6-5 リウとユン
中学生くらいの少年が俺達を呼び止めると、人目を気にして民家の裏手へと移動しながら手招きする。
少年も他の村人と同じように武器を、細身の槍を背負っていた。曲りなりにも武器を持った相手に人気のない場所へと招かれている訳だ。まあ、恐れずについていくが。
「見ない顔だから声をかけたけど、行商人っぽくはないね」
「その通り、俺達は行商人ではなく旅人。天竺を目指して旅……生まれ故郷を離れて別の州や村を巡りながら目的地へと移動している」
「ふーん、そういうのもあるんだ」
年相応の可愛げを残した少年は何のために俺達を呼んだのか。
「俺、リウって言うんだけどさ。隣村に俺と同じ年のユンっていう子がいてさ。二人でどこか別の壁村に住めないかと思っているんだ」
なんて事はない。世界の状況は悪いものの、そんな世界に住む少年としては純朴な願いのために他所者の俺達に声をかけたのだ。
確認すれば、隣村のユンなる子は少女。少年が少し恥ずかしげにしている様子から、どういう関係なのかを簡単に察する。
「壁村同士の交流なんてないだろうに、よく知り合えたもんだ」
「二年前にも軽い徴税があって、その時に。ユンは別の壁村の俺が怪我をしていたのをワザワザ助けてくれたんだ。優しくてさ。話をして、仲良くなって」
「ほうほう」
「美人の姉ちゃんを連れている兄ちゃんに、そういう顔をされたくはないのだけど」
失敬。俺の中学生時代は野郎ばかりの暗黒時代だったので、つい微笑ましくなってしまった。
殺し合う事が常識の村同士でありながら、怪我人を助ける。悪意の中でも善意というものは生まれるものらしい。それが酷く、酷く嬉しかった。
「病気で死んでいなければ、今年もユンは現れると思う。けど、殺し合うのは嫌だからさ。俺の親にそう言ったら殴られた、ユンの親もそうだろうけど。だったら、二人だけで別の壁村に行きたいなって。行商人なら連れて行ってもらえると思ったんだ」
「なるほど。それが話しかけてきた理由か、ロミオ君」
「いや。俺、リウって名前だって」
少年の願いは分かった。
行商はしていないが、今後も補給のために別の壁村には立ち寄るだろう。少し離れた壁村まで連れていくくらいは善意の範囲で可能だ。
けれども、他の壁村に少年少女の二人だけで移住したとして、果たして幸せに暮らせるものだろうか。
直近の争いは避けられる。されど、移住先で徴税があった際に二人は税を支払えず自身を差し出すしかなくなるのではないか。心無い誰かが縁者のいない二人を捕えて税として差し出すのではないか。不安は付きまとう。
安易な手助けによって、より悲惨な結果が導かれるかもしれない。
「どうしたものか」
「ちょっと、パパ」
黒曜に腕を引っ張られてリウ少年から少し離れる。と、コソコソと話し込む俺達。
「まさか、助けるつもりか?」
「助けられるなら、まぁ」
「余計な同情だ。そもそも本当の話とは限らない。俺達を罠に嵌めるために嘘をついている可能性だってあるというのに」
村人相手に用心深い。それが悪いとは言わない。ゼロトラストというのは昨今のトレンドでもある。それこそ最悪のケースを想定すれば妖怪が村人に化けているかもしれないのだ――さすがにジャンケンで方向を決めていた俺達の進路を予想し、妖怪を壁村に配置できたとは思わないが。
「いや、パパなら相手の思考を読める。どういうつもりで俺達に接触してきたのかは調べておいた方がいい」
「『読心魔眼』か。あんまりプライバシーの侵害をしたくないんだが」
「そんな甘い事を言っていられる立場に俺達はいない」
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“『読心魔眼』、心を見通す妖なる魔眼スキル。
元々は発音器官を必要としない妖精が持つコミュニケーションスキル。相手の瞳の奥に焦点を合わせる事で心の声を聞く事が可能になる”
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黒曜が強く推すのであれば仕方がない。
リウ少年へと振り返って若い目へと視線を合わせ、角膜レンズを通して心を読む。
『――この壁村では、俺とユンは暮らせない。一緒にどこかで暮らしたい――』
読んだ心の中と証言は一致していそうだ。
気になる点は、逃避行計画はリウ少年の考えでしかない点だ。二年前に出合ったのが最初で最後。自分の故郷を捨てる程の思いが彼女にあるかは不明である。少年のストーカー的な思い込みという危険もあるか。
「……やっぱり駄目かな」
「一度、リウとユンの二人で話をしてみたらどうだ? とりあえず、そこまでなら手を貸すが」
「ちょっ、パパっ!」
余分な事に手を貸そうとしているという自覚はある。村同士の殺し合いを放置して、少年の恋路に手を貸すのは明らかに間違いだ。黒曜に胸倉を掴まれるくらいの独断でもある。
「どうして手を貸すんだ。こんな赤の他人に!」
「天竺を真っ直ぐに目指して、トラブルは避けろと言いたいのだろ。それは分かる」
「分かっていないだろっ」
怒られるとは想定していました。
それでも、他所者に声をかけてきた少年の勇気を無視できる程の勇気が俺にはない。黒曜の前で冷酷な態度を取れるだけの勇気が俺にはない。何より、近々滅びる世界の住民を見捨てて逃げ出す旅をしている俺が、偽善行為なく正気でいられる勇気がない。
助けたいと思った相手を助けるくらいの余計な真似をしていないと、いざ、黄昏世界を逃げ出す瞬間に足を止めてしまいそうな気がするのだ。
黄昏世界の村娘に助けられておきながら、俺は黄昏世界の住民に恩を返せていない、と。
「枯れ井戸に頭を突っ込んだ所を助けられたくらいでッ」
黒曜は鼻と鼻が密着しそうな距離まで顔を近付ける。
「……黄昏世界に情けをかけると、必ず後悔するぞ、パパ」
絞られた深紫の瞳が俺に警告していた。
合流したクゥにも小言を言われてしまった――ユウタロウは大きな鼻を鳴らして知らんぷりだ。
ただ、クゥの場合は黒曜とは別方向に怒っている。
「もう! 手を貸すなら当面の資金を融通してあげないと駄目じゃない。金子足りるか不安!」
「反対はしないんだな」
「して欲しい? 言わないで欲しい事をいちいち指摘しない!」
クゥは少年少女が新しい壁村に移住した場合まで想定しているらしい。
おお、村娘が女神のように輝いて見える。クゥってこんなに良い女だったっけ。最初に助けられた時以来の眩しさだ。拝む俺を女神本人は鬱陶しくあしらっているが。
「……隣の壁村に行ってきた。ユンという村娘はいたぞ」
不満があるからこそ早く終わらそうと考えている黒曜は、炎天下を駆けて隣村まで出かけていた。
「美人の姉ちゃん、ユンはどう返事を?!」
「明日の朝に隣村が動く。その時に同行して、それとなく一人になる」
「来てくれるんだ……」
喜びの声を上げているのはリウ少年である。彼は俺達と一時的に行動を共にしている。
リウの思い人たるユンが明日動く際には俺達も動き、話し合いの結果次第ではそのまま二人を連れて別の壁村を目指す。




