6-18 血降って地固まる
はね跳んだ妖怪の頭部。普通であればこの時点で死んでいる。
生物すべてが首を斬られれば死ぬ、とは言わない。魔界を探せば吸血鬼が、地球にもウミウシの一部が、頭部だけでも生き延びる。
そして、黄昏世界では妖術によって虎力大仙が頭部のみでもしぶとく生き続ける。
「義弟の体を使ったなどとッ。許さんぞ、救世主職!」
「リウが妙な事を言いだしたのはどうせ妖怪の仕業だろ。人間を使う妖怪に非難される筋合いはない」
「妖怪と徒人を対等に見るな! お前等は所詮、喋る食料だァ!!」
頭だけだというのに煩い妖怪だ。しかも、うまく跳ぶ。口を限界まで開いて空気抵抗を高めていながら、俺の所まで届きそうである。
凶器たる牙が並んでいる様子がはっきり見える。
相変わらず手足が言う事を聞いてくれない俺では避けられない……という事はなく、『暗影』を使って退避に成功した。
「馬鹿めがっ。そう動くと思っていた!」
床に当たってバウンドした虎力大仙の本当の狙いは、放物線の先にいるリウだった。新鮮な血肉を喰らい体の回復を早める、そんなところだろう。
「リウを守れ、ユン!」
呼び寄せた悪霊ユンに命令して、リウを守らせる。リウを押し倒す位置にいたので十分に間に合う。
ユンの体は人間の死体であり強度はなく、妖怪に噛まれては一溜まりもない。が、既に彼女は死人である。生きている人間より優先されはしない。
「駄目だ、ユン!!」
……だが、そう思わなかったリウがユンを押し退けてしまう。
死んでいるユンを守るために身を挺した結果、リウの肩から胸にかけて妖怪が喰らいついた。
鮮血に沈むリウ。
叫ぶユン。
「リウ、リウゥゥッ!! どうしてっ、私を愛していると言う言葉は嘘なのに?! 私を迎えに現れた妖怪がそう嘘をついたのに!」
「……はは、ユン」
鮮血が吹き出した後の抜け殻に用はなく、リウの体は捨てられて床の上だ。
ユンに対して何かを語ろうと頑張っていたものの、リウの心臓は停止する。もう助けられない。
たった今、少年を殺した虎力大仙の頭は時が遡るように逆移動していく。体のある場所まで戻っていき、斬られた首を復元、接合されようとしていた。
「残念だが救世主職、今回はここまでだ。引き分けにしておこう。次こそは完璧なる計略でお前を喰――」
逃げに転じられた場合、俺の状況で追撃は無理だっただろう。逃がすべきではない敵であるが、どうする事もできない。
……虎力大仙の復元が、首が繋がる寸前で緊急停止しなければの話だ。
「――ユン。俺の気持ちがようやく君に」
「リウ。喋らないで。喋らなくても、貴方の気持ちはしっかり伝わっているから。リウの言葉は嘘だけど、リウの行動は本物だった。リウは私を、愛してくれていた」
リウが死んだのであれば、彼の体は『動け死体』の対象となっている。出血多量で死んだばかりの体を動かして、悪霊リウは手に持つ釘を虎力大仙の足元の影へと投じていた。
悪霊二人は寄り添いながら立ち上がる。
二人が向かう先には動きを封じられた虎力大仙がいる。動かないトラ顔から感情は読み取れないものの、瞳孔は二人が近づくにつれて酷く開かれていった。
「ユン」
「ええ、行きましょう、リウ。私達二人が願ったように、私達二人で。誰も知らない場所へ」
ちなみに、リウとユンに対して何かを命じてはいない。命じる必要性がない。二人の死に関わった妖怪の頭が無防備に止まっていれば、二人で仲良く掴んで黒い海への土産にするのは当たり前である。
