4-11 黄風怪3
――数分前、黒八卦炉内部
鎖を伝ってゆっくりと不気味な地面の裂け目、黒八卦炉なる怪しい穴へと侵入していく。暗くて視界は悪いのに決して見えない訳ではない。底では炎が広がっているのに黒くて決して明るくはない。
妙な空間である。
黄昏世界の住民であるクゥが知らない特異な場所だ。壁村の住民が知っている事などそう多くはなかったが。
「思った以上に深い。ま、間に合うかな」
底では炎が常に揺れ動いている。間欠泉のごとくいつ立ち昇ってくるかは『運』次第だ。
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▼クゥ
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“ステータス詳細
●運:0”
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訂正、『運』が0ならばなるようにしかならない。黄昏世界の住民が敬愛する御母様も特に助けはしない。その時が来れば、ただの確率論が非情にもクゥの体を焦がすだろう。
急いで下りて用事を済ませるべきだが……上から妖怪が一体落ちてきた事に驚いて、鎖を掴んだ手が滑る。一気に深度が下がった。
どうにか鎖は掴み直せたものの、ジャラジャラと鳴って嫌に響く。
妖怪が落ちた底で、黒い炎が急激に膨張する。
「あつッ。あっつ。少しの間だから大人しくね、ね」
クゥがあやすように語り掛けたからではないだろうが、炎の塊は静かに沈んでいく。
胸を撫でおろし、できる限り静かに鎖を伝って下りていく。地下空間は見た目よりも深い。底まで下りるとすればゾッとしてしまうが、その途中まで突き出している奇岩であればまだマシだ、とクゥは自分に言い聞かせて下りていく。
空気はかなり悪い。
気温も酷く高い。
吊るされて焦げている妖怪の死体が臭い。
それでも奇岩までならどうにかなる、とクゥは頑張った。実際のところは二酸化炭素濃度が高く、地下という密閉空間ゆえ不完全燃焼による一酸化炭素も相応に多いのだが、必死なクゥは気が付いていない。
「と、届いた! うん、よくやった、私」
クゥは目標の奇岩へと片足を付ける。
黄風怪の言っていた落とし物と思しき棒へと手が届いた。熱せられていないか心配でまず指先で確かめて、意外に大丈夫だったので拾い上げる。
「深さを測るための道具とか言っていたけど、長さが足りなくない?」
棒はクゥの身長の三分の一程度の長さだ。朱色の柄に、両端は丸い装飾を備えている。ものさしとしての用途には使えそうにない。
使い方がさっぱり分からない棒を持ち、さあ帰ろうと上を見る。
「どうやって上るの??」
下りは重力に従えばいいのでどうにか達成できたが、上りは重力に逆らわなければならない。壁村に住んでいたクゥに揺れ動く鎖を伝い二十メートルを登攀する技術はない。
しかも、手には微妙に邪魔な長さの棒が一本。
途方に暮れるクゥは地上を見上げ続ける。
……ふと、地上で誰かが黒八卦炉へ落ちかけた。半身はほぼ落下しかけている。
「あの変な服装に仮面は、御影君だ。おーい、気付いてー! ……って、駄目みたい。聞こえていない」
徒人らしくない特徴的な格好より、落ちかけた人物が御影であるとすぐに看破する。
御影は空中に投げ出されている方の手を顔に近付けて、ベネチアンマスクを掴む。外すつもりの行動なのは見た通りだ。
「もうっ。『ヘイ、クゥ。仮面外していい?』って私に言っていないのに外そうとしているな、御影君め。ちょっと、待ったーっ!!」
御影の自分勝手な行動に、ちょっと腹を立てたのだろう。棒を強く握ったクゥは地上に向かって大声を上げる。
御影はピクりと反応を見せて動きを止めたが、顔を向けようとしない。声が届いているのに無視しており、クゥが黒八卦炉の内部にいると気付こうとしていない。
すぐにでも仮面を外す動きを再開しそうな御影を見て、クゥは益々地上に戻らなければならなくなった。
「困った。どうすれば上がれるかなぁ」
クゥは困る。届かないと分かっている棒の先を地上に向けて願望を口にするぐらい悩む。
「この棒みたいな落とし物が“伸びて”くれたら届くかもしれな……ふギャッ?!」
悩んだ結果、命令を受諾した棒が伸びてしまったのは偶然だ。
棒の正体が妖怪の宝物、意思を汲み取る棒、宝貝『如意棒』であるなどと徒人であるクゥが知っているはずがない。
如意棒を握っていたクゥは地上方向へと上昇して、黒八卦炉の内部より脱出を果たす。徒人はもちろん妖怪にとっても死の危険に満ちた場所より無事生還を果たしたのだ。
……ただし、何事もなくとはいかなかったが。
黒八卦炉の底で黒い炎が揺らいだ。
起床直後のような静かな揺らぎでしかなかったが、炎の中で何かが確実に目を覚ます――。
――現在時刻、黒八卦炉上空約三十メートル
「手が滑って落ちる。落ちるーっ」
「本当にクゥなら目を閉じるんだ。この砂嵐が目に入ると失明するらしいぞ」
「砂嵐っ?! 砂嵐なんてもう突破しちゃって、かなり上空!」
銛で突かれて漁獲された魚みたいに、高々とビル十階付近まで持ち上げられる俺の体。しかし、魚と違って体を貫通されて繋ぎ留められている訳ではなく、体を押される勢いに乗っていただけだ。上昇が停止したならそれで終わり。棒からズレ落ちた体が自由落下を開始する。
