8-6 桃源出撃
話の重量が心のBMIを超過してしまったので、そろそろ紅孩児の部屋からお暇しよう。帰って聞いた話をゆっくりと消化したい。
「御影。明日の夜に桃源として作戦行動に出るから、参加しろよな。別嬪に擬態させた仲間と楽しむのもほどほどにしておけよ」
……仲間を擬態? 何、言っているんだ、この不良娘。
紅孩児は隣にいるアイサを見ながら、ウゲって顔をしていやがる。
「ブタ面妖怪が『擬態(怪)』してそこの別嬪に化けているんだろ。隣とは離れていても家の壁は薄いんだから、あんま羽目を外すなよ」
「ブタ面妖怪が、擬態? 俺が、楽しむ??」
「中身が筋肉野郎を女にして同衾ってのは妖怪の都にもない趣味だが、貴重な戦力の性癖が歪んでいても知らんぷりしておいてやる」
紅孩児は俺達を俺、ユウタロウ、クゥの三人パーティーだと認識している。
けれども、ここにいるのは俺、アイサ、クゥの三人パーティーだ。ユウタロウは家から出る前に一人で出かけてしまっている。
紅孩児には、アイサを異世界から召喚していると言っていない。ならば、俺に密着する位置に座っているアイサを見て、紅孩児がどう考えたかというと――。
「ぐフェッ」
――俺はとりあえず、吐いた。
大気圏外まで続く巨大な塔、天竺。
ただし、塔という認識はあまり適切ではない。地表から物資や人員を運び上げるための軌道エレベーターというべき構造物である。
成層圏を軽々超えて熱圏まで伸びる巨大構造物。常識外れの高さを誇るため、宝貝を使ってもそう簡単に頭頂部に辿りつけるものではないのだ。
“GAFFFFF!”
しかし、今日この時、天竺は宇宙からの直接攻撃を仕掛けられている。
襲撃者は四足動物でありながら大気圏突破能力を有する混世魔王だ。黄昏世界で人類を無差別に襲う復讐心溢れる魔王にとって、大気圏内も大気圏外も無関係である。
流星のごとく炎の尾を伸ばした高速飛行。黄昏世界をたった一〇四分で一周する速度で近づく四足獣の混世魔王。
接近を許せば、最重要区画たる天井ブロックに大きな被害が出てしまうのは明白だった。
「――獣が現れましたわね。どこの世界の魔王でどんな恨みを持っているのか知りませんが、私がいる限りここはやらせませんわ」
混世魔王は炎の弾丸となって迫る。
それを迎撃するべく現れたのは、無重力空間にカエルの生身を晒す救世主職である。
カエル救世主職は両手を頭上に掲げて、ビルの大きさに相当する巨大剣を召喚する。
“GAFFFFFッ!!”
「スノーフィールド流対巨人剣術、大切断!」
無重力空間だからでは許されない、質量を完全に無視した馬鹿力で巨大剣を振りかぶり、ジャストミートで混世魔王を叩き斬る。
混世魔王は回避行動を行わず、いや、行う装置が未存在だったがゆえに、大剣に迎撃された。大ダメージを受けて地上に落ちていく。
「……それなりの手ごたえでしたが、撃破には至りませんでしたわ」
天竺に残存する唯一の救世主職として、守護の役目を果たしたスノーフィールド・ラグナロッタは大剣を虚空に戻した後、網膜に浮かぶ世界の終焉を示すカウンターに注目する。
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“●カウントダウン:残り半年……、三年……、五秒……、一か月”
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「ブレが狭くなってきていますわね。脱出の日はそう遠くないという事でしょうか」
救世主職としては忸怩たる思いだろう。
スノーフィールドと彼女が属する天竺一派はとうの昔に、世界を救う事を諦めてしまっているのだから。
「御前は限界まで待つとおしゃっていましたけれど。地表に今更現れた謎の救世主職と桃源グループが接触したとか。……救世主職にできるのは逃げ出す事だけですのよ、早く逃げていらっしゃいな」
アイサの滞在は、十五時間ほど続いた。
情報交換を行うには十分であり、吐き気の介抱をしてもらう余裕さえあった。
炎のゲートが展開し始めたため、桃源に至るまでに遭遇した妖怪、混世魔王について書き込んだスマートフォンをアイサに託す。代わりにアイサから西遊記や大陸系の伝記に関する資料を貰う。
これで妖怪の攻略作戦を立て易くなるな。
「凶鳥。こことここが、エキドナ様が特に読むべき場所だって」
プレゼン資料作成ソフトで作った資料を印刷したものがファイリングされている――優太郎が作ったのだろう、あいつ、今は出て行っているし……?
いくつかのページには付箋が貼られており、アイサはそこを優先して読むように勧めてくる。
ある章のタイトルは『日射神話』。
ある章のタイトルは『太陽の赤色巨星化』。
「エキドナ様はある程度、黄昏世界の状況を予測していたんだ。紅孩児の話を聞いた限り、予想通りだと思う」
「……分かった。一番に読んでおく」
「でも、誰にも見せないようにね。信じている仲間にも。ちょっと、衝撃的な内容だから。特に――」
小声で注意してきたアイサは、ふと、顔を顰めてこめかみを押さえる。
「どうした、アイサ?」
「――何でも、ない。ちょっと頭痛がしただけ。疲れた、だけだよ」
慣れない異世界で、スケール違いの話ばかり聞かされている。俺だって頭痛で頭を痛くしたくなる。
「凶鳥、くれぐれも気をつけて。御母様は人に倒せないし、倒しても世界は救われないから」
「太陽と戦う事を前提とした心配をしなくても」
いや、黒八卦炉の宝玉でも地球に帰還できない状況を作り出しているのが御母様なら、物騒な直談判を行うのはほぼ決定事項なのだろうが。そうでなくても、妖怪の中にもまともな奴等がいると知った状況でただ逃げ出す選択をできるかと言われると――。
「凶鳥、気をつけてね。この世界には嘘つきが多――くッ」
まだ何か言いたげだったが、こめかみを押さえたままアイサは開いた炎のゲートに吸い込まれて帰還していった。俺よりもアイサの方が心配になる。次に誰かを呼べるのは数日後なので、気になってもどうする事もできない。
紅孩児が集まれと言っていた夜までにはまだ時間がありそうだ。
さっそく、アイサが届けてくれたファイルを読むため、小屋の奥部屋に引き籠るとしよう。
「クゥ、しばらく集中したいから一人にしてく……どうした、クゥ?」
アイサの見送りをしない薄情な奴だと思っていれば、クゥが壁に体を預けて呼吸を荒げている。頭を手で強く押さえて、痛みに耐えている様子だ。
「おい、大丈夫か。アイサが四肢欠損さえ治す薬も置いていってくれたから、使うか?」
「だ、大丈夫。心配しないで。ちょっと――頭痛がしただけだから」
指定された夜を待ってから紅孩児の所に向かうと、武装した妖怪と人間の混成部隊が集まっていた。
「来たな、御影」
「ブリーフィングかと思えば、もう出撃準備が整っているって感じだな」
「どういう作戦かは今から教えてやるさ。その前に、こいつ等は陽動のために先行させる。文化、頼んだぜ」
「ぎょ、御意なんだぜ。姉御」
桃源の幹部の一人、大男の文化が陽動部隊を率いて出撃していく。
この場に残ったのは紅孩児と俺達パーティーのみだ。
「どこにカチコミするつもりなんだ?」
「近場にある妖怪の街を攻め落とす。相手は……太乙真人」




