20-10 別れの挨拶を交わそう
「御母様が……小さくなって……」
灼熱地獄と化していた黄昏世界の地表に、ひょっこりと顔を出したのはしぶとく生き残っていた徒人だ。壁村近くに存在した洞窟の中からおっかなびっくり出てきたらしい。
いや、徒人だけではない。在野を生きる妖怪も同じように洞窟に避難していたのか、いつもの食物連鎖を忘れて空を見上げている。足元には妖魔の姿も伺えた。
「寒い……」
徒人は手で腕を摩擦して寒さをしのいでいる。急激に平熱化した地表の気温に体がついていけていない。己が生還できた事さえよく理解できていないアホ面で、赤くない奇妙な青色の空を見上げている。
「安定されている。まさか代替わりされたのか。今更、どうやって??」
徴税のために派遣されていた官吏の妖怪も避難していたらしい。徒人や、世界滅亡が確定した後に生まれた雑鬼と異なり状況を正しく認識している様子であるが、だからこそ混乱気味だ。
突然、寒いくらいに穏やかに変貌した太陽に、黄昏世界に住む者は皆、困惑気味である。
ただし、直観できるものもある。
「――まだ、我々は滅亡しないで済むのか。そうか、新しい時代を生きられるのだな」
徒人と呼ばれ、壁の中で飼われ続けた人類。
仏神の領域から堕落し、肉を口にした妖怪。
清算しなければならないものは多いものの、より安定的なハピタブルゾーンという名の揺り籠を得られた黄昏世界には十分な猶予がある。
まずは、新しく始まった時代を、隣同士で祝う事から始めよう。
衛星軌道上に浮かんでいるがゆえ、いち早く太陽の正常化を観測できていた天竺は大騒ぎになっていた。
「よくもやってくれたな、仮面の! あの嘘吐きめ。よくぞ……よくぞっ」
縮小しながらも肥大化していた時よりもずっと生気に溢れた太陽を前に、月の女神嫦娥は泣き崩れている。
陽光を肌で感じているというのに嫦娥の外見は両生類化していない。指の間にヒレは伸びていないし、肌もゴムのように伸びはしない。異世界の月属性の女の外見を保っている。女神の肉体を失っている事が悔やまれて仕方がないものの、そのような些事、輝かしく燃える太陽の前では塵のようなものだ。
数千年の出来事と後悔が飛来している嫦娥は、止まらない涙をそのままに為政者として指示を飛ばす。
「観測結果では間違いなく安定しているのだな? なに? K型主系列星の可能性があるとはどういう事だ。『黄昏』が解除されただけではない、と。どういう奇跡を起こしたというのだ……」
妖怪世界で生きていた分、疑い深く太陽の容態を観測しているが、間違いなく安定している。また太陽が黄昏るとしても百億年は先の事だろう。
「文句を言ってやらねば気が済まん。あやつは帰ってきているのだろうな。――そうか、早いな。では全艦に通達。全員で迎えてやろう」
恒星帰りという宇宙人的な用語を実行中である。
行きよりも随分と小さくなった船に乗って黄昏世界へと爆速で帰還している。帆もないのに太陽風を受けて加速を続けているので、名古屋と京都の間よりもずっと早く到着予定。太陽神の加護さまさまだ。
「……加速し過ぎで惑星に正面衝突ってオチが見えるんだが、減速はできるんだよな? クゥ」
返事はない。
後ろの席に座っているクゥがコクりと頷いているが、その位置だと振り向かないと見えないだろ。
「皆に挨拶してから地球に戻るとするか。毎度の事だが、世界を救うってのは疲れる。いい加減、自分の家に戻って休みたい。もう帰還妨害はないから地球に帰れるんだよな? クゥ」
返事はない。
俺の視界を避ける席どりをしたクゥが不愛想に顔を縦に振るだけである。まぁ、正気に戻った今、暗黒食事会は相当なトラウマだろう。仮面で顔は隠しているものの、俺の顔なんて見たくもなくなっているはずである。
「俺の賃貸、勝手に解約されていないか不安だな」
返事はない。
俺は一人で会話を続けるだけである。
世界を救った代償に、俺はクゥに嫌われてしまったな。
