになっていたという。

 その公園には地下があった。不思議なことに、Oさんや友人たちには、そのような記憶がある。公園の西の端にある滑り台。コンクリートを台形に盛った滑り台は、台座の部分にトンネルが設けられていた。子供一人がかがんで通るのが精一杯のトンネル。そのトンネルの中に、地下へ続く階段があったというのだ。

 大人になった今、冷静に考えると有り得ない話だ。しかし、Oさんたちには、地下で遊んだ記憶が鮮明に残っているという。

 トンネルの中にある狭い階段を下っていくと、すぐに地下に出る。地下はドーム状の広い空間になっていて、乾いた土の上にブランコやジャングルジムなど、地上と同じような遊具が置かれていた。なかには見たことのない遊具もあったらしいが、Oさんは遊んだことがないのでよく覚えていない。地下は常に明るかった。しかし、どこを見ても照明らしきものはなく、謎の光源が照らす地下公園で、Oさんたちは毎日、様々な遊びに興じた。

 遊具を使った遊びから、鬼ごっこやかくれんぼなどの定番の遊び、また、「ちかまねき」「わすれ鬼」など、地下公園独自の遊びもした。地下公園にはいつでも子供が多数集まっていたため、遊び方に困ることはなかった。

 地下には、地上から来た子供たちの他に、「ずっとそこにいる子供たち」がいた。そもそも公園に集まる子供たちは、学校も学区も様々で、互いに詳しい素性を知らないことも多かった。しかし「ずっとそこにいる子供たち」は、それとは別次元で素性不明だった。

 彼らは地上の公園には決して現れなかった。地下の公園にだけいて、どこから来てどこへ帰るのか、誰も知らなかった。気がつくと遊びの輪に混じっていて、また気がつくといなくなっている。そんな存在だった。Oさんは一度、彼らの一人に聞いてみたことがある。彼女の「どこにお家があるの?」という問いかけに、彼は「ずっとここにいるよ」と答えた。見当たらないこともあるのに「ずっとここにいる」とはおかしな答えだと子供心にもOさんは思った。が、なんとなく「彼らはずっと地下にいる存在なのだ」ということで納得した。

 そう納得出来るほど、異質な雰囲気が彼らにはあったのだ。一緒になって遊んでいる時はまるで意識しなかったが、あとで振り返ると彼らには奇妙な点がいくつもあった。

 神出鬼没。素性不明。その他にも彼らには、影が2つある、足音がしない、不思議な知識を持っている等の変わった特徴があった。彼らは色々なことを知っていた。過去のこと、未来のこと、別の世界らしきもののこと。たくさんのことを知り、時折、地上から来る子供たちにその知識を分け与えた。地下公園独自の遊びを教えたのも彼らだ。

 そして一番の特徴は、彼らはみな記憶に残らない子供たち、だということだった。地下にいて、話したり遊んだりしている時は、他の子供たちとほぼ変わらないように感じられる。しかし、家に帰ってから思い返そうとすると、彼らに関する記憶が全て曖昧になっていて、決して思い出すことが出来ないと気付くのだ。つい数十分前まで顔を突き合わせていたはずなのに、その顔も、声も、会話の詳しい内容も、頭に霧がかかったようにもやもやと崩れ、輪郭が定まらない。彼らと話したという記憶はあっても、その場に彼らが何人いたかさえ思い出せなかった。彼らを思い返すとき、頭の中に浮かぶ映像は、いつも同じ。顔を黒く塗り潰された子供たちがこちらを向いて棒立ちで佇んでいる。それが唯一記憶に残る彼らの姿だった。

 今思うと不気味極まりないが、当時は疑問に思わなかったとOさんは言う。記憶に残らなくとも、彼らが明るく親しみやすい存在だと知っていたし、教えてくれる知識は興味深く面白いもので、一緒にいると楽しいという確信があった。つまり、友人で遊び仲間という揺るがない認識があったのだという。

 今でも彼らを思い返すと「良き友人だった」という感覚が蘇る。懐かしさと甘い幸福感が胸を満たす。あの頃に還りたいと素直に思う。大切な子供時代の思い出だ。

 ただ、少しだけ気にかかることがある、とOさんは言う。

 あの頃、Oさんには妹がいた気がするのだ。

 Oさんはいつも、3つ歳下の妹を連れて公園へ遊びに行っていた。妹はOさんによく懐いていて、地上でも地下でもOさんの後をついて歩いていた。そんな妹が可愛くて仕方なかった、と言ってから、Oさんは苦笑した。本当は妹なんていないんですけどね、と。

 Oさんは一人っ子だ。戸籍にも、写真にも、どの記録にも妹の存在などない。当然、家族やその他の人間にも妹の記憶などない。

 しかし、Oさんには確かに妹がいたという記憶があるのだ。物心ついた頃から小学生のある時期まで、Oさんの思い出のなかには常に妹の姿がある。ただ、妹がどんな顔をしていて、どんな声だったか、どんな性格の子供だったかは、曖昧で思い出せないらしい。妹を思い返そうとするとき、頭の中にはいつも同じ映像が浮かぶ。髪を2つに分けて縛り、赤いスカートを履いた女の子が、こちらを向いて立っている。その顔は真っ黒に塗り潰されたようで何も見えない。黒い影が2つ、足元から長く伸びている――。

 でも、きっと気のせいですよ、とOさんは笑う。大体、公園に地下なんてあるはずがないのだし、妙な子供たちも、存在しない妹も、みんな子供時代特有の想像と現実の混同に決まっている。おそらく公園に集まった子供たちで空想遊びをするうちに、そういった妄想が共有され、皆の記憶が捏造されていったのだろう。そうOさんは語る。友人たちと話し合った末の結論だそうだ。

 その友人たちにも捏造された記憶がある。なかには、Oさんのように存在しない兄弟がいた記憶があったり、いるはずのない親友がいた記憶があったりする人もいるという。そして友人たちもまた、存在しない人間を思い出すことが出来ないのだそうだ。思い返せるのは、顔を黒く塗り潰された子供が静かに佇む姿。ただ、それだけだという。

 

 

 

 


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