1-2 ここは壁村、家畜共の囲い
謹賀新年です!
外に出たクゥは目撃した。
泣き喚く幼児。
その幼児を置いて門へと向かう母親。昔、クゥも経験した親子の今生の別れである。
「行かないでッ。お母さん、行かないでッ」
「ごめんね。丈夫に生きて」
「俺が行く! お前は行くなッ」
「家族を見送る側は、もう疲れました」
別の場所では、隣人の肩を乱暴に掴んで懇願している村人がいる。村人も絶望しているが、顔を知っている隣人を見捨てなければならない側も表情が死んでいる。
「徒人税を払えるだけの蓄えなんてないんだ。お願いだ、貸してくれ!」
「む、無理なんだ。俺の家だって、去年に弟が首途されたから免除されているだけで。家族が多いから、次は俺の番だと決まっている」
壁村のあちこちで似たような出来事が起きている。壁村に生きる徒人にとって慣れ久しんだ光景でしかない。
クゥも過去に二度なら経験があった。一度目は父親を泣きながら見送った。二度目は母親を泣きながら見送った。見送られた側になった事はない。見送られた場合、もう壁村に戻って来られないからだ。
しかし、本日のクゥは見送られる側である。正確に言うと、見送ってくれる家族がもういないので一人で村の門へと向かっている。
備蓄に余裕がある家は、高い徒人税を支払って事なきを得る。
備蓄に余裕のない家は、家族の誰かが首途されて免除を受ける。
家族を多く養った結果、家族全員の税を支払えずに後者となるパターンが多い。働き手不足の家も収入が足りず後者となるのだが。
基本的には、年老いた家族から順に首途される。クゥの壁村はまともなので、子供や赤子を送り出す親はいないようだ。
けれども、病気や事故で候補者を失った家は悲惨である。泣く泣く、まだ若い母親が出ていく事があるし、まだ成人していない子供が自主的に出ていく事もある。
「私の場合は、人生の伴侶を作らなかったからね。うん、まあ、私がえり好みし過ぎたって事にしておこう」
クゥも結婚していれば夫が代わりになってくれたかもしれない。それが分かっていて結婚する勇気ある夫候補は壁村の中にいなかった訳である。ある夜、クゥの寝所に潜り込んできた不届き者の顔を変形させたから、というのが最大の理由ではある。
クゥの家から村の門まではそう遠くない。一辺が五百歩の壁村自体がそう広くない。
村の門の近くには、痩せた徒人とは比較できないぐらいに屈強な体付きの妖怪が四人もいる。
太い腕だけで徒人を絞め殺せそうな大柄な鬼の妖怪と、動物と徒人を混ぜたタイプのサル妖怪、トカゲ妖怪、虫妖怪が並んでいる。雑鬼と一括りに呼ばれる妖怪は姿形が統一されていない。
レパートリー豊富な妖怪共は、薄汚れてはいるが官服を着ている。徴税官で間違いない。
「全体的に痩せていやがるな。おい、誰を食いてぇ?」
「キキキ」
妖怪共はあけすけだ。別離に泣く村人を指差して笑っている。許せない。
「この壁村の特産はミミズだろ。あんなの食っているような奴等は期待できねぇな」
壁村の特産品を貶された。許せない。
クゥは誰にでも愛想の良いと評判の顔を固まらせて、額に血管を浮かせる。とはいえ、すぐに冷静にならざるを得ない。徴税官に歯向かえば、壁村全体が反乱したものと見なされた後に全滅だ。
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▼クゥ
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“ステータス詳細
●陽:28 → 27”
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「御母様よりいただきし『陽』よ、私を鎮めたまえ」
人工的に冷静となったクゥは、妖怪の近くを通り過ぎて門から壁村の外へと向かう。首途される徒人を運ぶ荷車があるはずだった。
「……おい、そこの娘。止まれよ」
理由はさっぱり分からないが、妖怪に呼び止められたクゥは止まるしかない。無視したとしても不評を買う。
「若い娘が進んでってのは珍しいよなァ。とうちゃん、かあちゃんはどうした。身代わりの旦那は? ギャハハ」
「……他に家族がいないので。ええ」
「若い身空で首途されるなんて、この黄昏世界は無情だぜ!」
「キキキ、キキキキっ」
半年も早く現れていながら、元凶共が嘲る。クゥの精神は試され続ける。
「いちおう聞くが、誰かを庇っちゃいねぇよなァ。時々いるんだよ。自分勝手に壁村の存続よりも、役に立たない家族を優先する奴が。まだ働き盛りの癖に首途されようとする奴が。徒人はどいつもこいつも馬鹿ばかりで、まいっちまうよ」
「私は、違います」
クゥの言葉に嘘はない。金も家族もクゥにはない。
「だったら、証明してみせろ。お前の家はどれだ?」
最も大柄で、角と牙を生やした妖怪が妙な質問をした。妖怪がどうして徒人の家に興味を持つのだろう。
「あっちのあれ、ですが??」
「あのボロい家か。……よし、燃やすぞ」
「――は?」
トカゲとサルの妖怪が動く。クゥの家の前まで歩いてから「――発火、発射、火球撃。急急如律令」と呪文を唱えて、妖術の炎を手の上に生み出す。
「ちょっ。燃やすって、私の家なんですよ?!」
「お前以外の家族は残っていないんだろ。なら、あんなボロ小屋、燃えちまっても問題ないよな。安心しろって、虎人地方官殿には新しい家を用意するように進言してやるから」
角付き妖怪の行動に根拠はない。
嗜虐を好む妖怪の直観が働いたに過ぎない。クゥの家にクゥ以外の家族が潜んでいたとしても律令違反ではないので、本当に無意味な直観だ。ただ、徒人の苦しむ姿を見て笑い飛ばしたいという気持ちだけで動いている。
「燃えろ燃えろ!」
「キキキキっ」
火球がクゥの家へと投じられた。家の材木は限界まで水分の抜けているので、すぐに燃え上がる。
「ぬな、なァッ」
クゥは叫ぼうとした。
家族と住んだ家と、家族でもない徒人を比較すれば家の方が大事だったが、それとこれは別である。仮面男の安否を心配してもいいはずだ。
まともに動けない容体だった仮面男を、クゥの身代わりにする事も可能だったのだ。せっかく身代わりにしなかったのに焼死されては、叫びたくもなる。
しかし、クゥは叫べない。
「あッ、えっとっ、逃げ、えっとッ。名前が――」
燃え上がる家の中にいる仮面男の名前を聞いていなかったために、名前を叫べない。
あっという間に家全体が火に包まれた。この状況で中から現れないのであればもう遅い。煙で窒息している頃合いだろう。
「何だよ。中から燃えた徒人が慌てて出てくるかと思えば、面白くねェ」
「キキキキ!」
だから不思議なのだが……焼ける家の中に、何者かが立っている。土壁さえ燃え落ちる状態の火事に耐えて、放射熱を気にせず口を開けて、発音している。
「――水瓶が倒れて地面に広がった水を啜った。正直、まったく足りていないが、放火魔を倒すには十分だろう」
魔法換算で三節程度の火力などで、燃やせるような相手ではないのだろう。
炎を気にせずゆっくりと歩いて現れたその人物は、一切焦げていない仮面で妖怪共を睨み付ける。