5-20 街での後始末
すべては我が術中であった。
州官長のいない街とはいえ、街は街だ。しがない妖怪が単身で忍び込むのは容易ではなく、宝物庫に収蔵されている黒八卦炉の宝珠を手に入れるなど夢のまた夢。いやらしく設置された攻性防御型の宝貝により道中で命を落とすのがオチだっただろう。
ゆえに、一計を案じた。
忍び込めないのであれば、街ごと滅ぼす。そういう作戦を考えた。
もちろん、忍び込むと滅ぼすでは後者の方が難事なのだが、ここ最近は事情が異なる。どうして、州の長たる州官長が燃え死んだのかを思い出せばいい。
悪意ある災害、混世魔王なる災いが黄昏の世にはいるではないか。
混世魔王に街を襲わせてしまえば良い。人を焼く事には熱心で、物には無頓着なところも最適である。
問題は混世魔王の行動が気まぐれだという事だ。個体ごとに規則性はバラバラ。ただ、全体的には人口密度の高い場所に現れる傾向が高い。
黄昏世界の人口密集地帯というと都。次が各州の街となる。
街の人口に大きな違いはない。魔王のお歴々が治める上位の州となれば違いが出てくるが、それ以外はほぼ横ばいだ。
しかし、狙いの街は妖怪千人となかなかに栄えている。州官長の統治が良かったのだろう。焼け死んだが。
ならば駄目押しで街の周囲に徒人を集めて更に人口密度を高めてやれば、いずれかの混世魔王を誘引できるのではないか。私はそう考えて実際に行動した。
結果は……最高だ。この上ない。
熱心に徒人共の世話をしてやっただけの事はある。憐れな家畜に失われた反骨心を思い出させ、反乱が失敗した後の結果からは目を逸らすように調整した甲斐があった。
襲撃直後の街では、まだ炎が燻っている。住民は灰と炭の塊になって動かない。
宝物庫のある塔も焼けてしまっているが、炎上しながらも倒れていない。求めている黒八卦炉の宝珠も無事だろう。
塔に侵入しても誰も現れず、やはり生き残りは一人としていない。
順調だ。順調過ぎて笑いさえ零してしまう。
混世魔王や救世主職は確かに強い。が、この世で最も得をする者はそんな者共を誘導する私のような賢い妖怪だ。
「――混世魔王を使う大それた黒幕にしては、動機が宝目当てか。実にツマらんな」
ビクりと背筋を震わせながらも、声がした方向に体を動かして臨戦態勢を整える。
宝物庫の入口に妖怪が立っていた。死に損ないが残っていたらしい。
妖怪は煤だらけであり、まるで高所から地面に落下したかのような擦り傷も見受けられる。更に無手だ。ならば、最後くらいは実力で始末してくれよう。
「壁村ではギョクスと名乗っていたな。行動がいちいちせせこましくて、本当に人間族かとも深読みしていたが、ただの火事場泥棒妖怪でしかなかった」
「どうして私の名前を、妖怪がッ?!」
ブタ面の妖怪は背中から炎を噴出させて一気に距離を詰めてきた。対処できる速度ではなく、顔面を物のように掴まれたまま押されていく。最終的には宝物庫の壁へと後頭部をめり込まされてしまった。
「キサマァアッ!!」
本来の私ならばこの時点で致命傷を負っていただろう。けれども、今日の私は天運に恵まれている。手には既に発見していた黒八卦炉の宝珠が握られているのだ。起動を示す黒い炎が腕を伝い、体に絡みつき始めていた。
異変に気が付いたブタ面は私の顔を離して距離を取った。
妖怪としての本性、ウサギの顔で私は威嚇する。
「私の邪魔をするな、雑鬼! 死ねェエ」
「黒い炎。色こそ復讐染みているが、実際は純然な熱量だな」
供給される膨大な妖気と全能感を炎として、ブタ面へと向けて解き放つ。
無手のブタ面を焼きブタにしてやる。
「どれでもいいが、これか」
焼かれる寸前だというのに、当のブタ面は酷く冷静に動いていた。床に散らばる長柄の一つを拾い上げると槍のように構えている。
