18-5 『白の力』牛魔王5
はるばる東の端の流刑地、扶桑より扶桑樹は参戦するために現れてくれた。
牛魔王は妖怪の中では例外的にフィジカルが強いと評したが、牛魔王だけが例外ではない。扶桑樹も破格の体格と回復能力を有する大妖怪である。唯一、正面から牛魔王と戦えるのは彼女だけだ。
「平天大聖、いえ、牛魔王! よくも私を妖怪に堕としてくれました。私がそのような事をいつ望みました」
“荒廃する世界を支えるためには世界樹の力がどうしても必要であった。当時の御母様も同意された”
「せめて、もう少しマシな言い訳をしてください」
正気を取り戻した扶桑樹は俺達に加勢してくれている。
地面につけた蹄、足首、脛を伝って根が絡みついていく。海底ケーブルよりも太い根を中心に、近づいてみれば毛細血管のごとく小さなヒゲ根まで、牛魔王を捕縛するために大量に巻き上っていく。
“ええぃ、足を止めてはおられんか!”
「動きを止めなさい、牛魔王!」
牛魔王は動きを封じられる前に逃げようとしている。地面から伸びる扶桑樹の根を引き千切ろうと足を踏ん張り、キシキシと、悲鳴のような擬音が響いた。
大妖怪同士の戦闘に巻き込まれてはひとたまりもない。
全力ダッシュで逃げていく背後では、怪獣映画さながらな死闘が繰り広げられる。
「これが〇ジラVS.〇オランテかっ」
扶桑樹の根は千切れても再生、増殖する厄介さがある。
巻きつきは主様のドラゴン族確殺戦法でもあり、ある程度が牛魔王の体に張りついた時点で決着する……はずなのだが。黄昏世界の世界樹は回復能力で主様に劣るのか拘束は不十分だ。牛魔王が走り始めてしまったではないか。
「嘘をついてまで維持しようとした世界の締めくくりが、このザマですか、牛魔王。私を騙してまで維持した世界の先が、実子を殺める行為ですか!」
“……そうだ。姉妹様を失った時点で、この世界に希望などなかったのだ。それでも生きようとした罪を受けなければならんのだろう”
「この、分からず屋ッ!」
牛魔王は加速したままUターンして戻ってくる。狙いは扶桑樹の本体たる巨大樹の幹だ。
スペインの闘牛のごとき突進で扶桑樹へと角の先を突き立てた。木くずが舞い、世界樹の体が斜めに傾く。
このまま折れるかと思われたが扶桑樹は意地で耐えた。自身に刺さったままの牛の角へと枝を巻きつけて、頭をホールドするつもりだろう。
「くッ。私はまだ折れない。不本意で妖怪になったとはいえ、罪は償うべきものですから」
逆転の目はあるとはいえ、牛魔王がやや優勢か。
「観戦しているだけではいられないか。どうする」
「おーい、御影っ!」
「無事だろうな、ぱぱ」
牛魔王を倒す方法を思案していると、先行組の紅と黒曜が合流してきた。
健在だとは分かっていたが、実際に顔を見ると安心感を覚える。
「御影は灼熱宮殿に直接向かう手筈だったはずだろ。どうしてこっちに来た?」
「月の女神の加護がザルだった所為だから、帰ったら文句を言ってくれ。妖怪軍の方はどうなった?」
「クソ親父が顕現した時点で総崩れだ。冷静に見えて頭に血を昇らせていやがるから、足下なんて見ちゃいねぇんだよ」
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▼牛魔王
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“ステータス詳細
●陽:3”
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紅いわく、灼熱宮殿の禁軍勢力は勝手に自滅したらしい。敵を引き剥がすという目的は達成できたと言いたいものの、牛魔王一体が残っているだけでも状況は簡単にひっくり返る。
灼熱宮殿に急ぐべきではあるが、牛魔王は無力化しておく必要もある。
「クソ親父の動きを止めて、しっかりと俺の声を届けられるのであれば奥の手があるんだが」
「奥の手?」
「本当の奥の手で、世界の危機でもなければ使いたくない手段がある。好機がくれば俺が一人でクソ親父の所に向かう。その間、絶対に耳を塞げよ。絶対にだぞ」
紅は非常に苦い表情だ。出来る限りは使いたくない手段があるらしい。
「ただし、動きを止めるだけでもクソ親父相手には厳しいのが実情だがよ」
扶桑樹の参戦で一時的に拮抗しているものの、牛魔王は暴れ牛の目を剝いたままである。チョークスリーパーを決めようと必死に枝や根を巻きつけているのに、むしろ、凶暴になっている始末だ。
「暴れ牛の動きを止めるか……」
赤い布切れをヒラヒラさせて興奮させるのとは真逆の手段。
牛魔王相手に可能であるかは分からないが、一つ試したい方法ならば存在する。
「扶桑樹! 葉の新芽を出せないのか! その枝すべてに生えるくらいに」
「この状況で何の意味があるのです?」
「できるのか。できないのか!」
「できなくはありませんが……」
扶桑樹がいるからこそ実現可能な手段だ。絶好の機会なのでチャレンジしてみよう。
「牛魔王の口の中に、枝の先を突っ込んで新芽を生やせ!!」
