19-5 世界は浄化の炎に包まれた
一瞬という名の瞬きを目撃した。
稜線の向こう側に太陽が沈む寸前の光景に似ている。太陽にせよ、蝋燭にせよ、電球のフィラメントにせよ、どうして消える瞬間に一番輝こうとするのだろう。
「――アは、あははははっ! 此方の権能が、戻った!」
瞬いたのは背後で花開いていたヒマワリ。大輪のすべてをもって恒星の熱量を受け止め続けて、太陽神の権能を簒奪していた。が、いつまでも誤魔化しが続くものではない。ついに最後の一枚が燃え落ちたのだ。
ヒマワリが燃え尽きると同時に再度、輝き始めたのは女神義和。
奪われていた太陽神の権能を取り戻し、後光が発生している。
追い詰められて怯えにも似た表情を浮かべていたはずの女神の尊顔が、喜色に歪む。
「害虫共め、お前達は終わったのです。世界を育んだ母なる恒星に手を上げたその罪、那由他の責め苦で贖うべきではありますが、遺憾ながらに一瞬で燃やし尽くしてくれましょう!」
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▼御影
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“ステータス詳細
●魔:23/122 → 10/122”
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ドロドロとした黄金色の瞳が俺を照準する。
嫌な目線を避けるように、『魔』の残りを使い最後の分身体を目の前に生み出した。が、距離的に分身体の手は届いていない。仮に届いたとしても、権能を取り戻した義和の体表面は超高温のためヴォイドバイドは中途半端に不発する。
それが分かっているから、義和の金目は子供のように嬉しそうだ。
義和が権能を取り戻した時点で打つ手はなくなった。もう、俺には逆転の手段はない――、
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“『嘘成功率上昇』、怪しげなる存在の姑息なるスキル。
嘘の成功確率が上昇する。言葉巧みささえ不要となる。
本スキルを突破するならば、確信を持って打ち破る他ない”
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「――絶体絶命の窮地に力を取り戻す。神性とはいえ、いや、神性だからこそ、これ以上の隙は望めない。そうだろ、女神義和?」
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▼御影(分身体)
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“ステータス詳細
●魔:13/13 → 12/13”
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「人智では計り知れない知恵と力を有する神性だ。ただ追い詰めてもゲーム盤ごとひっくり返されるかもしれない。なら、どうするか? ゲーム盤をひっくり返されないように優位を譲ってやればいい。ヒマワリは名役者だったな」
本体と分身体でそれぞれ喋る。同時に喋っては聞き取ってもらえないかもしれないが、別に会話がしたい訳ではないので問題はない。
口を不可視の手に掴まれて大混乱中の義和は、会話どころではないだろうし。
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“『マジックハンド』、手の届かない遠方のものを掴める便利なスキル。
一回に『魔』を1消費して、遠隔地のものを引き寄せるスキル。
蟲星では下の上クラス、オパピニア系魔王が使っていた”
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「『暗器』、『武器強奪』、『分身』の三つのスキルコンボ。そこに更に『マジックハンド』を加算することでヴォイドバイドは完成する」
『暗器』は手で触れなければ発動しない。その弱点を補うのが“手の届かない遠方のものを掴める便利なスキル”である。
直接手で触れてはいないので分身体は燃えていない。既に発動したヴォイドバイドによって義和は急速に萎れていく。
掴まれた口で必死にウーウー唸っているのは、いつから嘘をついていた、と訊きたいからか。
「いつからか? 最初からだ。ワザワザ走り、階段を駆けてお前に近付いていたのもすべて嘘だ。ヴォイドバイドが遠当てできる事を隠すための演出だ」
「ウぅッ」
「ああ、すまない。これも嘘だから。『マジックハンド』をコンボに加えるアイディア自体は戦闘前に思いついていたが、ヴォイドバイドを編み出したのは戦闘中の事だ。当初は少しの間、『暗器』で権能を奪う程度の事しか考えていなかった」
「ウゥッ!」
