4-8 落とし物
「私の名前は黄風怪。地方の官吏にもなれない憐れな雑鬼共を使ってあげている言わば慈善事業家です。都会的な私に使役される雑鬼共は幸せでしょう」
テン特有の長い胴体には都でしか手に入らなさそうな、細かな刺繍の高級な衣服が巻かれている。体に合わせた長さの扇子も高級品だろう。
在野にはいない風格を持つ妖怪である。野蛮なだけの雑鬼と違い、他人を見下す優越感と余裕があるためか口調だけは穏やかだ。ただし、口元を隠す扇子も冷徹な目元を隠せていない。
長い体を動かし、玉座に座り直しながら黄風怪は言う。
「ここはいい土地ですね。徒人の質はともかく数が多い。勤勉な州官長が治めていたのでしょう。まあ、その州官長も、灼熱宮殿の騒ぎに巻き込まれて燃えカスですが」
長い胴体は全身、金色に輝く羽毛に覆われており主張が激しかった。金のけばけばしさは生来のものだろうから仕方がないとはいえ、自分以外のすべてを劣った物としか見ていない目線までは生来のものと言い訳できないだろう。
裂け目の近くに集められた徒人を見下しているのは仕方がない。肉質が悪く味も悪い畜産動物に対しては当たり前の評価である。
ただ、従えている雑鬼共に対しても、黄風怪は劣った生物を見る目を向けている。頭の悪い労働力か、言葉をどうにか話す生物とは思っているかもしれない。
「さて、都でも比類ない毛並みを持った私が、徒人ごときに用事があるとは決して思わないでしょうが、意外にも頼み事があるのです。集められた徒人の誰か一人でも私の頼み事を達成できたのなら、全員を生きたまま村に帰してあげましょう」
黄風怪は意外な事を言った。
妖怪が徒人に頼む用事となれば食事以外に普通はない。
「そこの炎が噴き出る穴は黒八卦炉と呼ばれる珍しい穴です。うまく利用できれば妖力を飛躍的に向上させられる資源となりますが、穴の深さを調べるために使っていた器具を数日前に落としてしまいまして。その器具を拾ってきて欲しいのです」
不定期に黒い炎が伸びて縁まで焦がしている不気味な裂け目を、黄風怪は尻尾で示していた。他の場所を示して欲しいと村人達は望んだものの、尻尾の先は断固として移動してくれない。
「どうして徒人がと思うでしょうが、私にも憐みの感情というものがあります。いくら頭の悪い雑鬼共とはいえ、燃える穴に入って焼け死ねというのはあんまりでしょう。だから、徒人に頼んでいるのです」
黒八卦炉なる地面の裂け目には、鉄製の細い梯子が橋として掛けられている。また、梯子には所々、鎖が吊るされている。他に内部へと下りる手段は用意されていない。
黄風怪の頼み事を聞いたところで失敗するビジョンしか浮かばない。実際、失敗したらしき妖怪が鎖に引っかかったまま焼け焦げている。
「ソイツは器具を落とした愚か者です。今晩の食事にします」
妖怪ですら焼け死ぬ穴に徒人が潜っても死ぬだけだ。生きては地上に戻れない。
村人達は顔を見合わせるが誰も判断はできなかった。死ぬと分かっていて自分が行くともお前が行けとも言えない。普通の反応だ。
「おら、動けよ、徒人共」
「黄風怪様を待たせるな、ケケ」
動けない村人達を遊び半分で雑鬼が槍で突いて、黒八卦炉へと無理やり進ませる。
近付くだけでも熱を感じる穴に誰も近寄りたくはない。が、槍先は平然と背中や尻を刺してくるから進むしかない。
密集した村人の内、運悪く端にいた徒人が落ちるのは時間の問題。
「――落とし物を、わ、私が取りに行きますっ!」
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▼クゥ
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“ステータス詳細
●陽:33 → 32”
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そんな殺される寸前だろうとも、手を挙げて立候補できる徒人は気が狂っている。日々苦しい徒人の生活を耐えるための『陽』はそんなものに使うべきではない。他人のために使うような余裕は誰にもない。
村人が左右に割れて、挙手したクゥが一人残される。村人は見知らぬ娘とその行動に不審がるが、一分でも延命できる事実に安堵した様子だ。
クゥを唯一知るヨージンが話しかける。
「娘さん、なんて事を。死んじまったらおしまいだぜ」
