4-7 三昧神風
魔獣は『力』『守』のパラメーターに優れており、人間と同じ体格なら人間の平均値を軽く上回る。野生生物全般に言える事なので、対峙しながら考えるのは今更だ。黄昏世界では魔獣と呼ばず妖魔と言うらしいが、パワーファイターな傾向は変わらない。
また、体力も化物に相応しいものだ。
不用意に噛み付いてきた片方の頭の頸動脈を斬り裂いてやったというのに、まだ生きている。噴水のように吹いていた血も既に止まりかけているのに、片方の頭は元気に唸っている。
中途半端に獣を追い詰めると死力を尽くされて危険。これも今更な話だ。
正直、今の俺のパラメーターならば有無を言わさず倒せる程度の妖魔ではある。初見の相手なので少し警戒し過ぎてしまった。
「今まで自分以上の相手ばかりと戦ってきた反動だ。格下を相手にする最適解が分からない!」
獣だから『暗澹』スキルで視界を奪っても駄目だろうとか、『魔』は温存しておきたいとか、無駄に考え過ぎていた。
回転脚の足を掴み取ってねじり潰す。動けなくなった相手の心臓を串刺しにする。細かい事を気にしないパワープレイこそがベストではなくともベターな答えだったのだ。
絶命させた双頭の獣からエルフナイフを抜いて、妖怪共と向き合う。
「馬鹿なッ。踢を徒人ごときが」
「ヤベえ、もしかしてコイツ、救世主職って奴なのか」
「て、撤退だ。黄風怪様に知らせるぞ!!」
誰が逃がすか。異世界にハーグ陸戦協定はない。
逃げる妖怪を追うべく一歩目を踏み出す……直前、後方で倒壊音と人々の悲鳴が響く。
別働隊による襲撃だとすぐに察して、たたら踏んだ。向かうべき方向は間違いなく悲鳴が聞こえた方向なのでそっちを向くが、行動開始までワンテンポ遅れてしまう。
「黄風怪様! お力添えを!!」
妖怪が天に向かって叫んだと思うと、ふと、視界がザラつく。
目の前が黄色く濁り、どんどんと透明度を失っていく。
『――俗世に囚われし者へ、悟りへの助力を、その不必要に世界を覗き見る眼を、毒の砂で潰してしまおうぞ。妖術“三昧神風”、急急如律令』
砂だ。
突然、大量の砂塵が壁村に吹き込んできた。視界を埋め尽くされて何も見えなくなったため、それ以上の説明ができない。
目も開けられないぐらいに濃い砂嵐である。どこもかしこも暑い黄昏世界なので砂漠も砂嵐も珍しくはないだろうが、嫌なタイミングで発生した。
仮面の隙間からも容赦なく吹き込んでいるため、目が痛い。下手に擦ると角膜を傷つけてしまいそうだ。
「クソ、クソッ!!」
五感の一つを奪われたくらいで右往左往だ。砂が耳の穴にも入り込んで音もうまく聞こえないが、人の悲鳴が遠ざかっているのは分かっており、焦りが生じる。
ただ、妙な事にこれだけの砂嵐だというのに俺以外は動けているのか。指向性ある異常は異常で済ませられない。妖怪共が使う魔法、妖術と察せられる。
妖怪共にまんまと逃げられる。
「せめて一人だけでも捕えるッ。『既知スキル習得』発動、対象はオパピニア職の『マジックハンド』!」
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“『マジックハンド』、手の届かない遠方のものを掴める便利なスキル。
一回に『魔』を1消費して、遠隔地のものを引き寄せるスキル。
蟲星では下の上クラス、オパピニア系魔王が使っていた”
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“ステータス詳細
●魔:50/122 → 49/122”
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村の反対側、悲鳴が聞こえた壁際へと向けて、肩から不可視の腕を生やして遠くに伸ばす。そんなイメージで砂塵の向こう側の気配を掴み取る。
掴んだ相手は村の壁を跳び越えようとしていたため、盛大に顎をぶつけただろう。村人の行動ではないので間違いなく妖怪だから気にしない。
しばらくの後、砂の嵐が弱まる。
発生する時と同じく終わる時もあっという間だった。顔を振って砂を振り払ってから瞼を開く。
いつも通りの真っ赤な快晴の下、壁村の半分が腿まで砂に埋まっていた。
井戸で顔を洗いたい欲求に駆られるが、優先するべきはクゥを含めた村人達だ。
「クゥッ!」