黄昏世界へと無事に帰還を果たした俺達を、嫦娥率いる天竺一同は盛大に歓迎してくれた。
ウサギ一同が列を成して紙吹雪のようなものを投げまくっている。
そんな中を駆けてきた紅……を『暗影』で跳んできた黒曜が脳天を踏みつけ、逆襲で足首を掴まれて床へ叩きつけられた後、乱闘を始めた気がするが、まぁ、めでたい日なので大目に見てスルーする。広場の奥で静かに腕組みしながら目だけで挨拶してくれたオークくらいの余裕はないものか。
嫦娥が出てきて俺を労い、そのまま流れで祝賀会だ。
正直、赤色巨星に照らされた地表を思えば浪費できる資材はないはずであるが、今日を祝わずいつ祝うという事で後先を忘れてお祭りである。以降、百年単位での節制を続ける覚悟を感じて鬼気迫るものがある。
途中で来賓も到着した。
牛の角を有した巨漢とその付き添いの美人。まさに美女と野獣コンビであるが、野獣の方はいちおう顔を知っている。牛魔王が人間に化けた時の姿だ。
「仮面の救世主職。黄昏世界の全生命に代わり感謝を伝える。……それはそうと紅ちゃんは決してやら――」
美人がニコニコした顔のまま所持していた扇で牛魔王の後頭部を殴りつけて壁まで吹き飛ばした。あのフィジカル妖怪が一発で昏倒しているのだから、この女性もフィジカル系かもしれない。
次に現れたのはオリエンタルドレスの扶桑樹である。
「奇跡を起こして救う価値があった世界だと証明するために、私達は生涯を尽くす」
感謝を伝えてきた扶桑樹は嫦娥のいる方へと向かった。
上位妖怪の中にあって穏健派だった者達が集っている。政治的な話を言えば、今後の世界統治についてサミットが開催されるとの事だ。
クゥを頂点とした朝廷体制となる気配はしているものの、クゥにどこまでのやる気があるかは不明だ。本人に訊ければよかったのだが、クゥは俺の背後を定位置にしているため会話はできない。
「まぁ、地球に帰る俺が口出しする事ではないな」
「いつ帰るんだ?」
「もうやる事もない。明日にでも帰る。黒曜もそれでいいよな」
「ああ。俺としても早く地球を見てみたい」
乱闘を終えた黒曜が隣にやってきたので予定を告げる。
「え、もう帰んのかよ……。火焔山くらい観光していけよ」
「そんなにガッカリした顔をするなよ、紅。お前もこれから忙しいはずだ。世界の行き来はもう自由だから、また落ち着いた頃に観光に来るさ」
「べ、べつにガッカリな顔なんてしてねぇよっ」
そっぽを向いて不機嫌になった紅の代わりに、近づいてきたユウタロウに声をかける。
「ユウタロウも来るだろ、地球? それともウィズ・アニッシュ・ワールドに送るか?」
「いや、俺は別に行く所がある」
「別?」
「私の世界ですわ」
ユウタロウも大きいが、同じくらいに大きい女がユウタロウに寄り添っている。
一瞬、誰だったかと天井を見上げて……あれ、やっぱり誰だっけ。
「スノーフィールドですわ!」
「スノーフィールドはカエルだろ」
「呪いでカエル化していただけですわッ」
おお、そうだった。
「女に誘われた。お前と同じく明日発つ」
「そう、か。いや、良かったな、ユウタロウ」
「あまり豊かとは呼べん世界らしいが、実力主義らしくてな。オークの俺でも馴染める世界とも聞かされている」
「俺の知らない世界となると、これが今生の別れになるのか」
「さあな。だとしても、お前との縁は切れん。どうせお前の事だ。親友だからと無遠慮に無理難題を頼んでくるのだろう」
ユウタロウが一切恥ずかしがる事なく親友と俺達の仲を称している。
気の合う者同士であろうとも就学、就職によって道が別れて疎遠になっていく事なんてありふれている。異世界ほどに離れていなくても以後の人生、一切かかわらないなんてザラだろう。
だが、別に惜しむ必要はない。こいつなら十年、五十年会わなくても、今日のように語り合えると確信できるのが親友というものである。
「その時は頼むぞ、親友」
