7-7 敵は太陽
ゴーレムが牽引する客車に揺られて、暑い日差しと荒れた大地の世界を進む。目新しさは特にない。干からびて風化した土地はどこも一緒だ。
「聞いていた通りだけど、暑いね、この世界。紫外線もかなり強そう。日陰に入って、ようやく普通のタンニングマシンかも。日焼け止めは考えないと」
「紫外線まで気にしていなかった。確かにかなり強いかもしれない」
黄昏世界に来てから俺もユウタロウも、以前よりも肌色が濃くなっている。沖縄の海をTシャツなしで遊んだ後と同程度かそれ以上に日焼けしているはずだ。
ただ、現地民たるクゥはあまり日焼けしておらず、南国的な雰囲気がない。厚手の服で日差し対策を行っているからだろうか。
クゥの顔を眺めていると、軽く脇腹を突かれた。
「ねぇねぇ、御影君。現れた人、らべんだー、さん? 偽娘とは別方向に綺麗な人ね。どこの壁村で出会ったのよ」
「川で溺れていたところを助けたのが出逢いだな」
「川で、溺れる??」
干上がった川しかしらないクゥは首を傾げながら対面席にいるラベンダーを見ている。
微笑んだラベンダーはクゥに近付くと手を差し出した。
「初めまして。私は土の魔法使いのラベンダーです」
「ご丁寧に。私はどこにでもいるごく普通の徒人のクゥです。えーと」
握手の文化に馴染みがなく、何をするべきか分からず戸惑うクゥだったが、ラベンダーの行動を真似て自分の手を差し出す。
握手が実施され、異なる世界の女性同士の穏便なファーストコンタクトが完了した。
「私の御影がお世話になっているようですね」
「あー、はい。仮面の変人には同行者として、適度な距離感で協力しています」
ラベンダーは微笑みを強めて、クゥは苦笑いのような愛想笑いで返答している。「偽娘以外にも手を出していたのか、この男」という幻聴が何故か隣から聞こえてきた。
ラベンダーは続けてユウタロウの前に立つ。
ユウタロウとは初対面という訳でもないのに、何故か手を差し出している。
「ユウタロウ、さんとお呼びすれば?」
「どいつもこいつも。どうとでも呼べ」
「御影に協力していただけている、という認識で間違いありませんね」
「協力? 馬鹿な。本質的に俺とお前達は敵同士。人間族が魔族を信用するな」
ぞんざいな態度である。だから、ユウタロウはモテないのである。
「御影と敵対しているようには見えませんが」
「殺し合う事はいつでもできる。そのために俺はこんな終わった世界に呼び出されたのだ。……が、殺し合う前に一つ、たった一つ。こいつは俺の疑問に答えなければならない。答えるためにも、俺を思い出さなければならない。それを、待っている」
「疑問とは?」
ユウタロウは正面のラベンダーではなく、どこか遠くを見ていた。瞳にどこかの深い森、薄気味悪い魔界の光景が映り込んだように見える。
「――どうして、俺は、憎まれながら人間族に殺される最後を迎えなかった。俺は、一体、どこで何を間違えた?」
人間を拒む森の中で、ブタの顔をしたモンスターが冒険者らしき者と戦っている。そのモンスターは堂々と冒険者を打倒した。命乞いする冒険者の体へと無慈悲に三叉槍を突き刺した後、死体に噛みついて食事を開始し――。
世界が暑いからか、今日は幻聴や幻視が多いな。
「少なくとも、今は敵対しないのですね」
「ふんっ。俺を思い出すまで、邪魔な妖怪を排除するくらいの苦労は買う」
「分かりました。それが分かれば結構です」
ユウタロウの言葉の意味が理解できない。ユウタロウは俺に何を思い出して欲しいのだろうか。
結局、握手しないままラベンダーの手は戻されて、長椅子に座り直す。
初対面の挨拶を済ませたので黄昏世界について話そうかというタイミングで、ふと、ラベンダーは気が付く。
「そういえば、偽御影の黒曜はいないの?」
「黒曜は、妖怪に捕まった。救い出すために妖怪共の都に向かっている途中だ」
「……詳しく教えてもらえない?」
ラベンダーに黒曜が奪われた状況を伝えると共に、黄昏世界の妖怪について簡単に説明し終えた。
「妖怪は大陸系がメインで、西遊記のネームドが登場している、ね。対策を立てるのには有効な情報になる」
「俺も西遊記に詳しい訳ではないから、金角銀角くらいしか分からない。西遊記と、大陸系の妖怪、神話についてまとめた資料をもらいたい」
「分かった。次の召喚で渡せるように準備しておく」
西遊記に登場する妖怪と言えば、金角銀角兄弟に、牛魔王と羅刹女の夫婦、その程度しか名前を知らない。
