2-2 地方官、虎人
――枯湖平原、徴税官の館
ファーストフード店に向かう感覚でクゥの村へと徴税に出向いた結果、同僚と両腕を失った雑鬼。彼が地方官の館に逃げ帰れたのは、山脈付近が赤く明るい夜になってからだ。
妖怪だけあって大量出血しても生き延びているが、それでもチアノーゼにより青く染まった顔をしている。それ以上に酷く焦った顔をしている。
腕がないので足で荒く扉を蹴りつけて、地方官の館に駆け込んだ。
「虎人様! 虎人様!」
地方官の館は徒人の建築物ではありえない二階建て。階段があるだけでも珍しいが、正面入り口を見下ろす二階部分には、妖怪の顔をした意匠の手すりまで完備されており豪華だ。
その手すりに、トラ柄の大きな手が置かれた。
「騒がしい。何事だ」
大柄なウェアタイガーの妖怪が、逃げ帰った徴税官の声を聞いて現れる。
「虎人様。お助けくださいっ」
「オレの館をお前ごときの血で汚しおってからに。まったく、その腕はどうした?」
「救世主職です。虎人様の領地に救世主職が、現れましたッ!」
枯湖平原を治める地方官、妖怪虎人は眉をピクりと動かす。特徴的な黄と黒のまだら模様の体毛も無意識に波立った。
興味深い報告に、地方官自らが階段を下りていく。
「救世主職とは、それは確かかっ! 確かだとすれば……実に愉快だ! オレのおやじが一人討ち取って大層な手柄を授かって、今では将軍職だ。そうでなくとも、こんな寂れた時代に救世主職か。税を引き上げて徒人共をいびるよりも面白そうだ」
ウェアタイガーの顔が喜色に歪む。実に楽しげである。
それもそうだろう。彼の親の代には多数の救世主職が現れたと聞く。その結果、妖怪達は討ち取って名を上げるべく、嬉々として救世主職狩りに勤しんだ。救世主職を倒して喰うだけでもかなりの経験値となるため、どの妖怪も率先して挑んだ。
反撃で敗れた妖怪も数多くいたが、徒人を管理するだけのツマラナイ日常と比較すればスリリングで生きている実感を持てた日々であった。こう、その頃を知る妖怪は若輩に対してマウントを取る。
編み出しただけで使い道のなかった呪術。
磨くだけで使い道のなかった宝貝。
それ等を存分に使って良い相手が異世界から現れたのだ。ぜひ、戦いたいと思うのは残忍な妖怪にとって普通の思考だろう。
「お助けを、お助けをっ」
「楽しくなりそうだというのに、うるさい奴め。その両腕ではもう存分に働けまい!」
虎人は徴税官の雑鬼を掴み上げると、そのまま頭へとかぶりつき、喰い千切る。頭の上半分を喰われたのなら、妖怪だったとしても絶命する。
「ふん、雑味ばかりでマズいな。これだから雑鬼は。これなら、まだ痩せていても徒人の方がマシだな。……おっと、オレとした事が。救世主職とやらの人相ぐらい、聞いておけばよかったな。ガハハ」
赤く染まった口を舌で綺麗にしながら、虎人は食い残しの多い妖怪を床に捨てる。
救世主職の話が本当ならば相応の準備が必要だ。幸いにも虎人の家系には、救世主を罠にはめるのに使える宝貝が伝わっている。
ウェアタイガーの家系に伝わるその宝貝の名は、『傲慢離職、山月の詩』。
対象は徒人限定であるが、強制的に職業を解除する強い呪いを有する。
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“宝貝『傲慢離職、山月の詩』。
自らの怠惰、傲慢によって職を辞め、詩人を目指した者の末路が書いた詩。最終的に詩人は虎となり姿を消した。
詩人の人生を追体験させる詩であり、この詩を目にした人間は最も上位の職業を一つ離職する事になる。
兄弟作品として『羞恥変化、山月の虎』なる詩もあるが、そちらは過去に紛失済みである”
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――枯湖平原、壁村近傍
