8-5 救われない世界の神話
隠された洞穴に入った途端に、莫大な『魔』を感じた。
一つの世界の全人類の総和でも届かない、魔王ですら足元に及ばない大エネルギーが奥で鎮座している。
畏怖を覚えてやまないのは確か。
とはいえ、その恐れは入道雲や火山、あるいは夜空に広がる数億、数兆の星々を見上げた時に感じる巨大な存在への畏敬に近い。桁が違い過ぎて、とりあえず、おおすげぇ、と思っておこう的なノリだ。
命の危険はない。
穴の奥の空間で燃えている黒い炎に意思はない。魂は既に海の底に沈んでしまっている。
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▼黒八卦炉-参
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“ステータス詳細
●魔:2399999974951/2400000000000”
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天井に開いた穴より光が差す場所が終着点だ。そこでは噴水のような台座に輝くモモが置かれており、下では黒い炎が静かに満たされている。
これが桃源の最重要区画の光景である。
「モモが桃源を維持するための宝貝だ。昔の余裕があった時代に、モモが好物の仙人が趣味で作ったって品物で、クソ親父が死蔵していたからパクった」
「炎の中に黒八卦炉の宝玉が見える。これだけの特級アイテムが複数存在するのが黄昏世界か」
「モモの下に設置してある黒八卦炉の宝玉も、クソ親父からパクったやつだ」
モモが理想郷を作り出す宝貝となれば、警備が厳重なのも納得がいく。
あるいは、モモの下、炎の中に沈んでいる黒い宝玉の方がより重要なのか。
「紅孩児。八卦炉と言うからには、宝玉は八つ存在するのか?」
「本物の八卦炉が焼け落ちて使い物にならなくなったから、代用品が黒八卦炉と呼ばれるようになっただけだ。クソ親父なんかは絶対にそう呼ばねえが」
隣にやってきた紅孩児と並ぶ。個人にとっては無限に等しいエネルギーを生み、そのエネルギーによって奇跡さえも叶える超アイテムを二人で見下ろす。
アイサとクゥは俺の背後より、おっかなびっくりに観察だ。
「数は全部で十。都に三つある事は分かっているんだが、未発見のものも多い」
「発見できていないのに数が分かるのか?」
「分かんだよ。黒八卦炉の宝玉は宝貝とは違う。どこかの誰かが作ったアイテムとはちげぇんだ」
「……だろうな。誰かの死体というのなら、道具ではなく、生きた誰かだったという事になる。俺の持っている宝玉はゾンビ化していたからな」
ギョッとした、というよりも睨むに近い感じに紅孩児は俺の仮面を見てくる。
「さすがは救世主職様ってか。どこまで知っていやがる」
「詳細は何も。紅孩児が知っているのなら、教えてもらいたいが」
「……救世主職に教えてやるような話じゃねぇんだが。この宝玉が公主様の崩御なされた後の姿と分かっているのなら、敢えて教えてやるよ」
公主。
王の娘、王女の呼び方の一つだ。高貴なる血筋に連なる人物の呼ばれ方である。
紅孩児はモモの下の宝玉と、俺の手の中で起動中の宝玉の二つに黙礼する。
「黒八卦炉の宝玉はかつて、御母様のご息女だったんだ。十人姉妹の」
重大な情報だ。黄昏世界がどうして荒廃してしまったのか、ようやくはっきりする。
聞き逃す訳にはいかないと、紅孩児の言葉に傾聴するが……耳障りにも足底を擦らせる音が話を遮った。
すぐ後ろにいたクゥが青い顔をして「ごめん。続けて」と謝っている。
紅孩児は話を再開しなかった。
「洞窟で話すようなもんじゃねえな」
立ち話で明かせるような内容ではない。こう俺達を洞穴の外に招く。まったくその通りだったので、俺達は連れられる。
立ちくらんだクゥも遅れていたが、続いていた。
「どこまで話したか」
「十人姉妹ってところまでだ」
「ああ、そうだったな。……彼女達は生前、公主様、あるいは次代様と呼ばれて大層可愛がられていた。姉妹の内の誰かが御母様を継いで、次の時代を担うはずだったからな。誰も彼もが可愛がったんだろう」
下山後、館まで戻った俺達は、人が立ち入らないように戸を閉めた紅孩児の部屋で話の続きを聞く。
木簡や刀剣を払い除けて場所を作り、俺、クゥ、アイサが座る場所を確保する紅孩児。本人も椅子に深く座ると、窓の外に見える太陽を見ながら語る。
「可愛がる事しかできなかったと言うべきかもしれねえな。諫めるべき事を諫められなったのかもしれねぇ。その時、生まれていなかった俺が無責任に非難したくはねぇが」
「諫める? 公主達は我儘放題だったのか」
「世間知らず、いや、世界知らずだったんだ。大事に育てられた公主様方は自分達がいかに強大なのか、そして、自分達以外がいかに脆弱なのかを知らなかった」
紅孩児いわく、公主姉妹は蝶よ花よと大切に育てられていた。
管理神の娘ならば当然の育児計画であるが、親しい者以外とほぼ接触する機会を与えられなかったようである。
