20-2 さらば黄昏世界よ
「NATA、いや、ナターシャか。わ、忘れていた訳ではないぞ」
そう、決して忘れていた訳ではない。
ただ、桃源郷が妖怪に滅ぼされた時に運命を共にしたものと諦観していただけである。サイボーグ的な体はボロボロだったので逃げ出せなかったものと。
“――救世主職でありながら助けるべき相手に助けられた。荷物にしかならない私を村人が運び出してくれた”
桃源郷は滅んだが、全滅した訳ではない。一部住民は天竺に逃れている。ナターシャは避難民によって難を逃れていたらしい。
“囮となって居残った者達もいたのだ。……こうして生き永らえてしまったからには、私にはまだ役目があるのだろう。メインフレームに身をやつし、この船を制御するという役目がな”
「嫦娥の言っていた助手はつまり、ナターシャか」
“その通りだ。実体がなく戦闘力は無いに等しいが、操舵は任せてもらおうか。この船は神造性の特注品だが必要な制御プログラムの構築は済んでいる”
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“『規格外製品接続』、規格やモデルの異なる製品を接続可能になるスキル。
本来は互換のない製品同士を接続可能とする。具体的にはUSBのType-Aに対してType-Cを接続するような無茶が可能”
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タッチパネルのような板になってしまったナターシャが胸を張る。惑星系の往復から船内の生命維持まで全面的に任せてしまって問題ないとの事だ。
機械生命的な救世主職のナターシャであれば計算を間違えない。安心して任せてしまおう。
“ああ、任せろ。恒星までの二日分の食料とエアーも備蓄した”
「……いちおう往復の旅だよな? 片道分の燃料しか載せない作戦ではないよな」
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“『演算不良』、単純計算を時々間違えるスキル。
基本的には算術計算を完璧にこなすが、一定確率で簡単な計算を間違える。具体的にはマザーコンピューターの束縛を逃れるくらいのバグが発生する”
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“……ハハ、機械世界ジョークだ”
「笑えねぇ……」
“備蓄が不足したとしても再生産は可能だ。住居区画を切り離してもこの船は大きいからな”
宇宙を単独航行しようとしていた箱舟だけあって生命維持は問題ないらしい。俺一人だけなら半永久的に生命を維持できるとの事だ。仮に千人乗り込んでも大丈夫、とナターシャは豪語した。
「だったら、帰りに人数が増えても大丈夫だな」
もし仮に帰りの便で村娘が増えたとしても安心である。験を担ぐためにも、二人分の食事は用意してもらおう。
出航準備は終わり、惑星系の中心への旅がもうすぐ始まる。
最終決戦へ向かうという意味でも緊張し、地球人類初の宇宙旅行に興奮しているという意味でも緊張している。が、それだけではない。
「もう出航時間なのか?」
“マイナス500、499、498――。キョロキョロしてどうした? 尿意なら早く済ませろ”
尿意以外の理由でソワソワしたまま出発まで三百秒を切った時……搬入口付近を映しているディスプレイに人影が入り込んだ。
ベルトを外して椅子から立ち上がる。急いでディスプレイが映している場所まで向かう。
“おいっ!”
「宅配を受け取ってくるだけだ!」
密閉扉を開かせる手間は取らせない。『暗影』を使えば船外に出るのは簡単だ。
搬入口付近は既にエアーが抜かれて真空状態であるが、その程度、俺もあいつも気にしない。レベル100の体はクマ虫くらいの耐久性があるからだ。
空気がないので声は届かないが。
「……ふんっ、要望の品だ。お前の予想通り壁村の近くにあった。持っていけ」
声の届かない宇宙だというのに、こんな言葉を投げかけられた気がした。
その後に野太い腕で投擲された品が等速移動した後、俺の手に収まる。距離は軽く百メートルを超えていたのに抜群の肩とコントロールだ。
「内心無理だと思っていたぞ。時間のない中、よく見つけ出してくれた! ユウタロウ」
「太陽に挑む無理に挑む奴が皮肉か? 発見できたのは置いて行かれる事に激怒した小娘共の執念だ。それを持ってさっさと行け」
「ああ、行ってくる」
俺に近づくだけでも頭痛で動けなくなる癖に、ユウタロウは一切不調を感じさせない。うまく隠している。
船が出るのを見送ってくれるものと思っていたのに、薄情にもユウタロウは背を向けて帰っていく。
ただし、一度だけ、拳を頭上に掲げてエールを示した。
俺も拳を上を向けて、ユウタロウが見えなくなってから船内に戻る。
“30、29。まったく、出航直前に何をしていた”
「親友が挨拶しに来たのだから、顔を見せない訳にいかないだろ」
“早く席につけ。加速が始まるぞ”
ナターシャの小言を聞き流しながら椅子に座ってベルトを締める。
種子島での打ち上げ前のような雰囲気というよりは、SF映画の宇宙船がワープを開始する前の空気に似通っている。
“――3、2、1。加速開始”
鏃の形をした船は矢を引くように一旦、後退してから一気に加速した。ディスプレイの映像頼りのため、実際にはどのくらいの速度が出ているかは分からない。
『無事に出航したな。恒星表層の膨張は今のところ停止している。二日後の会敵に変更はないが、場合によっては急いでもらうぞ』
小さくなっていく惑星を見送っていると、ふと、声が聞こえてきた。
誰の声かと思えば女神嫦娥である。まあ、これまでも遠隔地から声だけ届けていたので宇宙船に声が届いてもおかしくはないか。
「クゥが必死に耐えているのだろう」
『であろうな。恒星が膨張する自然現象で黄昏世界が滅びるのではなく、魔王の手によって黄昏世界を滅ぼすために膨張を抑え込んでいる』
「俺の『カウントダウン』も比較的安定している。二日後の決戦で問題ないだろう」
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“●カウントダウン:残り二日……、四十九時間……、三日……、二日”
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せっかくの宇宙であるが楽しんでいる余裕は一切ないな。
たった一人の生命体が天体に挑む。それ自体が冗談でしかないというのに、勝利条件は勝つ事ではない。
『作戦は伝えた通りだ。神殺しの矢を素にするこの船を恒星中心目掛けて突撃させる。対太陽神に特化する船は太陽神の権能であろうとも撃墜されん。が、万が一のために御影にはギリギリまで搭乗してもらう。十姉妹が救世主職との再戦を望んでいるのであれば、航行中に不意打ちしてくる事はまずなかろう』
「俺はお守り役という訳だな」
『有り体に言えばだが。一生命が恒星にできる事があるだけでも僥倖というもの』
むしろ勝っては駄目なのだ。恒星の死んだ惑星系は一蓮托生で死ぬ。太陽の昇らない明日が続く世界は簡単に凍りつく。黄昏世界は二度と繁栄できまい。
だからといって負けるのは論外だ。直近の問題である恒星の膨張を止めなければ世界は炎上して灰となる。
「宇宙船でラムアタックして俺は無事なのか?」
『当然、タイミングを見計らい脱出艇に移乗してもらう。ナターシャ、必ず二人で帰還を果たせ。よいな?』
“はっ!”
勝つ事も負ける事も許されない。
そんな頓智が許されるような生易しい相手ではないのが最大の難関だ。