クゥの案内により、更にもう一つ壁村を発見した。俺が彷徨った時には、荒野に点在する村を華麗にスルーするように歩いてしまったようだ。『運』には自信があるのに、どうしてだろう。
「どこの村も歓迎してくれているのに、どうしてクゥは残ろうとしないんだ?」
「そりゃあ、歓迎するでしょうに。次の徴税があった場合、代理で首途してくれる徒人を確保できるのよ」
「俺と一緒の方が危険なんだって」
「危険がなんだ。首途するはずだった私にもう怖いものなんてない!」
しつこく俺に同行するクゥ。もしかして、いつの間にか『吊橋効果(極)』スキルでクゥを魅了してしまったのだろうか。
こう不安がっていると……、クゥは砂利混じりのミミズの肝を美味いとぬかす人間を見る顔を作りやがった。俺だって世界を渡るたびに惚れられたり結婚したりする迂闊を働くつもりはない。
「地方官が住んでいる館は、あっちの丘を越えた先にあるって。徴税官はいつもそっちの方向から来て帰っていくって」
閑話休題、この村では進展があった。
地方官の住んでいる場所と、地方官がどんな妖怪なのか証言を得られたのだ。
「地方官の名前は虎人。トラっていう獣の妖怪だって」
「トラか、猛獣だな。ちなみに、クゥはトラを知っているのか?」
「斑な毛皮の妖怪の事でしょう??」
トラと聞けば、ネコ科大型生物か球団か、少し飛んでバターを連想するのが普通である。けれども、異世界人のクゥは妖怪を直接連想してしまうものらしい。何故か可能になっている異世界語翻訳の誤作動にしても妙な感じだ。
もしかして、トラが動物だという事を知らないのかと思い質問してみたが――、
「トラって動物だったの!? 知らなかった」
――と答えられてしまった。まあ、トラの生息域たる密林がなさそうな世界なので当然だ。そもそも、地球と類似する動物が異世界にもいるのかという当然の疑問については、目の前にヒューマノイドがいる時点で気にしてはならない。
地方官虎人の館までは、俺一人なら数十分。クゥを連れてなら半日といったところか。本人に言うつもりはないがクゥが足を引っ張っている。
一度、背負っての移動を試したのだが「ちょっと、これマジで速過ぎっ」「上下に揺らさないで」「あばばば、風圧に押されて口を閉じれない」「酔った、うえぇえ」と文句ばかり言って、最後には首筋へと嘔吐しやがったので二度と試さない。
「クゥをこの村において、俺だけ先行してちゃちゃっと済ませる手も」
「御影君って血も涙もないなー。妖怪は確かに怖いけど、徒人なりに世界を私は見てみたいのに、置いていくだなんて」
戦闘力は一切期待できない足手まといであるが、それでも前向きに検討するなら、地方官の館には現地民たるクゥでなければ分からない事柄があるかもしれない。もちろん、デメリットの方が大きいので連れて行きたくはない。
「置いていっても、歩いて追いつくから」
「ええぃ、駄々っ子め」
「……だったら、譲歩。もし私が付いて行ってただ足を引っ張るだけだったなら、私は諦めて壁村に帰る。でも、少しでも役に立つ出来事があったなら、今後も御影君に同行する。それならどう?」
「バトルプルーフって訳か。分かった。今回はクゥを連れて地方官の所に行こう。……あれ?」
「やったーっ」
金目がニヒっとした形になっていやがる。しまった、うまくクゥの口車に乗せられてしまったぞ。
「危険、危険とばかり御影君は言うけど、地方官の所に行ってどうするか決めている?」
「とりあえず話し合って、無理なら実力行使」
「なるほど、最終的には力でねじ伏せると。野蛮ね」
身も蓋もない事を言う。
正直、クゥが言う通り、野蛮な結末しか訪れない気がしている。出遭う妖怪すべてが危険な奴等ばかりなので、話し合いで終わるとは思っていない。