1-3 黄昏世界の救世主職
体をイモ虫のように動かして水を飲もうと必死に頑張っている時だった。突然、壁を破って火球が飛び込んできたと思えば、火が柱や壁へと燃え移って一気に炎上したのである。
天井が落ちてきた所為で水瓶が割れた時にはもうお終いかと嘆いたものの、流れた水が指先まで伝わってきたのは幸運だった。
喉さえ潤えば、火事ごとき熱量で死ぬようなヤワなパラメーターをしていない。まあ、服が燃えて裸になるのは嫌だったので、寒い脱衣所から出ていくような足取りで家の外へと出ていく。
「トカゲとサルの顔をした魔族が二体。いや、この世界では妖怪か」
家の外にいたのは異形。
クゥの家を放火したと思しき獣人タイプの妖怪。人間の顔に動物の耳が付属している易しい方ではなく、動物の顔をヒューマノイドに寄せている方の獣人なので毛深い。
妖怪と魔族は世界レベルで異なる別種ではあるだろうが、妖怪も魔族と同じく人間を害する事に快楽を覚える系の生物らしい。腐った精神が毛深い顔から滲んでいる。
ただ、いちおう確認はするべきだ。
「どうして、家を燃やした?」
「何だコイツ。仮面なんか付けやがって」
「キキキ??」
ここは地球ではない。俺の知る異世界ですらない。新たな謎の世界である。
異世界ならではの変わった風習、たとえば、仮面の男は家ごと燃やすのが最大級の歓迎の儀式、といった可能性が量子レベルで存在する。
「答えろ、妖怪。どうしてクゥの家を燃やした?」
怒りを隠さず睨み付けてやっているのに、妖怪共に悪びれた様子はない。
他人の家を燃やしてどうして自分が怒られるのかが分からない。そういった態度で、むしろ、俺を馬鹿にしている。
「家の一つや二つどうしたってんだ」
「キキ」
「家を失った人間の気持ちが理解できないのか。今日から家なき子になるクゥを不憫に思わないのか」
「はっ、馬鹿かよ。妖怪が徒人の気持ちなんて考えるか」
「なるほど。つまり、俺の目の前にいるのは下衆なトカゲとサルって事か」
「なんだとッ」
犬歯をむき、爪を伸ばす妖怪共。
対する俺は無手のままだ。残念だったな、行き倒れるような男がアイテムや装備を所持していると思ったか。
「歯向かわないでっ。『陽』を使ってどんな嫌な事にも耐えるしかない。それが徒人の宿命だから。それを守らない徒人は妖怪に殺されるだけだから!」
門の近くからクゥが大声で警告してくれたものの、内容が間違っている。
トカゲ妖怪は既に俺を殺すつもりで刃物を取り出し動いているので、クゥの警告はもう間違っている。
「生意気な徒人め、うっせえから死ね!」
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▼雑鬼(トカゲ型)
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“●レベル:30”
“ステータス詳細
●力:35 ●守:16 ●速:17
●魔:54/59
●運:0
●陽:19”
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とはいえ、トカゲ妖怪の腕の振りはあまりにも遅かった。
普通の人間には反応できない動きであっても、数々の戦いを経てレベル100に到達したアサシン職にとってはカメの歩みよりも遅い。
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▼御影
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“●レベル:100”
“ステータス詳細
●力:280 守:130 速:437
●魔:0/122
●運:130”
“職業詳細
●アサシン(Sランク)
●救世主(Bランク)
●遭難者(初心者)
●人身御供(初心者)(非表示)
×死霊使い(無効化)”
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俺が強いなどという驕った話ではない。
もっと速い敵がいた。もっと強い敵がいた。経験してきた苦難と比較すれば首に迫る刃など脅威ではない。無限増殖する世界樹や究極生物との対戦経験がある俺が、いまさら刃物を怖がるのは難しい。
回避も反撃も容易いが、過剰反応する事はないだろう。
仲間の暴力は仲間に受けてもらう。丁度、掴み易い位置にサル男がいたので、体の位置を入れ替えて、さあ登板しろ。
「キキギッ?!」
「ああっ。仮面の人の頭が飛んだ!? 墓に名前も彫ってあげられないなんて!」
顔を背けていたクゥは見間違えたようだが、実際に飛んだのはサル男の頭である。
仲間の首を斬ってしまい硬直するトカゲ妖怪。その隙だらけな背中を蹴りつけてやる。足をもつれさせて倒れていく先は、赤く燃えているクゥの家だ。
「ギャアアァッ!?」
トカゲの肉が焼ける臭いがどんなものかは分からない。皐月なら普段からモンスターを燃やしているので判別できたかもしれない。
炎の中で無茶苦茶に暴れている妖怪を見下してやっていると、ふと、背後から斬りつけられた。もちろん、気配に気付いていたので軽く避ける。
新手の妖怪だった。
見た目はカマキリが服を着た感じであり、両手は指がない代わりに鋭い鎌になっている。
「徒人ごときが妖怪に、しかも徴税官に逆らうとは、正気か!」
「キサマァッ。手足をすべて燃やしてから殺してやるッ」
炎よりトカゲ妖怪が脱出してきた事により前後を挟まれた。
同時に襲い掛かってくる二体の妖怪。絶体絶命のピンチ……には遠いものの、殺気を垂れ流す相手に武器を使わない理由もない。
「『暗器』解放」
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“アサシン固有スキル『暗器』、アサシン職の基本スキル。
