6-9 三大仙 羊力大仙3
シーサーペントもどきの攻撃で俺の体にダメージが入った。『力』は100以上ありそうだ。
ただ、現状では尾による打撃より油の熱さの方が深刻だろう。少し命にかかわるサウナに入っているような感じに持続ダメージを受けている。行動できなくなるまでそう時間がない。
早めの決着を目指したいところなのに、仮面は外せない。
距離を詰めるだけなら『暗影』が使える。ただ、これは最後まで残しておきたい。使うなら、本当に仕留められると確信を得たタイミングだ。
されど、煮立つ油地獄に煮立つ脳細胞。
思考が鈍化し始めた事にさえ俺は気付けない。
気がどんどん遠退いていく。平衡感覚も怪しくなってしまい、油の中に倒れてい――く寸前、ドラを激しく叩いたような音と衝撃が、俺を叩き起こす。
「――ハッ。外から?!」
「おや、救世主職の仲間ぞ。だが、気付くのが遅かった。この一銅釜は結界でもあるゆえ、多少の衝撃で破れるものではない。この羊力大仙が術を解かぬ限り、たとえ我を倒したとて内部の者が外に逃れる方法はない」
鉄壁が外から図太い棒で何度も叩かれている。叩かれるたび、ドーン、ドーン、と油に波が生じる。
伸縮自在、太さも変化できる便利な棒を攻城兵器のように使い、どこの誰が鉄壁を破壊して俺を救出しようとしているのか、明らかだった。具体的に助けられた訳でもないのに、誰かが動いてくれているという事実だけで、張り詰め過ぎていた心に余裕が生まれるのだから不思議だ。
そして、冷静になれば油地獄ごときに慌てる必要性は一切なかったのだ。
「……そうだった、あれが使えるのに忘れていた。『既知スキル習得』発動。対象は蟲星の奴等の『環境適応』スキル」
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“『環境適応』、食害により悪化した極限環境の惑星でも生き延びるためのスキル。
真空、極寒、灼熱、高重力、等々。あらゆる過酷な環境に適用し、生物として生存するためのスキル”
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パッシブ系スキルで珍しく『既知スキル習得』で使用できるのが『環境適応』スキルだ。見て覚えたというか、見渡す限り存在した数百万規模のカンブロパキコーペの所為で目に焼きついているというか。蟲星本国ではマグマの中から浮上する怪生物を多数目撃していた。たかが油ごとき耐えられないはずがない。
『既知スキル習得』スキルは持続時間に難があるものの、この戦いの間だけなら問題はない。
スキル発動直後より、熱さはまったく気にならなくなる。
油で滑りまくる、浮きまくる劣悪環境も気にならなくなった。油が肌に粘る不快感さえ綺麗さっぱりなくなり、最初から油の中を住処にする人魚のように移動できる。
「こうも変わるか。もっと早く使えばよかった」
「な、こやつ、急に動きが機敏……というか気色悪い動きを?! どうなっているぞ。もっと火力を! 竜よ、近付けるな!」
「ほーれ、バタフライ!」
きめ細かなサメ肌のごとく油の抵抗を感じない。フルで『速』437を活用できている。
たったそれだけであるが、『速』は最も高いパラメーターであり常人を踏み外している。妖怪どころか使役されているシーサーペントさえも目で追い切れていないようで、俺が通過した後の飛沫を尾で攻撃していた。
『環境適応』した途端に形勢逆転。
羊力大仙が頼りにしているシーサーペントも、まあ、普通に強い妖魔でしかない。本人は竜と申告しているものの、俺が飼育しているペットのドラゴンは喋るし化けるし土地神だってやっている。体長だって十メートル程度。比較にもならない。
『暗影』を使うまでもなく距離を詰めた。
うねるシーサーペントの体を足場にして油の中から跳び出す。
「邪魔だ」