「そんな状況のまま公主様達が童と言えるくらいに成長した頃、御母様が勉強のためにと公主様達にお役目を与えられた」
「お役目?」
「世界を照らすお役目だ」
巨大過ぎる太陽こそが御母様である。黄昏世界の人々はそう信仰している。
そして、御母様が世界を照らす太陽ならば、娘である公主姉妹も同じく世界を照らす太陽なのだ。
宇宙空間を漂う恒星の娘。こう現実的に考えると奇妙なのだが、そこは妖術があり人間以外が人間に化ける世界の常識だ。あまり深く考えず人間の尺度で捉えて理解しよう。
「俺達からすれば途方もない権能だ。が、神格にとっては造作もない、童でも可能なお手伝いに過ぎなかったらしい。一人ずつ交代で、十日に一度、半日空を飛んで世界を照らす。そんな子供の手伝い……だったはずなんだ」
週五日以上、働く事を憲法で定められた国の人間からすると、十日に一度は破格の待遇である。ただし、どれだけの好待遇であろうとも、子供にとっては大人が勝手に決めた面倒事でしかない。
最初の内は真面目に言いつけを守って交代で世界を照らしていた公主姉妹であるが……、親である御母様が目を離して早々、約束を破ってしまう。十日に一度の高頻度で、しかも半日も仲間外れとなって孤独に空を飛ぶ苦痛に耐えられなかったのだ。
役目をサボって空を飛ばない。これは一日中夜となりサボタージュした事がバレ易い。ゆえに子供であっても避けたのだろう。
だから公主の十姉妹は独りぼっちで空を飛ぶ苦痛を避けるべく……、全員仲良く同時に空を飛んで世界を照らした。
「公主様達にとっては仕事を放り出さずに姉妹全員が一緒にいられる妙案だったに違いない。子供の行動だから、と近しい大人達は誰も本気でしかりつけなかった。こんなただの子供の思いつきが、世界の破綻に繋がった」
子供が親の言いつけを破っただけ。
事実ではあるがすべてではない。別のスケールでは、たとえば十倍の熱量に照らされた地表においては海が沸騰し、森が燃え、夥しい生物のミイラが発生していた。九割の動植物の死滅。大量絶滅は地球でも数度発生しているが、白亜紀に恐竜を死滅させた隕石落下とて総生物の七割が限界だ。環境変化は破滅的だった。
たかだか十日で『カウントダウン』が残り一日まで進んだ事により、人類と神格の一部は創造神に救いを願い、即時受理。
公主姉妹は子供であっても世界を害すると判断され、座認定。
「座認定って、黄昏世界にも魔王認定のシステムがあったのか!」
「今は御母様が封じている。その辺りは話が脱線する。今は話を続けるぞ」
結果、人類の中より弓の名手として名高い男が、救世主職として選定された。
「その救世主職は神殺しの弓と矢を創造神より授けられていた。矢の数は公主様達と同じ十本」
「十姉妹全員を殺すためか」
「まさか。次の時代の御母様となるべき公主を全員殺すなんて自殺行為だ。姉妹の内の一人を残すつもりだったし、だからこそ神格達も御母様を取り押さえて黙認したんだ」
世界を救うべく、救世主職は悪でなくとも無垢であった公主姉妹を義務によって撃ち落としていく。
正確に、機械的に、一矢で確実に殺していく。
ヒュン、と矢を放つたびに姉妹を一人、減らしていく。
噂に違わぬ弓の腕で二姉妹まで追い詰めた救世主職は、予定通り矢筒に一本を残し、九本目の矢で仕上げにかかった。
「だがな……救世主職は、失敗した」
しかし、救世主職の弓の腕は卓越が過ぎた。
なにせ最後の一射により、二姉妹を同時に撃ち殺してしまったのだ。残念ながら討ち漏らしはゼロ。十姉妹は誰一人助からなかったのである。
世界は多過ぎる太陽に焼かれる末路より救われて、未来を失った。
「救世主職の失敗により、世界の破綻は確定した。結果に落胆した創造神が世界を見限りどこかに消えた事も決定的だった」
これが、ある異世界が黄昏世界となったエピローグ。
創造神が去った後、子を惨殺された怒りに狂う御母様が救世主職に加担した神格を処刑しまくった動乱もあったらしいが、所詮は終わった後の小話らしいので割愛された。
「もしかして、人間が家畜扱いになっている理由は、八つ当たりなのか?」
「その通りだ。救世主職を輩出した種族は忌みされ、徒人と呼称せよと律令で定められた。救世主職そのものが過剰に敵視されている理由も納得できただろ。……他に訊きたい事は?」
話し終えた紅孩児は精神的に疲れて気だるげだ。世界の末路を語る程に気分の悪いものはないので当たり前である。
気になる部分は多いが、最大の疑問のみを訊ねて話を締くくる。
「十姉妹を失った世界に未来がないというのは?」
十姉妹を失っても、黄昏世界にはまだ大きな太陽が残っている。恐らく、姉妹の親たる御母様が惑星を照らしているのだろう。
御母様では熱量が大き過ぎるため、世界が耐えられない。だから滅びるという解釈で正しいのかを紅孩児に確認する。
「ちげぇよ。御母様は……もう寿命なんだよ。だから黄昏。世界は永遠の夜が到来する直前の夕方なんだろ」




