4-10 黄風怪2
長い体に黄金の体毛を持った妖怪、黄風怪が動く。
動くといっても玉座から立たず尻尾の先をタクトのように動かしているだけであるが、それで十分なのだろう。
「――裂傷、砂風、風斬撃。急急如律令」
黄風怪の尻尾の先で発生した砂混じりの鋭利な風が、俺へと向けて射出される。間違いなく攻撃魔法である。黄風怪はファイターではない、遠距離の攻撃手段を有する魔法使い職と同じ戦闘スタイルだ。
突風の速度で突き進む大気の刃が、展開されている『暗澹』の中心部へと飛び込んでいく。
ただし、分身体の方。
「――馬鹿め、俺は分身だ! でも、痛いッ」
「むっ、手ごたえが軽い?」
黄風怪の奴、俺が元の位置から動いていないと勘違いしたな。分身体の馬鹿もデコイとしては役立ったらしい。
『暗澹』を解除しながら、地面の裂け目を助走なしで軽々と跳び越える。
「こちら側に救世主職ッ?!」
「獲った。『暗殺』発動!!」
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“『暗殺』、どんな難敵だろうと殺傷せしめる可能性を秘めたスキル。
攻撃に対して即死判定を付与し、確率によって対象を一撃で仕留められる。
攻撃ヒット時のダメージ量、スキル所持者の『運』の要素も強く影響を受けるが、何より対象の心の隙が重要となる。
初撃以降は使い物にならないくらいに確率が下がるので注意”
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隙は十分に突いていた。『暗殺』を成功させるだけの条件は整っていた。
仮に『暗殺』に失敗したとしても、首の側面を深く抉る一閃は十分に致命傷だったに違いない。
「――感触が軽い。まさかデコイ?! 卑怯な妖怪め」
「どの口が言うか、救世主職!」
斬り裂いた黄風怪の首から出血がない。
通り過ぎた後、振り向いた先に存在したのは黄風怪の死体ではなく、黄金の皮を被せられただけの背凭れの長い玉座だけだ。恐らくであるが、幻術か何かで玉座を黄風怪であると欺瞞させられたのだろう。
本物の黄風怪はどこにいるのかと周囲を探ると、いた。縦長の奇岩の後ろに、同じような形をした妖怪が隠れている。
念入りに手入れされた体毛を持っていた先程までの姿と打って変わって、今は妙にツルツルした黄色いコケシみたいな姿になってしまっている。
「よくも自身の全体毛を必要とする妖術“金蝉脱殻”を見破ったッ。決して許さんぞ、救世主職が! ――俗世に囚われし者へ、悟りへの助力を、その不必要に世界を覗き見る眼を――」
長ったらしく詠唱している間、大人しく待ってやる義理はない。『暗影』を使って跳びかかるが、黄風怪は腕を盾にしてナイフを防ぎ詠唱を続けた。
「――キエエエッ! 毒の砂で潰してしまおうぞッ。妖術“三昧神風”、急急如律令!!」
妖しき術の完成と共に黄色い砂が舞い上がる。
視界が砂で満たされて既に役に立たない。役に立たないだけでなく目が砂粒で痛くなる。
「幻惑や目潰しばかり使われたところで!」
「三昧神風の直撃を受けておきながら、痛いで済まされるとでも。この砂を大量に浴びたなら毒で失明は確実!」
「安心しろ。俺は『耐毒』できるからな。倒したお前の間抜け面をきちんと見てやる」
「ほざけッ」
砂嵐の向こう側で黄風怪の声が遠ざかっていく。
もちろん、追いかけるが追いつけない。『速』で負けているというよりは砂によって妨害されている。一粒一粒は小さいものの、風と共に濁流のように流れてくると体が押されてしまう。
無暗に動いて砂の効果範囲から脱出を試みるが、砂嵐自体が追いかけているらしく無駄だった。