重心をどっしりと下半身まで落として、しっかりと床を踏むブタ面。
槍の構えとしては様になっている。ただし、構えている物は槍ではない。九本の歯が並んでいるただの農具。熊手形状となっており槍のように突く攻撃には向いていない。
「突くではなく、裂くか」
瞬時に使い方を理解したブタ面は上方へと一度振り上げた熊手の穂先を、斜めに下ろす。スライドしたかのような静かな移動で間合いの内側へと私を捕えていた。
私から見えた凶器の軌道は、肉食妖魔の爪のようであった。洗練された凶暴性が私の放った黒い炎を当然のように裂いて散らす。たった一閃で、平行に並ぶ九の歯が九の筋を体に刻み込む。
致命傷を負ってから気付くなど遅いのだろうが、ここは宝物庫である。その床に転がる何かも宝の一種でなければおかしい。
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“宝貝『釘鈀』。
九の歯を持つ、農具の形状をした宝貝。本来の使用用途も農具らしいが、無駄に重くて使い勝手が悪い。農作業をした事もない神格が作成しただけの事はある。
農具らしからぬ耐久性と耐熱性があり、武器として転用可能”
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「ゲフォッ」
「見た目に反して耐久性が高い。重さも十分。炎に対しても耐性がある。槍を失ったところだ、借りるとしよう」
「ど、どうしてだ。どうして、これだけ計画した私が、どうして……」
「……悪行の果ての死に疑問を持つな。悪が救われた最後を迎えられると思っていたならば、実に酷い勘違いだ。お前の甘言に乗って頭を吹き飛ばされた人間族がいる。その程度の死に様ならむしろ軽い」
拾った釘鈀を肩に担いだブタ面は、息絶える私を置いて去っていく。
「いや、だからこそ俺は、俺の最後に現れた奴の行動に納得ができんのだ」
ブタ面の最後の疑問など、死んだ私にとっては知った事ではなかった。
「――おやおや、てっきり俺達と同じく、漁夫の利狙いかと思えば、せっかくの宝をほとんど置いていってしまったぞ、兄ジャ」
「――そうさな、弟よ。ならば、ここに残る宝貝はすべて俺達の物という事だろう。黒八卦炉の宝珠も可哀相だから有効活用してやらないとな」
「そうだな、兄ジャ。番号は……捌か。兄ジャ、貰っていいか?」
「遠慮せず使え、弟よ。俺は既に一つ持っているからな」
――???
「御前、下界での任務完了しましたわ」
「ご苦労だった、スノーフィールド。それでどうだった。やはり黒い穴は悪しき前兆であったか」
「……いえ、感じ取れる性質は怪しかったのですが、彼等は行動で自らの正しさを示しました。妖怪と敵対し壁村を守った彼等は、悪ではありませんわ」
久しぶりの吉報。悪徳が蔓延る下界で長らく聞いた事のない出来事に、天竺の頂点に住む女は、腰を浮かせた。
「…………それは、なんと。なんと……されど、手遅れな」
けれども、女はすぐに腰を下ろす。高揚しかけた顔色も鎮めてしまう。
一地方での出来事ごときに一喜したところで、世界の状況は変わらない。過去にも同じような出来事があったが、長続きした試しはない。
「どうされますか、御前?」
「……こちらからは、何もせん。下手に通じて黄昏めにここを攻められてもたまらん」
「そう、ですか」
「観察は続けるがな。素性だけは掴んでおきたい」
女は赤く枯れ切った下界に目を向ける。
見下ろす星の向こう側は赤い背景。ぶくぶくと肥大化を続ける恒星が、赤々と惑星を照らし続けている。
その惑星は既に、ハビタブルゾーンに存在しなかった。
想定よりも長くなった五章も今回で終わりです。
次回から六章です。




