X + X‘-2 管理神
蟲星解決の鍵となったエキドナは、救世魔王と共に終わらないカンブリア紀をやり直した。五億年の時を遡った後、地球生物の母に祭り上げられた彼女はそのまま大地に根付き、進化の系統樹を今も見守り続けている。
「魔界へ遠征に出かけている子達にもすぐに伝えましょう。レベルアップを中断させないと」
「皐月の努力は水の泡」
「アジサイも私とほぼ同レベルじゃない! 魔界に現れた氷山は誰の仕業だと」
禁忌の土地を鎮静化させた実績により、エキドナは神格となった。
けれども、エキドナは死者である。保有する『魔』の枯渇によって幽世へと沈む曖昧な存在だ。それが、どうして五億年も現世に留まっているかというと、理由は彼女の周囲に集った怪生物達である。
進化をやり直しながらも、かつての救世魔王を含む絶滅動物達は『魔』を母たるエキドナに供給し続けている。
「決して悪い事ばかりではないわ。一度は救援に行けた。二度目もあると信じて準備を整えましょう」
霧に隠された神域の生物群のすべてが絶滅動物なのだ。エキドナが椅子にして腰かけているのも、人間が見た事もない動物の甲殻である。長い年月の間に、カンブリア紀以外の絶滅生物も集まっており、多様性に関してはむしろ増していた。
以前と異なり攻撃性は見受けられない。
地母神を支える事が、今の怪生物達の目的である。
「それで、私の子、皐月。私の子、御影は元気でいましたか?」
ウィズ・アニッシュ・ワールドの管理神が役立たずだったので、皐月達は地球の管理神のエキドナに御影の救出を願った。
ただ、エキドナをもってしても、どこの世界に御影が迷い込んだのかを特定するのが限界であり、黄昏世界へ救援を送り込む事は今まで出来なかった。が、ついに状況が動いている。
「御影の奴、相変わらず敵に襲われていたわ。敵は魔族っぽかったけど、向こうでは妖怪って呼ばれているみたい。何人かの現地人とパーティを組んでいたから、すぐに危険はない……なんて楽観をしたいわね」
「余裕はないという事ね」
せっかく救援に向かったのに即座に戻って来た。その不出来をアジサイに色々言われている皐月であるが、彼女は唯一、黄昏世界を知る人物である。体験すべてが金を超える貴重品。
そして、見聞した黄昏世界の様子を伝える相手は管理神だ。どこかの勤続数千年程度の神格とは違い、多くの知見を得られるだろう。
「世界の様子は?」
「一目見ただけで分かるくらいに荒廃していたわね。炎の魔法使いとしては問題ないけれど、気温も異様に高かった」
「世界の衰退に、気候の異常。……創造神が管理を諦めている可能性が高い。管理神級なら安心できるという訳でもないけれど、勝ち筋のない存在を相手にする最悪はなさそうね」
エキドナが想定していた最悪は、黄昏世界の最高神が世界を創る高次元の存在、創造神だった場合である。
エキドナも神格であるが、世界の中で生まれた者と世界の外で生まれた者を同じと見なすべきではない。シャーレの上で培養された微生物が、己を顕微鏡のレンズで覗き込んでいる巨大な何かを正しく理解できるとは思えないし、挑戦するにはスケールが食い違う。
荒廃した世界を創造神は好まない。黄昏世界に君臨する神格は、エキドナと同じく世界の内側で誕生した者と考えてよさそうだ。
悪くない情報である。
頷きながらエキドナは皐月に更なる情報を求める。
「ぱっと見ただけだけど、妖怪の外見は大陸風な感じがしたわ」
「世界の育成シナリオはテンプレートパターンの一つ」
「何故かユウタロウって呼ばれているオークがいたのだけど?」
「……それはまったく分からないわね。ちなみに、私の子、優太郎はコンビニに買い出しに出かけているわ。ゆで卵を頼んだの」
世界を管理する権限を有する管理神――たかだか数千年のキャリアしかない奴は除く――にも、分からない事はある。その一つがユウタロウという概念。
「そうそう、巨大な太陽が空に浮かんでいたのよ。空の半分以上を埋める赤い太陽。錯視にしても異様に大きかったわね」
皐月が太陽について語った瞬間、エキドナは上半身を浮かせる反応を見せた。
「外から観測する限り、向こう側の世界は地球よりもずっと若いはずなのよ。それなのに、太陽が大きくて赤い?! それはっ、……かなりマズいわ」
創造神は万能とされるが、創造神が創る世界は決して万能ではない。むしろ、簡単に破綻してしまう弱々しさがある。
地球も決して条件の良い世界とは言えないが、すぐに滅びて消える程に逼迫してはいない。
「太陽がマズい? 妖怪の方ではなくて?」
「治安の悪化は副次的なもの。すべての原因は太陽にあると見るべきだわ。世代交代に失敗しているとすれば、創造神が見捨てるには十分な理由になるでしょうね」
対して黄昏世界は、世界の成長途中で決定的な失敗があったのだろう。知的生命の育成を継続できないレベルの問題が生じた結果、黄昏世界は創造神に見放されてしまった。
