5-12 反撃と、
強い気流が生じる。
壁村を包む香の臭気が、前触れなく発生した竜巻により巻き上げられていく。
御影が呼び出した悪霊、黄風怪が起こした竜巻だった。壁村の内部から柱のように高く聳えている。
「――『脳幹信管・爆雷符』の発動条件に気付かれ、かれ、たか? あるいは、何も分からずただ臭いを取り除いているだけか。くくくっ、どちらにせよ動いたな。動いてしまったな。慌てて風を使って、そこに徒人以外の何かがいると知らせてしまった、た、た! くくくっ」
竜巻は州軍の陣地からも見えるくらいだ。
陣地中央では州司馬、野狗子が喉で笑っている。
宝貝『脳幹信管・爆雷符』は決して効率の良い武器ではない――宝貝は本来武器ではないので仕方がない。が、条件を満たした瞬間、無条件に頭部を破壊するという殺傷性能は秀でている。
徒人鎮圧のみを目的としているのであれば過剰性能である。徒人に擬態しているかもしれない妖怪を一緒に殲滅するというのが真の目的だ。
徒人が慌てれば慌てる程に爆発が連鎖し、最終的には妖怪も一緒に爆発させられる。頭をミンチにすれば大抵の妖怪も死ぬのだ。
そんな発動すれば必殺を誇る宝貝『脳幹信管・爆雷符』の発動条件を見破られたかもしれないというのに、野狗子はむしろ、喜んでいる。
「馬鹿な妖怪がいるようだな。徒人を守ったとなれば、もしや、しや、噂の救世主職か。どちらにせよ悪手を打った。徒人など捨ておけばよいものを。『脳幹信管・爆雷符』の発動条件の設定変更は容易だぞ。くくくっ」
腐って穴の開いた頬から笑い声を零しつつ野狗子は手に持つ禍々しいデザインの札に『魔』を注入させる。
次なる発動条件は事前に決めていた。
香の臭いを吸っていない者が爆死する、と。
「焚火を今すぐに中断せよ。各軍に攻撃準備。俺が用意した部隊も前線に動かせ」
設定変更が容易だからと言って、これまでとは真逆の発動条件を設定するのはいかがなものか。既に香を吸って何人も被害者が出ている徒人に条件を信じ込ませるのは難しいと思われる。
けれども、何も知らない州軍の妖怪共はどうだろうか。
香を焚いている間、壁村の中から響いていた爆発音。それが焚火を消すのを切っ掛けに、今度は軍の内側で響いたとなれば、頭の回転の鈍い雑鬼とはいえ一定人数が関係性を誤認するだろう。
味方の兵士を殺傷する条件など正気とは思えないが、野狗子はいたって正気である。
敵へと向かって歩く爆弾を生成すると考えれば、州司馬が狡猾であると理解できるだろう。また、妖怪兵士と戦わなければならない側の立場では、いつ爆発するかも分からない敵と戦わなければならなくなる。
「これからの州のためにも、口減らしは必要だから、からな。くくくっ」
野狗子が、ただ目の前の敵を倒す事を考える三流軍師ではないと自らの行動で示していた。
策略を巡らす州軍に対して壁村の妖怪、または救世主職がどのように戦うか。野狗子にとっては見物だ。
「――敵襲ッ。壁村方向より徒人が複数!」
……残念ながら、敵は愚直にも正面から攻め込んでくるだけだった。
たった数十人の徒人の小集団で三百の妖怪に挑んでいる時点で、結果は分かり切ったものである。
「――て、訂正っ! 敵は徒人ですが、徒人ではありません?!」
「どういう、意味だ。正確に伝えよ」
「向かってくる徒人共ですが……頭がありません。吹き飛んでいます!」
伝令の報告を野狗子は訝しがったのだろう。自ら遠方を眺めて州軍の前衛部隊に向かってきた敵を確認する。
結果、報告に偽りはなかった。
頭部がない事を除けば、確かに壁村に住む徒人の姿をしている。まるで頭を爆発された死体が動いているかのようだ。
「敵の妖術は反魂か? ならばこそ分からんな。戦力増強を考えて、どうして壁村が全滅するまで放置せんかった」
妖怪でも頭部がない癖に襲い掛かってくる徒人は不気味らしい。最前線にいる兵士は腰が引けている。
それでも、数でもレベルでも妖怪が勝る。死体が動いているのであれば矛で刺しても止まらないかもしれないが、四肢をバラバラにすれば無力化は可能だろう。
……前線で戦いが始まる瞬間を見計らい、黄色い砂混じりの風が吹かなければの話である。
「――妖術“三昧神風”、急急如律令」
黄色い砂は視力を奪う呪いの風だ。
妖怪の兵士は痛む目を手で押さえるのに忙しくて武器を落としている。
しかし、頭部のない徒人の死体には痛む目がないため自由に動いていた。落ちていた武器を拾い、妖怪に対して復讐を実行する。
州軍に混乱が生じる。
それでも、野狗子はまだ冷静である。襲撃の規模が小さい事から囮の可能性を疑い、軍中枢への直接攻撃を警戒しながら、ふと、空を――。
――同刻、妖怪の街
「これまで通りとはいきませぬぞ、州官長。貴方様が目指していたものは分かりますが、徒人と妖怪では妖怪を守るしかありませんので。州の存続のためにも、徒人には犠牲になってもらいましょうぞ」
ミミズクの文官妖怪は五重の塔の最上階にて、帰らぬ州官長に向けて首を垂れていた。
妖怪の街を守るため、徒人共に重税を課す。その決意も合わせて行っていたのだろう。ミミズクの首は長時間、下がったままであった。
陽光が最小となる深夜は心細い時間帯だ。それでも、山脈の向こう側ではいつも御母様が大地を見守っている。不安はない。
だから、ミミズクの妖怪が頭を上げた時、その表情が凍り付く。
空が、不気味な色合いに変貌してしまっていた。何か妙な光が暗く藍色に置き換わってしまった空に浮かんでいる。
「これはッ。いや、まさか夜空なのか?!」
気色悪い空には黒い影が伸びている。
その黒い影からは無数の何かが放たれており、放物線を描いた後、五重の塔や街へと降り注ぐ。
ミミズクの妖怪はその光景を眺めるままだった。降り注ぐ何かの一つが足元に落ちるまで何もせず……足元から火炎が生じて全身を燃やした後も何もできず、焼死したのだった。自身と同じように愛する街が燃えている事に気付く余裕がなかったのは幸いだった。
なお大した情報ではないが、ミミズクの妖怪の死に方は、敬愛した州官長と同じ死に方である。
愚かし。
愚かし。
愚かし。愚かし。愚かし。
愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし。愚かし――。
正当なる評価ができない愚か者め。正当なる評価の機会さえツマラヌ揉め事で燃やし尽くした愚か者共め。その不出来で不当なる罪深き生物の名、人類。
人類は評価できない。
人類は報復を許容するべきである。
我が身が受けし苦痛は炎。孤独と苦悩を理解せず、我が身を焦がした炎。
憎き人類に同じ苦痛を味わわせるまで、我が炎、決して消えず。
我が名は――。
大器は晩成し、大音は希声かに。我が評価を永遠に焼却した人類よ。我と同じく身を焼かれて死ぬが良い。