「この黄風怪の体を傷付けたのですよ! 決して許さない! お前の体を切り刻んでから喰ってやる。――風に刻まれよ、全身から斬り裂かれよ、そして砕け、竜巻よ吹けよ吹けよ。妖術“剣撃旋風”、急急如律令」
砂への対策を考えている間に、黄風怪が四節魔法相当の『魔』を練り上げて攻撃してきた。
幅三メートルはある竜巻に体が浮かされ、内部へと飲み込まれた。妖術の竜巻の中で四方八方を斬られながら回された。最終的に、竜巻の頭頂部まから排出されて落ちていく。
直撃してしまったので全身が痛いには痛いものの、ダメージ的には耐えられる程度だ。四節どころか倍――魔法の難度的にはたぶん一万倍以上――の八節の魔法を使うような魔王とも俺は戦っている。ちょっと良い右ストレートを顎に受けただけだと自分を鼓舞する。
まだまだ戦える状態である。が、地面に落ちてクルクル転げまわっていると、急な浮遊感があった。
「悪霊の気配っ。地面の裂け目か」
裂け目まで転がった体が落ちかけていた。
得体の知れない悪霊が潜む地下に落ちると何が起きるか分からないため、熊手のように手を構えて指を地面に突き刺して落下を防ぐ。左半身が落ちかけたところで、どうにか止まってくれる。
「黒八卦炉に焼かれるのも悪くない末路でしょう、救世主職!」
止まった俺を黄風怪が追撃しない理由がないのだが。
俺からは敵の姿が見えないのに、敵からは俺の姿が見えるワンサイドゲームだ。正直に言って打開策がない。いや、黄風怪の『魔』が尽きるまで耐える方法は残されているが、そんな消極的な勝利、死んでしまったクゥに申し訳がないではないか。
もう少し『暗影』や『分身』といった手持ちのスキルを使って頑張ってみるか。
あるいは、安直だがもう仮面を外してしまうか。魔王でもない相手に対して使ってしまおうと考えるなど自制心の欠如である。けれども、絶対に倒せる策を封じたままチマチマと戦うのも下策な気がする。
黄風怪とて、まだ見せていない隠し技の一つや二つありそうだ。
ならば、さっさと全力を出して余計な真似をされる前に圧倒してしまうのがスマートな考えではなかろうか。総合的な戦闘時間が短ければリスクも軽減できるはずだ。どんなに高級なアイテムも使わないままゲームクリアしてしまえば無駄と化す。適時、消費するのが頭脳的というもの。
そうと決まれば仮面を取っ払って地面の裂け目にでも捨ててしま――、
「――ちょっと、待ったーっ!!」
――ふと、半身が宙に浮いている裂け目の奥地より制止されてしまう。
女の声で、人間の声だ。
いや、声が聞こえてくるなど本当にありえるのだろうか。裂け目の奥地は悪霊の領域。疑似的な炎を生み出すくらいに強い怨念が広がっている。生きた人間の声が響くはずがない。
「困った。どうすれば上がれるかなぁ。この棒みたいな落とし物が“伸びて”くれたら届くかもしれな……ふギャッ?!」
幽霊か何かが生者を裂け目に呼び込む声だったのだろうか。
そうだとすれば今は無視する。まずは黄風怪を倒すべきである。
中断していた仮面を外す行為を再開し、手で仮面の端を掴んだ。
……丁度その時、背中の中心を激しく打たれて息が詰まった。フルスイングされたパソコンみたいに目の底で火花が散って点滅だ。ツッコミにしては強力過ぎて背骨が折れかけたぞ。
「げふぉ、おげッ! 不意打ちとはいい度胸だ。どこのどいつが俺を攻撃してくれた?!」
「ぎゃふっ。わ、私です! クゥです」
「って、馬鹿な。クゥは殺されたはずだ」
「私って案外生存性能が高いみたい。ほら、元気!」
状況を一切飲み込めない。クゥが生きている事と、俺の背中が棒に押されて上昇を続けている事の因果関係が不明である。上へと体を押すベクトルは今なお続いている。
「それ、私も分からないっ?! ただ、言われた通りに落とし物を拾っただけだって言ったら誰か信じてくれるかなっ」