仏神崩れの妖怪なれど形は牛をしている。牛の性質を引きずっている可能性は高く、むしろ、強化されているかもしれない。
扶桑樹は怪訝な反応を見せつつも、牛魔王の力に押されて対抗手段を見失っているために俺の策に乗った。首に巻き付けていた枝の半分以上を動かして牛の口へと投入させていく。
内視鏡検査という表現は生易しいくらいに酷く悲惨な絵面に、牛魔王はより一層暴れる。
“た、体内からであれば倒せるとでも、お、おえェ、思ったか! 我が胃は扶桑樹であろうとも容易に溶かすッ”
「それはむしろ有りだ。存分に溶かせ」
「救世主職! 牛魔王の言う通り新芽が枝ごと溶かされていく。胃より奥には進められない」
「大丈夫だ、扶桑樹。第一胃で新芽を溶かさせ続けるんだ」
牛は胃を四つ持っている。
心臓を複数所持している不死系の怪物みたいな生物であるが、より多くの種類の植物を消化して吸収するために獲得した性質なので人間視点では怪物みたいなものだろう。
体重の十五パーセントが胃というのも、牛にとって胃がどれだけ重要な器官なのかが分かるというもの。
牛のゲップ――消化器官に生息する微生物による発酵でメタンガスが発生――が温暖化要因と言われるくらいなので、やはり化物だ。
「それだけ重要で特殊な胃だからこそ、人間にはない弱点もある」
口へと枝を回して首の拘束が弱まった分、牛魔王は自由に動けるようになってしまった。
扶桑樹に突き刺していた角を一度引き抜いて、えぐる角度に構える。次こそは貫通させるつもりか。
……けれども、牛魔王は何故か前足を地面についた。牛の前足の膝というべき部位なのか分からないが、膝をつき、体を傾斜させて倒れかけてしまう。
“な、なにを、おェ、した。毒なの、か”
「扶桑樹に毒はないだろ、牛魔王」
“では、これは、なんだッ”
「その症状は、牛魔王の胃が発生させている」
口に大量の枝を突っ込まれているので苦しいのは間違いないだろうが、別の要因で牛魔王は苦しげだ。嘔吐感だけでなく呼吸困難も併発しているはずである。
「大量の消化と発酵で生じるガスが体の内側からお前を膨張させているんだ」
鼓脹症。
牛のような反芻する動物特有の病気であり、発酵し易い青葉を大量摂取する事により発症すると言われている。ガスの大量発生により胃が膨らんでしまう病気、と言葉だけだと風船を思い浮かべる暢気なものだが、牛にとっては死も覚悟する重病だ。
「世界樹の葉のような貴重な回復アイテムなら微生物もより活発に発酵する。想定通りだ」
実際は想定以上である。
山ほどに大きな牛魔王の体が膨れる程のガスが、これ程の短時間に発生するとは良い誤算だろう。どちらかというと扶桑樹の回復効果によるものか。
余談であるが、世界樹の葉であってもすべての病を治せない事が分かってしまった。葉を大量摂取している牛魔王が今も苦しんでいる。
“う、うッ”
「こいつ、ゲップするつもりか。汚いからさせるな!」
“このような卑怯な真似を、ウッ、しておいて汚いなどッ”
「これが俺の戦い方だ」
牛魔王の口を縛るように扶桑樹に伝える。
横倒しになって完全に動けなくなった牛魔王の元へ、紅を送り出して駄目押しだ。
「紅、奥の手を頼むぞ」
「制約があるから両耳を両手で塞いでいろよ。絶対だぞ」
紅がこれだけ強くいうくらいなので、聞くと耳が腐敗するような強力な呪言か何かだろう。
言われた通りに耳を塞ぐ。
見て分かる程に丸々と膨らんだ牛魔王の腹。まさに山のようだ。
倒れて地面に近くなった牛の瞳の真下へとやってきたのは、紅である。
「クソ親父。ご大層な事ばかり言っているが、私情を全部捨てて仕事ばかりじゃねぇかよ」
“こ、紅……”
「家族のためにじゃなかったのかよ」
紅は父親の瞳を見上げながら深く息を吸い込む。
そして、奥の手をゆっくりと言葉にしてい――、
「マ、ママに言……ああッ、やっぱり止め――」
――己の恥部が激しく刺激された結果、結局断念してしまった。恥ずかしくて止めるというのもチキンの所業なのだが、両親を異世界の外来語で呼ぶ恥ずかしさよりはマシだったのか。
奥の手を自ら封じる紅。
しかし、そんな甘っちょろい真似は許されない。
「――ママに言いつけてやるんだから。パパ、嫌いっ!」
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“『オウム返し』、他人の真似を得意とするスキル。
己以外の何かを擬態するのが得意になる。
他の擬態、物真似スキルとの大きな違いは姿形を変更せず他人に化ける機能にある。それゆえ、真似る相手の体形が大きく異なると擬態率が低下する。
ただし、声に関しては完璧に見分けがつかない”
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なにせ、こっそりと後ろをついてきていた沙悟浄女が完璧な声真似で代弁してくれたからである。きっと真っ黒い善意だ。
「ぇ? あ、ハァアアッ!? てめぇ、このアマ、てめぇッ!!」
「どうした、闘牛女? まぁまぁ似ていただろ。ママだけに」
「殺ッ!!」
“う、うぉぉぉおお! 紅、悪かった。パパが全部悪かったから許してくれぇ!!”