「あそこに下りて、落とし物を取ってしまえば大丈夫。可能性はほぼないから無残に焼死するでしょうけど、ここは生き残るために最善を尽くすという事で」
虚勢だった。クゥは震える足を隠せていない。
とはいえ、クゥが手を挙げていなければ数人は落ちていた。タイミングはギリギリであり、彼女にとっても苦渋の挙手であった。
「立候補とは殊勝ですね。さあ、早く拾いに」
黄風怪はさして期待していない尾の素振りでクゥに前進を促す。
黒い炎が時々立ち昇る裂け目だ。運が悪ければ梯子に近付いただけで焼け死ぬ。
乾いた喉で唾を飲み込み、クゥは進んだ。格子まで到達するのはあっという間で、どうすれば生き延びる事ができるのか考える暇さえない。
「ど、どのあたりに落ちたので?」
「さあ? 下りて確かめればいいのです」
非情な応対だ。下りるしかない。
まずは細い梯子の上を歩く。熱せられた鉄は靴底越しにも熱さを感じるので踏み外さないようにする。底からの上昇気流があり簡単にフラつく。
ある程度、梯子の上を歩いたら裂け目の底を見る。
見下ろした内部はクゥが想像したよりも広かった。瓶のように奥の方が広い。最悪な地形に落とし物をしてくれたものである。
「鎖で下りろって、手袋もないのにっ」
底の方を見るクゥの前髪が気流で靡く。目が異常な速度で乾く。
黒い炎が水面のごとく揺れ動いている底に妙な気配がした。まるでクゥを呼んでいるかのようだ。悪性は感じない。けれども酷い悲しみに心が襲われる。金の目で瞬きすると、底の方でも何かが瞬く。
気になったもののクゥは裂け目の上にいる理由を思い出して、黄風怪の落とし物を探した。
「――あれ、かな? 他に見当たらない。けど、あんな場所まで下りないと駄目なの……」
棒のような人工物が岩の上に落ちていた。奇岩地帯らしく底から縦に長く伸びた柱のような岩の上にある。炎に焼かれるか焼かれないか微妙な深度ではないか。仮に命にかかわる深度だろうとクゥに拒否権はないのだが。
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▼クゥ
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“ステータス詳細
●陽:32 → 31”
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重く心へと襲い掛かる恐怖を『陽』を消費して耐える。
服の端を千切って手に巻いた。
簡易にも程がある手袋で手を保護しながら鎖を持ち上げて、下りる場所へと移動させる。
「アッ、あつッ」
垂れ下がった重い鎖を移動させなければならない重労働であったが、クゥは手の平を焼きながら作業を終えてしまう。もう黒八卦炉へと下りるしかなくなった。
渋々とクゥは鎖を掴む。熱風を浴び続けているためかもう熱を感じない。
「――御影君は間に合わなかったね。こういう時に間に合わないなんて酷い男だ」
クゥは黒い異様な穴への降下を開始する。彼女の姿は地上から見えなくなった。
「――おや、私の敷いた結界に反応がありますね。この反応は雑鬼のN530と、徒人の気配? 連れているというよりは連れられている。無能の命乞いを聞いてみましょう」
黄風怪は部下にしている雑鬼が拠点に戻って来た事を妖術で知った。壁村への襲撃に行かせて、戻って来なかった無能な妖怪の反応である。黄風怪は表情に出さないだけで、かなり立腹だ。
黒八卦炉を隠す黄色い風の一部だけを解いて、雑鬼を招き入れる。一緒にいた徒人は侵入を試みてきたが妖術で阻んだ。
少し待っていると、息も絶え絶えな必死感を演じながら走って現れたN530は、開口一番、雑鬼にしては面白い事を喋った。
「――黄風怪様。救世主職を連れて来やしたっ! 殺して、肉を食ってやりましょう」
黄風怪の長い体が赤い空へと向けて伸びる。
都に住んでいた黄風怪は五十年前に流行したイベント、救世主職狩りについて知っている。
救世主職の討伐は御母直々の勅令であり、完遂すればかなりの褒賞を得られたとされるが、特典はもっと他にもある。救世主職の体はA5ランクに相当する大変美味な肉質をしているとされ、食えばどんな妖怪も寿命が延びると伝わっているのだ。
それだけでもそそられるが、特典はもう一つ存在する。
「救世主職ですか。まさか、私の前に現れてくれるとは。食して経験値を得る好機です」
救世主職の心臓を食した妖怪は経験値を得て、大幅にレベルアップできるのだ。