「あ、気がついたか。そう、お前を倒すのに分身体を使う必要性さえなかった。別に権能を丸ごと消し去らなくても、権能を奪い、『魔王殺し』で弱体化させたお前をパラメーター強者のユウタロウなり紅なりに攻撃してもらえばいい。攻略法は他にもあった」
俺が警戒していたのは義和本人以上に、義和が持っているかもしれない逆転手段。宝貝か仙術かは定かではないが、悪の組織のボスが自暴自棄となって基地丸ごと爆破するような奥の手を使われてしまう事である。復讐で仏神を粛清したという女神であれば死なばもろともの手段を持っていても不思議ではない。
よって、義和を追い詰め過ぎないように調整した。ヒマワリで権能を奪っても、奪っている間にトドメを刺しに行かないように演技した。
義和はもう唸る事さえできない。
権能を奪われていくと共に倍速再生動画のごとく肌の保湿を失い、美貌を失い、ミイラ化していく女神の体。
いや、権能を奪われてミイラとなるのであれば、義和の本性はこのミイラだったというのが適切か。
目玉も萎れて消える。窪地だけが残ったが、それでも中心地点が金色に光っているのだから妖怪の親玉に相応しい。
権能を吸い切った分身体を早々に消す。これで義和は何もできない。
分身体が消えると共に倒れる――倒れるというよりも人形のごとく落ちる――義和。落下音は軽く、セミの抜け殻の方が余程重い。
ミイラ状態とはいえ残るとはしぶといものの、力はもう残っていない。
「う、う……」
唇どころか声帯さえも乾き切った状態で喋るはずがない。擦れた空気音を出しているだけでも異常と言える。
「う、う、う……うらめしきは救世主職。お前だけは許されない。此方より娘等を奪ってまで世界を救うというのであれば、いいでしょう。此方は代わりに、世界を奪いましょう」
ミイラが流暢に呪いの言葉を吐く。
当たり前過ぎて顔に穴が開いているはずの俺が言葉を失う。義和の復讐心を見誤っていた。
「権能を失って、もう何もできないはずだっ」
「愚か、愚か。巨大なる太陽の権能をちっぽけな黄昏世界に持ち込めると思っていたとは、愚か。権能の大半は本来あるべき所に存在する」
思わず天井を見上げた。
見上げても天井を透視できないが、向こう側には肥大化した恒星がある。
恒星と目下のミイラの関係性は肉体と頭脳の関係性に近い。あるいはサーバーマシンと端末か。上位存在の生態はふざけているためすべてを理解していないものの、転がっているミイラが恒星の精神部分であるのは間違いない。恒星は物事を考えたりしないが、精神体が思考を代行する。
生物ではない恒星は怒りや復讐といった思考を行わない。が、精神体はその限りではない。
「此方は今も輝いている。――神罰執行“プロミネンス”」
権能を失えば恒星本体へのアクセスは行えない。そう思っていたのは酷い勘違いであった。義和の奥の手を警戒していたというのに、最後の最後に油断してしまった。
義和の神罰執行は一億五〇〇〇万キロメートル彼方の恒星本体で実行された。思考が光速の速度で届くとして、実行までのラグは八.一九秒。
「黒曜ッ!! 『コントロールZ』を――」
「愚か、愚か。巨大なる太陽の権能をちっぽけな黄昏世界に持ち込めると思っていたとは――」
「『暗殺』ッ! 失敗?! クソぉッ」
「――愚か。此方は死ぬ。されど、お前達には殺されん。お前達も世界も道連れにしてくれる。神罰執行“プロミネンス”」
突然、動いた黒曜に心臓を串刺しにされても義和のミイラは呪詛を吐き続けた。喉を裂き、下顎からナイフで口を串刺しにして物理的に拘束しても無駄だった。
「駄目だ、ぱぱ。『神性特効』も通じない! 妖怪の側面が強過ぎる!」
「燃え盛る此方の腕に焼かれてしまうがいい。ふふ、はは、ふははっ!」
「神罰執行を発動された?! まさか、恒星本体で!」
恒星からの直接攻撃が黄昏世界に届くまで残り何秒だ。分からないが、そんなに遅くではないはずだ。
精神体でしかない義和の権能にさえ歯が立たないというのに、恒星本体の攻撃はどう考えても耐えられない。
「――ここが命の使い所、償いの場です。牛魔王、せめて彼等を」
“――世界を燃やし尽くす炎であろうとも、我々の命を盾にすれば!”
灼熱宮殿の天井が崩れて、瓦礫と共に誰か落ちてきた。丁度、手元にやってきたので受け止めると、相手は紅だ。
“大事な愛娘だ。頼むぞ、仮面の救世主職”
「オヤジッ!! つまんねぇ真似するな!」
灼熱宮殿へと鼻先を突っ込ませた牛魔王が娘の紅を預けてきたのだ。その後、宮殿を跨いで山のような巨体を天から注ぐ権能へ対する盾とする。
牛魔王だけではなく、扶桑の根が周囲を覆って多重防壁を形成した。
黄昏世界二大妖怪とて惑星破壊級の神罰にどれだけ耐えられたものか。が、これ以上を望めないのも事実である。二人が命を賭して無理なら、もう諦めるしかない。
世界が赤く染まっていく。
赤色巨星から伸ばされた炎の濁流が、もうすぐ世界へと届く。
もし何かの間違いで俺達だけが生き残ったとしても、世界滅亡という義和の復讐は果たされるのだ。
……プロミネンスの炎による浄化エンド? 黄昏世界の罪がこの程度で終われるものではない。
「――母様。今、蘇りました」