「ふん。その時はな」
黄昏世界の波乱はもう十分過ぎるため、波乱という波は一つ立たずに翌日を迎える。
帰還の時を迎えて、炎のゲートが複数立ち上る。
まず帰還していったのは、自走する四角い箱のようなもの。
「ナターシャだッ。ボディの再建は元の世界でなければ無理なだけだ! ……あまり役には立たなかったが、救世主職としては貴重な時間だった。さらばだ」
続けて帰還していったのはスノーフィールドとユウタロウのコンビだ。
もう別れは済ませていたので、ユウタロウとは片手だけの簡素で重い挨拶に留める。
「生き残りの救世主職は結局、私とナターシャの二人だけ。まだまだ修行が足りませんわ。ユウタロウ、向こうでは一緒に励みましょう」
そして最後は俺達だ。
黒曜と桂さんの二名が同行者である。
“――のぅ。此方まで連れていくのを考え直さんか? 見送る側でいたいのだが”
「無償で体を貸していたつもりはありませんわ。きっちり権能を使わせてもらいます」
“黄昏世界はこれから忙しいのだが”
「女神なら遠隔でどうにかできるでしょう。リモートワークというものらしいですわ」
“知らん言葉であるが、家の外から家の内へ遠隔接続する言葉で合っておるのか? なんて女の力を借りてしまったのだ、此方は”
もしかすると三名かもしれないが、実体を有するのは二名で間違いない。
結局、帰還の間際になってもクゥとは言葉を交わさない。目の前にはいるのだが、俯いたまま俺へ目線を合わせてくれない。
「じゃあな、クゥ――」
「――行かないで」
突然、クゥが抱き着いて服を掴んできた。縋るようにというのが正しい体勢だろう。
「すぐに御影君の世界に負けないくらいに発展させて住みやすい世界にしてみせるから。だから、行かないで」
引き留められて、世界に繋がれようとしている。
甘く耳元で囁かれて懇願されてしまう。
「行かないで。私、御影君を――ためにならなんだってしてあげられるからっ」
潤んだ黄金色の目で俺を至近距離で見上げてくるクゥ。
「クゥ」
「御影君っ」
必死な彼女に対して、俺は大事な事を訊こう。
「――中身は何番だ?」
「……肆ばーん。御影君をエロくない方の意味で食べさせ――ぐふぇ」
突然、クゥは自分で自分の頬をグーで殴る。
「この駄姉がァっ。それで正気になったつもりかッ」
「姉妹喧嘩は止めなさい。私達まで痛いじゃないっ」
「そうよ、零の子。引き留めるというのは全会一致だったはずでしょ」
「ちょっと、今の時間は私が体を占有するって予約していたのに」
クゥが今まで大人しかった理由を察する。きっと姉妹全員で体の占有権を争う骨肉の戦いが体内で行われていたのだろう。外見的な大人しさの正体は、所有権を確保し合う行動によってのデッドロック状態に過ぎなかったらしい。
また頬を殴ろうとするクゥの腕を取って止める。
「離して御影君っ。その姉妹を殴れない」
「クゥ、姉妹は仲良くだな……」
「好き勝手に体を使おうとするのよ。酷いと思わない?!」
「また必ず来るから、俺を心配させて引き留めようとしなくてもいいんだぞ」
自分を殴ろうとする手を止めるクゥ。
実際のところ、本当に体を巡って姉妹喧嘩が起きていたのか、姉妹全員が結託して喧嘩を装いクゥが一人芝居をしていたのかは判別できない。
ただ分かるのは、クゥが本気で俺を引き留めたかったという事だけだ。
色々とわだかまりのある俺達が再び会話を交わすには姉妹を出汁にするのが単純だったという話である。
「本当に?」
「本当に」
「嘘吐きの御影君の言葉なんて信じられない」
「なら言い直す。二度と来ない、こんな世界」
「……それは酷くない?」
不意打ちで口を密着させてきたクゥの味は、普通に血の味がした。直前に本気で頬を殴っていたので当然である。
「御影君も私を食べたなら、もうお相子」
意図は分かるが、どうにも血腥いな、俺達。
「またな、クゥ」
「またね、御影君」
次回、エピローグです~