代わりを任された管理神に秩序を保つ気概があれば立て直せたかもしれない……が、黄昏世界の管理神、御母様に期待できるだけの『陽』は残されていない。
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▼御母様
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“ステータス詳細
●陽:0”
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――黄昏世界、灼熱宮殿
召喚された混世魔王が暴走した結果、建物にも妖怪にも大きな被害を出した灼熱宮殿であるが、定例の謁見は絶対である。祝日も休業もありはしない。
まだ焦げ跡の目立つ拝謁の間には、上級妖怪が寂しくも列を成して御母様を迎えていた。
「御母様―御母様―。御顕現―。伏してお出迎えー」
ドラが来光を祝う。妖怪共を見下ろす長い階段の先にある玉座に気配が生じる。
赤い御簾で仕切られた向こう側で、黄昏世界の管理神、御母様が顕現を果たしたのだ。山脈へと半分沈んだ太陽の光が、やや陰る。
「――此方に報告を。その後、害虫は無事に駆除されましたか?」
御母様は心配事である救世主職の動向を真っ先に訊ねた。
列の先頭にいる『白の力』牛魔王の口は重い。混世魔王に燃やされて州官長が不在となった州の援助、増える混世魔王の被害への対応、年々深刻化する食料危機の改善。妖怪筆頭として仕事に忙殺されているのだから仕方がない面はある。
他の妖怪共も口を開かない。御影の事を知っていて敢えて黙っている者も数名いるが、多くは何も掴んでいない。
御母様は不満に思うだろうが、まだ調査中と正直に伝えるのが正しいだろう。下手に喜ばせても、何を仕出かすか分からないのが御母様である。
「誰も知らないのですか? ああ、此方は不安で不安で――」
「――御母様。ご安心ください。救世主職の一人はこのように捕え、もう一人も居場所を掴んでおりますわ」
果敢にも列を離れて、階段の下まで進み出た妖怪が一体いる。
露出の多いオリエンタルドレスから覗き見えるのは褐色の肌。腕は肩口まで見えており、足も太腿が見えている。臍から首筋にかけても同様。酷く似合っており美しいが、美体を周囲に向けて自慢したいという意思が透けてしまっているのが欠点だ。
ちなみに、頭の左右の耳は横に長い。エルフの特徴を有する。
体の固有名詞は黒曜という。
「……また体を変えましたか、『灰と骨』白骨夫人。それが捕えた救世主職という訳ですね」
「その通りでございます。綺麗でございましょう」
「害虫の体を使うのは趣味が悪いと此方は思います。が、大義でした。褒美を与えねばなりません」
救世主職狩りは早いもの勝ちである。それでも、抜け駆けをしたと思う妖怪は多い。白骨夫人はそんな愚図共の妬みを予想した通りだと、愉快に笑う。
「褒美として何を望みますか?」
「残りの一人も私が狩ろうと考えておりましたが、他の方にそれでは悪い。譲りたいと考えております。ただし、アレは酷く美味に見えたゆえ、ぜひ、頭部の所有権を私にいただきたいのです」
「害虫の頭を望むとは欲がないですね、白骨夫人。良いでしょう。救世主職の頭部は白骨夫人のものとする。勅令……いえ、より強力に緊箍にて守らせましょう」
黒いエルフに憑依する白骨夫人は実に謙虚な発言をした。
誰一人、妖怪が謙虚などと信じてはいないだろうが、御母様は白骨夫人の願いをそのまま受諾する。
「譲る代わりに頭部だけはよこせか。何を考えている、白骨夫人?」
列の先頭に立つ巨漢の男、牛魔王が小声で問うた。
「勘ぐられては困りますわ、牛魔王。すべては善意。ぜひ、私を信じてもらわねば」
「ふんっ、どうだか。お前自身、どこの誰とも知れぬ癖して」
「血筋の確かな方は違いますね。ご息女は不良という噂は妖怪らしく嘘のようで」
「き、キサマッ」
牛魔王は額と角の付け根に血管を浮かび上がらせる。御前でなければ容赦なく白骨夫人を叩き潰していたに違いない。
「救世主職狩りに有益な情報、スキルやパラメーターを開示しようというのに、喧嘩腰では困りますわ。……けはっ」
白骨夫人は御影の個人情報については嘘を言わなかった。
アサシン職のスキルに頼る事が多いが、対策は容易。
救世主職の『既知スキル習得』も、攻撃的なスキルをほとんどラーニングできていない。
妙ちくりんな実績達成ボーナススキルにかき乱されなければ、妖術で制圧できる。
「さあ、皆様。救世主職の肉を一緒に堪能いたしましょう」
妖怪とは思えない誠実さ。その心は、妖怪共には頑張って救世主職を消耗させてもらわねば、という身勝手であり、善意によるものでは当然ない。
また、嘘は言わなかったものの、同時に『正体不明(?)』と、仮面の裏側から悪霊を呼び寄せるという最大の特徴も白骨夫人は言わなかった。他の妖怪が困る姿も、白骨夫人の好物なのである。