村の反対側まで移動した。
可哀相にも矢に撃たれた村人が数人倒れており、事切れている者もいる。仮面の奥に水没音を聞いて、奥歯を噛んだ。
倒れている村人の中にクゥは含まれていない。天竺について話をしてくれたヨージンもいない。屋内に逃げ込んでいる村人も残っているだろうが、かなりの数の村人達が妖怪共に連れ去られてしまったらしい。
穴の向こう側を見た。残念ながら逃走する集団は発見できなかった。随分と人さらいに手慣れている。
落胆はしない。この程度は予想していたからこそ、連れ去られた村人達の手掛かりは『マジックハンド』で捕えてある。
目線を村の内部へと戻す。と、壁の内側には『マジック・ハンド』で捕らわれた妖怪が一匹。額にはN530と刻まれている。
足首を持ち上げられたまま醜い虫のように動いている妖怪の首筋にナイフを浅く刺した。尋問の開始である。
「村人をどこに連れて行ったか言え。内容次第では楽に殺してやる」
「馬鹿め、誰が喋るかよ!」
さすがは妖怪というべきであり人間の体の構造をしていない。刺していた首筋が突如裂けて、歯の並んだ口が生じる。ナイフの刃を噛んで白刃取りしてきた。
ホラーとしてはB級なので驚きはしない。冷静に妖怪の後頭部を掴んで、強く地面に叩きつけてやる。
「グホッ」
「チンピラ妖怪に仲間意識なんてないだろう。さっさと仲間を売れ」
「けっ、黄風怪様の怖さを知らないのか。徒人に殺される方が楽なもんだ。ほら、さっさと殺せよ!」
『読心魔眼』スキルを欺かれるため妖怪は口を割らせるしかないというのに、クソ、俺に大した拷問技術がないと見透かされてしまっているな。
せいぜいがゾンビゴブリンを呼び出して指先とつま先から少しずつ体を喰われていく恐怖を味わわせるか、強酸性ゾンビスライムを飲ませて内臓からゆっくり溶けていく恐怖を味わわせる程度しかできない。こう悟られてしまっているとは。クソ、その通りだ。
「……い、いや、そこまでは想定していない。今のアジトの場所、喋ろっかな」
「口の固い妖怪め。誰かある、拷問の時――」
「喋る! 喋ります。あの荒野の先にある奇岩地帯に、黒八卦炉って呼んでいる場所がある。そこが俺達NEETの拠点だっ」
クゥを含めた村人達は格子付きの妖魔車で運ばれた。
陸ガメ型の妖魔が引く車は、縦に長い岩が連なった不気味な地形の間を器用に進む。黄色い砂嵐で先の見えない箇所もあったが、車が通る時だけは何故か風が穏やかになった。
「君も捕まったのか、不運だったな」
「貴方はヨージンさん。どうしましょう」
「まいったな。この妖怪共はただの在野じゃない。最近、噂になっている黄風怪とその手勢、NEETの集団だ」
クゥは唯一の知人たるヨージンと共に格子の向こう側にいる妖怪の顔を恐る恐る確認する。
妖怪の額にはNの文字が刻まれていると御影は思っているが、実際は形が似ているだけのシンボルだ。
首魁たる黄風怪が爪で二本線を引き、斜線は自分で傷を残す。チームシンボルを刻む事で信頼も教養もない雑鬼でも一体感を覚えさせる事ができる。目立つシンボルを刻んだためにチームを離脱できなくする、という狙いがより強いだろうが。
「職にあぶれた雑鬼をここまで束ねて使役するなんて。黄風怪が都から来た妖怪っていう噂も真実かもしれない」
「情報通ですね。ヨージンさん」
奇岩の数は多くなり車での移動が難しくなった頃、開けた土地へと到着する。
ただ、開けてはいるが……中央には底の深い裂け目があるようだ。対岸までの距離は、一番長い所で大人五人を並べたのと同じくらい。その大きな亀裂からは太陽光とは異なる熱さを感じる。
裂け目の中は燃えているようだった。
ただ燃えているだけではない。異様な事に炎の色は黒。
妖怪や妖術の存在する黄昏世界でも普通ではない色合いだ。
「お前達はまともな徒人共を連れ帰ったらしいね」
「へへー、黄風怪様。この通り」
「……数が少ないように見える。まあ、雑鬼ごときの仕事ですから仕方がない。とりあえず全員、黒八卦炉の前に並ばせなさい」
裂け目の向こう側では、黄金の毛並みを持つテンの妖怪が、細長い胴体を寝そべらせている。奪ってきたと思しき玉座と体形が合っておらず、大半がはみ出していた。
黄風怪さん。ようやく、西遊記のネームド妖怪を登場させられました。
(知名度は金閣、銀閣にかなり劣るかなぁ。)