暗殺するための武器を一つだけ、出し入れ可能な四次元空間に格納するのが正しいスキルの使い方。
重量設定がないからと喜々としてバケットホイールエスクカベーターを格納したり、飛んできた矢を手の平に少し刺さった瞬間に格納したりする使い方は間違っている”
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刃がくの字に曲がったエルフ製造のナイフを虚空より取り出す。
実践にて鍛え上げられた『力』280の一閃にて、近場にいたカマキリ妖怪の胴を横に裂く。死角から突進してきたトカゲ妖怪は目線を向けないまま眉間を突く。
倒れていく二体の妖怪に対して特に思う事はない。命は奪ったが所詮は外道だ。力量に差はあるが命のやり取りだったと諦めてもらおう。
ただ、一つ思うところはある。
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“――――”
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外見も思考もモンスターそのものな妖怪を倒したというのに、この世界で一度も経験値取得のポップアップが現れてくれないのは大いに不満だった。
「徒人の動きじゃねえっ。まさか、お前ッ。昔に現れたっていう救世主職かッ!!」
討伐メッセージの現れない網膜に注目していると、突然、職業を看破されてしまった。えっ、ちょっと怖い。
指摘してきたのは、門の傍に立っている妖怪だ。額に角を生やしたオーガみたいな奴である。『魔』の気配からして、村の中にいる妖怪はこいつで最後だろう。外にも気配はあるが、入ってくる様子は今のところない。
「救世主職? いやいや、俺は就職前の大学生だ。優太郎がきっと休学届を出してくれているから、来年には復学できる」
「意味不明な事を言っても無駄だ。昔に、お前のような徒人の癖に徒人離れした奴等が現れたって話を聞いた事がある。害虫め。まさか、懲りずにまた現れるか。救世主職!」
妖怪の口ぶりだと、この世界には俺以外の救世主職も過去に存在したらしい。初耳の情報である。
救世主職は世界を救う職業である――いつの間にか職に就かされていた俺としては遺憾であるが。
その救世主職が現れていながら世界を妖怪が牛耳っている事。妖怪ではないクゥや村人達は話にピンときていなさそうな事。以上の状況証拠より、過去の救世主職がどういう末路を辿ったかは想像できるだろう。
この世界、気候のみならず歴史も謎が多そうだ。
「世界を破滅させる救世主職! 我等が御母様の敵!」
「救世主職、救世主職とうるさいな。好きでこんな不遇職に就いていない。ほら、喚いてばかりいないで倒してやるからかかってこい」
「馬鹿がっ。救世主職なんかに真正面から立ち向かうかよ!」
パワーで圧してくるモンスターと違い、妖怪はどうにも悪辣である。オーガ妖怪は、近くに立っていた村人の一人へと手を伸ばしたのだ。
不幸にも捕われて、荷物のごとくオーガ妖怪の頭上に掲げられてしまったのは、クゥである。家を燃やされたばかりだというのに不幸が続く。
後頭部をしっかりと掴まれている。少し力を加えられただけで、細いクゥの首ぐらい簡単にねじり取られてしまいそうだ。
「あのぅ、どうして私ばかり?!」
「クゥ! なんて可哀そうな村娘なんだ」
「アナタに可哀そう呼ばわりされるのは何故か釈然としない!」
「騒ぐな、小娘。動くな、救世主職。少しでも動けばこの娘の頭が胴体からおさらばするぜ」
初手で人質とは見下げた妖怪だ。いや、他の妖怪と同程度のパラメーターしかないのであれば妥当な行動なのか。
オーガ妖怪までの距離はたったのニ、三十メートル。『暗影』スキル一回では届かない距離だ。
「あ、あの。どうせ私、首途されようとしていた身だから、人質にしても意味がないかと」
「黙れ、小娘ッ。頭を抜き取るぞ!」
「ぐェ!? 首が伸びちゃう。痛たたたッ」
無理やり首を伸ばされたクゥの顔が苦痛に歪む。
くぐもった女性の声を切っ掛けにしたくはなかったが、俺は『暗影』スキルの連続発動を開始した。
「『暗影』発動!」
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“『暗影』、やったか、を実現可能なアサシン職のスキル。
体の表面に影を纏い、攻撃に対する身代わりとして使用可能。本人は、半径七メートルの任意の場所に空間転移できる。
決して移動スキルではないが、無理をすれば使えない事もない。
スキルを連発して酷使した場合、しばらく使用不能となる”
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移動経路に煙のような影だけを残して、瞬間的な移動を果たす。オーバーヒートで『暗影』はしばらく使用できなくなるが気にする必要はない。もう、妖怪の両腕は切断した。
「おっと、大丈夫か?」
「え? さっきまであっちにいたのに。今は私を抱えている。あれぇ??」
「ぐアァアッ」
落ちてきたクゥをお姫様キャッチして、安全な位置まで移動して地面に下ろす。
悠長であるもののもう戦闘は終わった。両腕を失った妖怪は逆上するでもなく村の外へとよろよろと逃げだしている。なお、簡単に人間の頭を引き抜こうとする危険妖怪のトドメは当然刺すつもりだ。
「俺を乗せて、逃げろォオッ」
オーガ妖怪の傍に巨大ムカデが乗りつけて走り出す。逃げられてしまったな。まあ、いいさ。車程度の速度なら簡単に追いつける。
「――徴税官に逆らうなんて、なんて馬鹿げた事を! もうこの壁村はおしまいだ」
「この仮面野郎。この仮面!」
「頑張って頑張って耐えていたのに、皆死んだわぁ……」
妖怪が逃げた途端、村人達に詰め寄られなければ追いつけた。