6-20 敗北
黒曜の体を奪った妖怪の目的は俺の捕食か。妖怪共はどうして俺なんかに食欲をそそられる。趣味が悪過ぎるだろ。
「美食を求めるのがそんなに可笑しい? それに、頭の穴も気になるのよね」
ふと、妖怪が黒曜の紫の瞳で、俺を凝視してくる。
「黄昏世界の常識の埒外にあるのよね、その穴。死人を呼び出すだけならまだしも、特定人物の魂を指定できるなんて夢物語は果たして本当かしら? 眉唾だとは思うけれども、もしも実現できれば……御母様の寂寥を癒せるかもしれない」
未知の文明が有するオーパーツを発見した時に生じる喜色に満ちた瞳で、妖怪は俺の仮面を見詰めていた。
「そうなれば私は安泰。妖怪に殺されても良いから、宝貝に加工する頭だけは守ってね、ぱぱァ。また会いましょう」
妖怪は俺に様々な価値を感じながらも、欲にかられた迂闊な戦いを挑みはしない。俺の体にはダメージが蓄積されている。そうでなくとも黒曜の体を使えば俺を圧倒できるというのに、仮面を酷く警戒していた。
黒曜の体を奪っているという優位性もあるのだろう。妖怪は俺を見逃した。
……いや、違う。黒曜を取り戻すためにも妖怪を逃がすべきではなかったというのに、俺が妖怪の逃走を許してしまった。
『暗影』を使って姿を消して、黒い影の残滓が後れて消えていく。妖術を併用しているためか、跳躍先を特定できそうにない。
仮面はもちろん外そうとした。
仮面の裏側に癒着した皮膚ごと引き千切る。激痛に苦しむよりも先に仮面を外し切る。それだけの力を込めていたというのに、結局、仮面は外れていない。
“――禁則なり。禁則なり。天の理に従うべし。汝のソレは禁則なり、許しを得てはいない。苦痛という罰則にて禁則を守らせるが、緊箍の役割なり”
黒曜は妖怪に体を奪われて敗北し、俺は妖怪に黒曜を奪われて敗北した。
仮面を外そうとした際の激痛と、黒曜の喪失が合わさり、足元に蹲って動けなくなっている。しばらくの間、無力のままでいると……誰かが近づいてくる気配がして声がかけられる。
「――御影――」
赤い炎のように輝いている彼女の声の幻聴を聞いた。
「――君が……死んじゃっているっ?!」
けれども、幻聴は幻聴。俺の大事な彼女の声ではなく、別種の威勢の良さがある村娘の失礼な声が正体である。皐月の優しい声を期待してしまったなどと、かなり精神的に参っているようだ。
「クゥの優しさに涙を流せるから、生きているぞ」
「もう、血だらけじゃない。ほら、立てる?」
「体も心も痛い」
「甘えないの。私に甘えなくても、御影君には良い人がいるんでしょ。……皐月さん、徒人にしてはちょっと過剰? 過激? 街の入口が破壊し尽くされていて入るのが遅れたくらいに攻撃力が高かったけど、徒人?」
「……皐月の名前をどうしてクゥが知っているんだ?」
クゥが妙な事を言うので、傷付いた体で立ち上がって顔を向けてしまう。皐月の事をクゥに教えた覚えはない。
「妖怪を殲滅しに、さっき現れたから。もう消えちゃったけど」
…………何を言っているんだ、この娘っ子。
クゥは炎を噴出していない黒い球体を片手に持っている。たしか、黒八卦炉で入手した玉である。この球体を介して皐月が現れた、現れたけど消えた、などと供述しているが、何を言っているんだ、この娘っ子。
――地球、地方都市、桜の大樹付近。
桜の大樹と呼ばれる新種の大植物の周辺は、フェンスで封鎖された領域。調査と状態保全のために今も行政により立ち入りを禁止されている。剥き出しの地面に大樹の根が蛇行しており、足場が悪くて危険だからという意味合いも強い。
地球最大の植物は未だに未知の部分が多いが……ここ最近、新たな未知が生じている。
大樹の周囲で霧が常駐しているのだ。天候に関わらず続く奇妙な現象に、気象学者は首を捻っている。植物学者は大樹が地中より吸い上げる大量の水が要因かも、とそれらしき理由を何となく語っている。
詳細を確認するべく警察が派遣された事もあるが、内部に入ってもすぐに迷い出てしまうため何も分かっていない。一メートル先も見えない濃い霧とはいえ、誰もが大樹に辿り着く前にUターンしてしまう不可思議に、狐か狸の妖怪に化かされているのだ、などと噂が広がっている。
ドローンを突入させた調査も失敗続きだ。
ただ、唯一の例外、たった一回だけ撮影に成功した内部の光景には、巨大なシダ、あるいは、サンゴのような謎の植生が映っていたという。その最奥に、蛇体の女が映っていたとも言われているが、あまりにも現実離れしている映像が公開される予定はない。
「何でよ、どうして私、地球に戻っちゃったのよ!?」
「兄さんを助けに行った癖に、結局、兄さんの分身にしか会えなかったなんて、無能な炎の魔法使い。妹の私が行くべきだった」
「アジサイは黙ってなさいッ!」
数分前まで黄昏世界にいたはずの皐月が、地球で癇癪を起こしていた。その皐月の隣では、アジサイが氷の魔法使いらしく冷たい目線を向けている。
彼女達がいるのは主様の体の根元、霧の幻影魔法で守られた場所である。
地方とはいえ都市部。注目度も高い桜の大樹を中心に魔法を常時展開するのは非効率なのだが、神格がここに顕現してしまっているのだから仕方がない。神域と化した付近を守るための苦肉の策が霧である。
「――予想以上に困った事になっているわね。向こうの世界のガードが固くて、送り込めた救援さえも拒絶されてしまう。しかも、レベルが高い者ほど拒絶されるまでの時間が早そうね」
桜の大樹の幹を背に、皐月とアジサイの二人を眺める位置で蛇の尾を揺らしているのは、地球の管理神だ。かつての名は淫魔王エキドナである。彼女の傍では、姿を消したはずの怪生物が甘えるように身を寄せている。