二人の悪霊は足元へと沈んでいく。少年少女の広がった影が水面のように揺れながら、二人を飲み込んでいく。二人に掴まれた虎力大仙の頭部も一緒である。
抱き合う二人はもう二人以外を見ておらず、現世への未練は一切なく、沈み切るまでそう時間はかからなかった。
残ったのは、首なしの妖怪の死体だけとなる。
虎力大仙の死亡と同時に体の自由が復活した。
結局、リウは犠牲になった。後味の悪い結果となってしまい、意識した通りに動くようになった手を握り締める。リウとユンは満足していたかもしれないが、だからといって、決して良かったと思える最後ではなかった。
「……助けられなかった。俺は役立たずだった。いや、黄昏世界に来てからずっとか」
妖怪の妖術や宝貝が優れているから、という言い訳はできる。
全土を妖怪に支配された敵地ゆえ仕方がない、という理由もある。
黄昏世界からの脱出を優先している所為で、結果的に妖怪に対して後手に回ってしまっているだけではあったが。
『カウントダウン』の不安定な状態は続いている。他の誰かを助けている余裕がないのは確かであるが……その言い訳こそが、俺を追い詰めているのではなかろうか。
俺が最も実力を発揮できる状況は、誰かを助けている時だというのに。
「――っと、悩むのは後だ。噛まれた傷は浅くない。リウを治療した薬でもまた拝借す……んっ?」
貧血で体がふらつき、倒れかけた。倒れかけただけであり大事にはならなかったのであるが、耳元で妙に音がして不審がる。
何となく背後へと振り向く。
誰もいないと思って向いた先に、深紫の瞳が見えたので驚いた。『暗躍』で気配を遮断していたのか、不意打ちだった。
「こ、黒曜っ?! 驚かせるなよ」
黄昏世界唯一のエルフ、褐色が美しき黒曜が背後に立っていた。
「パパ、遅くなってごめん。間に合わなかった。怪我は大丈夫?」
「怪我は見た目通りの重傷で心配はいらない。それよりも……リウを助けられなかった」
「妖怪に殺されたのなら、仕方がない」
あまり接点の無かった少年が死んだとはいえ、やや素っ気ない感想を述べた黒曜。冷たい反応であるが、俺に対してはしっかりと肩を貸してくれる。彼女の細くとも頼もしい体が俺と接する。
鼻孔に入ってくる甘い臭気は香水だろうか。俺には少しキツい。
……なんとなく、違和感を覚えて首を捻るが、何に対してかよく分からない。
「なあ、黒曜。俺は黄昏世界を救うべきだと思うか?」
仕方なくではないが、今回の戦いで覚えた方の疑問を黒曜に投げかけてみる。世界を救う事については俺以上にひたむきな黒曜だ。彼女も何か考えているかもしれない。
「黄昏世界を救う? それは無理だ、パパ。だって、パパは――」
黒曜は俺の首に手を回して抱き着いてきた。吐息を感じるくらいに耳の近くで彼女は甘く囁く。いつになくスキンシップが過剰だ。
「――妖怪に喰われて、死ぬんだから、パパぁ。ぱぱァ。……く、はははっ、ぱぱァ。けはははッ」
馬鹿笑いを始めた黒曜に意識を向けていると、ふと、脇腹で発生した鈍痛に額を歪める羽目になる。ビジャビチャと肉と刃物の隙間より血が噴き出す。
「黒曜ッ?! どうして、だ??」
「色々と察しが悪いな、ぱぱァ。仮面でも間抜け面を隠せていないぜ。そんなだから少年の徒人を守れなかった。まったく可哀相だ。可哀相といえば少女の徒人も可哀相に。一体、どこの妖怪が少年の言葉を信じろ、だなんて嘘をついたんだろうな? けはははッ」
黒曜も汚らしい笑い方をする事はある。が、それは、カカカ、という鳥を真似た笑い方だ。この笑い声は耳障りだ。
腹を抱えて馬鹿笑いする黒曜の紫の瞳は、ドロドロに澱んでいる。