牙を剥くシーサーペントの脳天にナイフを突き刺して着地を固定。目の前の羊力大仙を長く睨みたい気持ちを抑えながら、さっさと妖怪の首を掻っ切った。
「ぎゃッ、ぐッ」
「そのくらいで妖怪は死なないだろ。黙って落ちろ」
情けなく叫ぼうとする妖怪の口を手で鷲掴みにしながら押し倒す。シーサーペントの頭から落として油の海へと羊力大仙を落とした。
「ま、待つぞ。熱いッ。熱は竜種の加護で防いでいたから、竜亡き今は、熱ッ」
「黙って沈め。お前が用意した油ならお前が飲み干せ」
なおも五月蠅い口を塞ぎつつ、斬った喉から油を飲ませていく。
倒すだけなら心臓を潰すだけで終わる。わざわざ窒息させようとしているのは自分のサディスティックな部分を満たそうとしているから、というのは否定したい。いくら仮面の後ろ側が楽しそうに見えても、実際は冷静である。
この羊力大仙なる妖怪自身が先程言っていた。この油地獄から脱出するためには本人が妖術を解除する以外に手段がない。
「か、解除するッ。解除するぞッ!!」
栓が抜かれるように油が退いていく。
四方を囲む鉄壁も地面に沈み込んでいく。思惑通り、羊力大仙に妖術を解除させる事に成功した。
後は用済みとなったこいつにトドメを刺すだけだ。
「救世主職ごときが、我は三大仙ぞ。我に勝ったなどと――ッ」
暴れて逃げようとする妖怪の心臓をエルフナイフで貫く。鼓動する部位を潰した感覚が手に伝わり、そのまま停止していく。
経験値取得のポップアップメッセージがなくとも分かる。医師免許がないので資格はないが、妖怪の死亡判断は医者とて困るだろう。羊力大仙は死んだ。
ナイフの血を妖怪の服で拭って『暗器』で格納する。
動かなくなった妖怪の死体に興味はない。足早に、俺は旅の仲間達のもとへと向かう。
残された羊力大仙の死体は動かない。死体なのだから動くはずがない。
「――妖術“覆水は盆に返る。水は循環する”遅延発動ぞ。……まったく、斬られて死なんとはいえ、痛みに耐えるのはつらいぞ。改良が必要だ」
ナイフの血が拭われた服から血が染み出して、妖怪の体の中へと飛んでいく。散っていた血もすべて体の中へと収まっていく。奇妙な光景だ。
「我等が義兄弟のみが知る秘術がある限り、我等は首を斬られようと内臓を取り除かれようと死ぬ事はない。が、この屈辱は忘れんぞ、救世主職。お前の戦い方は分かった。次こそは勝って肉を喰ろうてやるぞ」
潰れた心臓は時を戻すように修復されて、鼓動を開始した。
復活した羊力大仙は立ち上がり、仮面の救世主職が去っていった方角を忌々しく睨みながら再戦を誓った。
ニヤりと歪む妖怪の口から血が吹き出したのは、その直後である。
赤天の下、羊力大仙の背後に伸びる影の中で、影を纏って瞬間移動してきたアサシンが妖怪の背より心臓を鋭利なナイフで突いていた。
「なッ、なッ、きゅ、救世主職、ぞ。どうして?!」
「いや、俺を孤立させて、シーサーペントまで用意していた妖怪にしては最後があっさりし過ぎていたからな。去ったフリをした。騙してしまって悪かったな」
まったく悪びれた様子を見せない仮面の救世主職が、徒人ごときに騙された間抜けな妖怪に謝罪している。
「キサマ、キサマッ! だが、何度刺そうと、我は死なんぞ」
「それを今から試す。…………『暗殺』発動」
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“『暗殺』、どんな難敵だろうと殺傷せしめる可能性を秘めたスキル。
攻撃に対して即死判定を付与し、確率によって対象を一撃で仕留められる”
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捻られたナイフが羊力大仙の心臓を完全に破壊した。が、裂傷では死なない妖術を習得している妖怪は死なない自信があった。
……その自信が過信であったと知る機会は羊力大仙に訪れず、妖怪の赤い血は大地に散ったままとなる。