背中で騒いでいたクゥも首に腕を回してしがみついてきて、一緒に下降を開始する。
目を見開いた。
赤く大きな太陽に照らされた空中にまで砂嵐は届いていなかった。だから、考えたのは安全な着地方法ではない。最優先するべきは索敵である。
俯瞰できた大地に黄風怪の姿を発見する。奴は自分が妖術で操る砂嵐が邪魔で、俺達が急上昇している事に気付いていない。今なら黄色い砂塵を超えて攻撃できる。
問題はクゥなのだが。首を掴まれている所為で『暗影』を使用できない。空中に置いていくのも可哀相である。
仕方がないので別の手段だ。
「『既知スキル習得』発動。対象は死霊使い職の『グレイブ・ストライク』」
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“『グレイブ・ストライク』、墓場に存在する物品を呼び寄せて投擲する罰当たりスキル。
墓地の物に限定した召喚と投擲が可能。基本的に投げつけるだけ。召喚できない物としては実体のないゴーストや魂の入っている動く死体など。
消費する『魔』は重量に依存し、約百キロで1消費する”
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「召喚物は、ウィズ・アニッシュ・ワールドのドラゴン塚にあった竜の骨から、なんか尖っていそうな奴」
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“ステータス詳細
●魔:36/122 → 6/122”
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竜頭魔王との決戦の場に転がっていたドラゴンの骨を思いながら、『グレイブ・ストライク』を使用した。あそこのドラゴン塚は最終的には核融合爆発に巻き込まれて消滅したが、あばら骨の破片ぐらいなら召喚できるだろう。
リーチがあり、何より、ドラゴンという特異生物の骨だ。竜頭魔王には通用しなかったがアイツは最強生物なので完全な例外。妖怪ごときであれば十分過ぎる凶器となる。
かざした手の平の手前に召喚されてきたのは、象の牙のように大きくて反った白い骨だ。『魔』を30も消費した事から、全体量は三トン近くあり骨密度は十分。先端部分は鋭利とは言えないものの、馬上槍試合の図太いランスだって時々相手の体に突き刺さる。
「『グレイブ・ストライク』発射」
上空から発射された馬の骨、もとい、ドラゴンのどこかの骨、約七メートルは、目論見通り黄風怪の無防備な体へと衝突した。苦も無く体を貫通する。
「グギャアアアッ、私の体がァ!?」
黄風怪の叫びが上空まで届く。
傷の具合を考えれば、俺とクゥが地上に戻った頃には虫の息だろう。もう助かりはしな……いや、様子が妙だ。
「私の表皮がァッ!! 妖術“金蝉脱殻”を強制発動させた代償で、皮膚がァッ」
ドラゴンの骨に貫かれた黄風怪の体が、まるで風船から空気が抜けるようにしぼんでいく。表皮だけが残っているかのようである。
黄風怪自体は少し離れた場所で叫んでいるのですぐ再発見できた。
何故か骨が貫いたはずの体の穴はなく、その代わりなのか分からないが全身に血を滲ませて痛々しくなっている。まるで、全身の表皮がずり剥けてしまったかのようだ。
皮膚を失った状態では集中力も続かないらしく、砂嵐は止んでいく。
無事に着地した俺達が近づくまでの間、黄風怪はただのたうっているだけだった。
「致命傷を回避できる点は評価できるが、いちいち自分の体を代償にしなければならない欠陥妖術だな」
「一子相伝の妖術をッ、欠陥と言ったか。ぎやァっ。痒いッ、痛いッ」
発音で筋肉が動くだけでも辛いようだ。可哀相な感じであるが、黄風怪が村を襲った妖怪集団の親玉であるのを忘れてはならない。きっちり仕留めるためエルフナイフを構える。
……その時だった。
地面の裂け目があった場所より黒き炎が噴出した。柱のように並ぶ奇岩と同じように、真っ黒い炎が柱となって伸び上がっている。また、裂け目以外からも地下から地表を割って、炎の柱が生じている。
「地下の悪霊が、現れる?!」
裂け目を溶解させて拡張し、地下より炎の本体が浮上する。
黒い炎が蠢く球体が地上へと現れてくる。
家屋と比較するべき大きさの炎の黒球は、瞼を開くかのごとく表面が割れていく。内部に見えたより高密度の熱量を持ったコアはまるで瞳孔だ。
眼球のようにしか見えない黒球が、思い出したかのように、悲鳴を上げた。
“GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!”
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▼黒八卦炉-壱
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“●レベル:1”
“ステータス詳細
●力:0 守:0 速:0
●魔:2400000000000/2400000000000
●運:0”
●ゾンビ固有スキル『夜型体質』”
“職業詳細
●ゾンビ(初心者)”
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