天竺を目指すまでの旅路ではもっと多くの妖怪が三蔵法師を喰おうとしていたはずであるが、名前も姿も知らない。一般的な日本人の知識ならこれが限界だ。隠し芸も可能な孫悟空がドラマをやっていたらしいが、残念ながら世代違いである。
……そういえば、三蔵法師の弟子も全員、妖怪だったか。孫悟空、猪八戒、沙悟浄の三人も妖怪だ。
猪八戒はブタ顔の妖怪である。丁度、客室内にもブタ顔のユウタロウがいるが、偶然とは怖いものだ。
「ただ、敵は妖怪だけだと決めつけない方がいい。明らかに地球産の悪霊がいる」
混世魔王は黄昏世界における明らかな異物だ。そして脅威でもある。
唯一、討伐に成功した混世魔王はひまわりのみである。討伐できたとはいえ、決して楽な相手ではなかった。
「地球の悪霊を呼び寄せて、実体を授けているとしか思えない。つまり……死者蘇生だ。神の領域の業を、わざわざ地球人の俺を排除するためだけに使っている」
「神業……エキドナ様の予測通りかも」
「エキドナの予測??」
「……御影を狙っている敵は妖怪だけじゃない。黄昏世界の神格も敵になっているかもしれない」
「…………へっ?」
妖怪以外にも敵がいる。神様が敵かもしれない。そんなラベンダーの不穏な警告に、黄昏世界がいくら無慈悲だからとそれはない、と言いたくなった。
「神格が敵? そのソースは?」
「『異世界渡りの禁術』で私達が黄昏世界に迎えに来れないのは、神格が邪魔しているかららしい。世界にバリアみたいなものを張っている」
「異世界渡りのない俺が迷い込めるザルバリアを突破したくらいで、目くじらを立てるのか!」
「侵入者への拒絶が強いみたいだから、バリアを突破した御影の排除に積極的なのかも」
排除だと。迷い込んだだけなのだから、言ってくれれは大人しく地球に帰るのに、融通の利かない。神様なんてだいたいそんなものか。
黄昏世界の神格。
黄昏世界で信仰されている神様となれば……天井の向こう側で輝く太陽になってしまう。
「お前かっ、御母様ッ!!」
本当に神格が相手であれば、狂犬のような混世魔王を差し向けるのみというのは杜撰な気がする。本気を出されても羽虫のごとく叩き潰されるだけになるので、それはそれで困るのだが。
「神格が相手でも、隙がない訳ではないはず。実際、世界のバリアを突破して私はこうして召喚されている。私がこの召喚で調べたかったのは、御影が何を使って召喚しているかなんだ」
ラベンダーが調査したいというので、黒八卦炉の宝玉を手渡した。
異様な黒い炎の悪霊より入手した正体不明のアイテムであり、俺では未使用の『魔』が大量に貯蔵されている、という以外に分かる事はない。
けれども、魔法使い職のラベンダーならば、詳細が分かるかもしれない。
「……格を有する存在の抜け殻のように感じる。あり方は、魂の抜けた桜の大樹、主様に近いかも」
悪霊として暴れていた魂は黒い海に沈んでいった。ラベンダーの言う通り、魂は抜けている。人間のものとはまるで違うが、黒八卦炉の宝玉は死体に該当するのだろう。
「世界を統治できるだけの権限を持った誰かの体?? 御影、どこでこんなものを」
「その辺で拾った」
「落ちているようなものじゃないと思うのだけど。……黄昏世界の神格の権限に割り込める機能をこの黒い球は有している、とすれば説明がつきそう。世界の管理権限にアクセスできるとすれば、人間程度の願い事なら何でも叶えられる。異世界から人を呼ぶ事だってできる」
球体なのに、機能的には魔法のランプだったのか、これ。
「ん? 本当にそうか? 召喚は中途半端だし、きっと俺を地球に戻せもしないぞ?」
「黄昏世界の神格の方が権限が強いから、とか。機能不全を起こしているから、とか。ちょっとそこまでは」
ラベンダーもあまり自信がなく疑問形が続く。推論を立てられるだけでも流石ではある。
調査対象を眺めていると、炎の噴出が弱まってきた。タイムリミットが来たようだ。今回の召喚はここまでのようである。
「三十五分くらい。うーん、私もこのくらいなのか。アイサで試したいな」
「いや、来てくれただけでありがたい」
「一番の難点は、また、御影が私を呼んでくれるかどうか」
俺を、女の美しさを火力だけで判断している酷い男のように言わなくても。ラベンダーをまた呼ぶ呼ぶ。
炎のゲートがラベンダーの背後に開いて、風が吹く。ラベンダーの体が吸い込まれていく。
……が、その前にラベンダーは俺の頬を両手で覆い、顔を強引に近付けて、接触の瞬間は柔らかかった。
「役得って事で」
「お、おぅ」
「きゃー、接吻しちゃっている。人前で恥ずかしげもなく、きゃー」
「それじゃあね、御影。また逢いましょう」




