1-1 そこは壁村、徒人達の住処
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
七日も何もない荒野を彷徨った。飲まず食わずでもそう簡単に死なないレベルだからと言って飢えの苦しみが軽減される訳ではない。喉が渇き過ぎて、まるで食道の内壁同士が張り付いたかのような息苦しさを感じながら、俺はついに、壁に囲われた村を発見したのだ。
感極まった結果、手で掬う手間さえ惜しんで井戸へと顔を没入させた。板をぶち抜いた感覚があった後、記憶が途切れている。ただでさえ血の巡りがドロドロ血で悪い中、体を上下逆転させたのが駄目押しだったのか――何故か体を上下反転させた紙屋優太郎の姿が脳裏に浮かぶ、何故だろうか。
失っていた気は、乾いた喉の痛みと共に復活する。
「み……水を、誰かァ」
「あ、起きた?」
俺の顔を覗き込んでいる知らない誰かと、目と目がばっちりと合ってしまった。
金色の目だ。
燃えるような金色である。灼熱の溶岩を想起させる黄金であり、覗き込んでいるとその内、全身が燃え上がってしまいそうな程に輝いて見える。幻覚だと分かっていても体が熱い。
俺が相手を見ている時、相手も俺を見ている。
知らない相手の瞳孔は、食料を吟味するかのごとく伸縮する。距離がだんだんと近づいており、俺の内面をすべて暴くために瞳同士を密着させて――。
「――ひィッ!? 投獄されて失明させられそうになったあげく、魔獣の巣に捨てられて殺されるッ!」
「人聞きの悪い。そんな事する訳がないでしょうに」
「…………失敬。昔、そんな感じにリスタートした経験がありまして」
「不幸な徒人ねぇ。というか、徒人よね?」
同情されてしまった。
どうも俺は錯乱していたらしい。知らない金目の人は布団の上の俺を普通に見下ろしている。幻覚程に近づいてはいない。
金目ばかりに注目しないで視界を広げると、彼女は横になっている俺の傍に腰かけていた。
そう彼女だ。
初見の相手にも安心感を覚えさせる親しみある小顔の女性だ。髪型は後ろをクルクルとまとめたギブソンタックなので、解けばそれなりの長さと思われる。
服装は、この世界では一般的な長袖長腰の厚手服。やや小さな朱色の民族帽子がズレて落ちそうになるのを防ぎつつ頭に乗っけている。
そんな普通の村人らしき彼女のどこに、俺は焼き殺されるような幻覚を見てしまったのか。不思議である。
「アナタ、妖怪?」
「おっしゃっている言葉の意味がよく分かりませんが。この通りの人間です」
「仮面で顔を隠していながら、どこにそこまでの自信を??」
調子の悪い時には悪霊を統率する系の魔王を発症する事もあるが、それでも、基本的には人間であると自信を持って言える。
疑り深く金色の目を細める前に、もっと俺の顔を見て欲しい。仮面のお陰で穴なんて見えないはずである。
「怪しいなぁ。妖怪が壁村でも一、二を争う可憐な私を食べるために徒人に化けている可能性もあるわね」
「だとすれば、俺と二人っきりな状況でいるの不用心では?」
「うーん、まあ、迂闊な犠牲は少ない方がいいじゃない」
どうにも、この金目の女は疑い深い性格をしているようだ。その割には、民家らしき室内に俺と女以外の人物は見当たらない。用心しているのならもっと人がいそうなものだ。
彼女は、俺から距離を取るために椅子へと後退して座る。と、あらかじめ用意していた湯飲みで水を飲んで一服。
「みみみ、ずっ!?」
「ミミズ? この壁村の名物をご存知とは、お目が高い」
「そんな名物、捨ててしまえッ。それよりも水!」
体の七割を構成する大事な要素たる水を求めて上体を起こす。が、弱った体はたったそれだけの動作でよろけた。体は想像以上に消耗しているな。
「雑鬼にしては名演技よね。分かったわ、徒人だと信じて、水を準備してあげましょう」
「おお、女神よ」
「恐れ多い。よしてよ。私はクゥ、徒人のクゥ」
おお、異世界の水の女神クゥよ。貴女のご厚意は未来永劫、紙屋優太郎が語り継ぐであろう。
名前がクゥと判明した女は、部屋の隅にある水瓶から柄杓を用いて水を汲む。意外と透き通った色の水だ。水不足が心配される気候ながら、飲み水を確保する手段はあるらしい。そうでなければ、人間がデスバレー的な世界で生き残れるはずがないだろうが。
クゥは、立ち上がろうとする俺に「待って」と声をかけながら、陶器のコップを手渡してくれた。
「はい、お水」
「ありがとう。数日ぶりの水だ。生き返っ――」
受け取る瞬間……屋外から響く振動に驚いたクゥがコップを落とす。破片が散らばるが、今考えるべきは床の掃除ではない。
「――ゲハハっ! よう、壁の中の家畜共。元気にしていたかァ? 徴税の時間だ。しっかりと徒人税を払え。払えない奴等がどうするべきかは、分かっているよな? アァ?」
門が蹴り破られたような振動の後、実に分かり易いゲスな声が響く。
「嘘っ!? 徴税は半年前にあったばかりなのに。誰も蓄えなんてできているはずがない」
クゥは手を震わせている。親しみ易い小顔が青く染まってしまっている。
「キキキキ、キキキっ」
「徒人が妖怪に抵抗してくれるなよ。官吏に暴力を振るった悪い村人は、家族まとめて食ってやらないといけなくなるからな!」
「ひひっ。頼むよー。俺達、腹ペコなんだよー。抵抗してくれよー。ひひっ」
どんな声帯していれば、こんなゲスい声を発せられるのだろう。こう好奇心によって、簾を垂らしただけの簡易な入口の向こう側を覗き込もうとする。
「待って! この壁村の収穫だから、関係ないアナタは隠れていれば大丈夫だから」
青い顔をしながらも必死に動いたクゥが仮面を抑えてきた。その所為で外の様子が分からない。
「一体何が?」
「分かっている癖に。半年も早く、徴税官が来たの」
いや、本当に分からないのだが。
悪い出来事が起きている、というのは察せるものの、異世界人たる俺にはまだまだこの世界の文化が分かっていない。どういった度合いの悪い出来事なのかさっぱりだ。
「あと二年は、いえ、一年はギリギリ生きていられると思っていたけど、ね。私しかいない家だから、税を支払えなくなって首途される日は遠くないとは、思っていたけど」
ふと、俺を見詰めてくるクゥ。彼女の金色の目が揺れている。
「……ねぇ。どうして、縁も所縁もない、代わりにしちゃっても心の痛まない徒人がいる日に、徴税官が来ちゃうのかな」
良からぬ事を思い付いたような後ろめたい顔をクゥは作る。凶器になりえる鈍器や刃物を探して金の目が左右に忙しく動く。
けれども……頭を振って、苦笑いと共にクゥは表情を崩した。
「いけない、いけない。『陽』を削って正気でいよう」
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▼クゥ
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“●レベル:18”
“ステータス詳細
●力:3 ●守:4 ●速:3
●魔:10/16
●運:0
●陽:29 → 28”
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根っからの善人にはできない表情の変異だった。が、絶対に悪人にはなれない普通に良い人の表情の変化でもあった。
クゥは、ニコニコと作り笑いをしながら手を振り、俺を残して家の外へと向かう。
「絶対に出てこないで。この家にはもう誰も戻って来ないから、自由に使っていいよ」
……帰って来ないなどと不吉な事を言い残して、太陽が照り付ける外へと出て行く。
「あの、水をぉ。喉が渇いて俺、動けない……」