17-14 流星の願いを
悪霊クドリャフカへと追いつくために落花生が行ったのは、ひたすらな加速だ。
魔法使い職でありながら変則的にも高速格闘戦に拘った落花生に発現したスキルが、彼女を宇宙の速度へと加速させていく。
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▼落花生
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“ステータス詳細
●速:121 → 8621
●魔:425/425 → 0/425”
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“『マジック・ブースト』、『魔』を噴射して加速するスキル。
『魔』を直接的な物理加速力に変換する。噴射は瞬間的に終わるため燃費はすこぶる悪い。
数値的には、注ぎこんだ『魔』の十倍の値を瞬間的に『速』に加算する”
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魔導師固有スキルの『魔・消費半減』が、スキルの消費に対しても効果があったのは僥倖だ。後先考えずに保有『魔』のすべてを注いで落花生はパーティー最速の黒曜さえも凌駕する『速』を確保した。
ただし、人類最速などという低領域ではまったく足りない。流星に追いつくためには次元を一段階高める必要があるだろう。
「まだですっ。まだ全然足りないです! 黒八卦炉チャージです」
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“ステータス詳細
●魔:0/425 → 425/425”
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本来であれば落花生単独での加速はここが限界だが、黒八卦炉の黒い炎が彼女を燃やして『魔』を補給する。
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“ステータス詳細
●速:971 → 17121
●魔:425/425 → 0/425”
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そして、復活した『魔』を即時消費して加速する。それでもまだ足りないが、ほんの少し、全速力で走る犬の尻尾の先が見える程度にはなってきた。
魔法の力を用いているのに、やっている事は筋肉でリンゴを潰すくらいな力業だ。ただ数値を加算しているだけである。
無茶苦茶である。
無茶苦茶であるが、空気抵抗の縛りがない宇宙だからどうにか実施できてしまっている。等速加速度は永遠と維持される。
「再チャージですっ!」
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“ステータス詳細
●速:971 → 25621
●魔:0/425 → 425/425 → 0/425”
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実際には惑星重力の影響がある。重力が落花生を掴んでいなければ明後日の方向に飛んでしまっているだろう。原子の周囲を周回する電子というのは大袈裟か、または、小さ過ぎる表現か。
落花生はただ加速し続ける事に集中できているが、それでは次の瞬間には即死するだろう。
宇宙の速度に手をかけている落花生は、埃程度の大きさのゴミと衝突しただけでも死んでしまう。
宇宙開発されていない黄昏世界には地球ほどデブリで惑星周回軌道は汚れていない。が、それも数時間前までの話だ。今は天竺の破片が散らばってしまっている。
いつか、人類は自らが放出したゴミの所為で惑星に閉じ込められると言われるくらい危険なのがデブリと呼ばれる宇宙のゴミだ。国際宇宙ステーションの窓がひび割れた事もあるが、命中してきたデブリの大きさは一ミリにも満たないという。
分厚く防御された宇宙ステーションですら破損するのだ。人体であれば、たった一ミリのデブリが命中しただけでも悲惨な形となって終わってしまうだろう。
「再チャージ! 『帯電防御』ッ」
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“『帯電防御』、魔法的で電磁力的なバリアを生成するスキル。
雷魔法による磁化で発生する皮膚から数十センチのバリア。
偶然の産物であるが『守』パラメーターに依存しない防御装甲として機能している。即死級の一撃も一度肩代わりしてくれる。
大気摩擦遮断による移動速度アップ効果もあるが、酸欠になるので長期間の使用には注意”
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バチっと静電気が瞬いて、落花生の額に命中するはずだったデブリを弾き飛ばした。
直後に、加速にではなく体表面への磁力発生のために『魔』を消費して落花生は『帯電防御』を張り直す。
落花生が黒八卦炉に召喚で選ばれたのは速度が理由だけではない。
落花生には悪霊クドリャフカに追いつけるだけの素質がすべて揃っているからだ。
「あまり時間はかけられないです。連続チャージで一気に加速します!」
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“ステータス詳細
●速:25621 → 65535”
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パルス的な連続加速であっという間の一瞬だ。
落花生はついに追いついた流星へと手を伸ばしていく。
「追いついたです。クドリャフカ!」
悪霊クドリャクカを掴むために手を伸ばす。
危機感が足りない。ただの実験、ただの人類発展のためだけに宇宙へと打ち上げられた犬の憎悪は未だ激しく燃えている。狂犬病に侵された野犬に手を伸ばすのと同等以上に危険な行為だ。
「それとも、こう呼ぶ方が正しいですか? ライカ犬。私の本名、鈴山来夏と同じライカが、貴女の名前です?」
そう。
憎悪の炎は落花生の手を燃やさなければならない。
だというのに落花生、いや、悪霊クドリャクカの本名とも呼ばれるライカ犬と同じ名を持つ鈴山来夏は犬の毛並みに触れた。柔らかな巻き尻尾が頬へと触れるがまったく熱くない。
「迎えに来ましたから、さあっ、帰りましょう、ライカ犬。貴女が帰りたくて落ち続けていた地球へ!」
どうして断る事ができようか。
孤独な宇宙の、更に孤独な鉄の箱の中で悪霊クドリャフカが願ったのは裏切りに対する復讐だけではないのだ。
公式には地球周回の四回目付近で悪霊クドリャフカは高温と閉所のストレスにより死んだとされているが、彼女の速度に追いついていない人類の推測に過ぎない。毒を混ぜた餌による安楽死すら拒否した彼女が、その程度で死んだはずがない。
実際には、その後も二千回以上の地球周回を続けていたとすれば。
実際には、スプートニク2号が破損しても地球周回を続けていたとすれば。
実際には、今も夜空を飛び続けているとすれば。
「さあ、ライカ犬。帰るですよっ」
それだけの奇跡を引き起こした彼女の願いとは?
家族の元へと戻りたい。
元が野良犬の彼女が一番に願った事は、ただ、それだけだったのだ。
裏切った人類の手が体に触れる。
裏切った人類が我に追いつく。
何もかも今更だ。半世紀以上も遅いのだ。
されど、人類は我へと追いついた。
されど、人類は我のためだけにようやく我に追いついた。奇しくも追いついてきた人類の名もライカという――今にして思えば、ライカが名前だったのか識別名だったのかも分からない。贖罪にもなっていないが、群れて生活する動物としての本能はどうしても歓喜してしまう。
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“先駆者(惑星周回軌道)、惑星周回軌道へと一早く生存したまま到達した証のスキル。
惑星周回軌道への到達を実現する。
人類の到達限界点を突破し、人類の可能性を広めたモノに授けられる。たとえそれが実験動物を用いた倫理観に欠けた行為であっても。
先駆者となったスキル所持者が人類という種を先導し、流星のように輝き続ける限り、人類が後退する事はない。
仮に人類が本スキル所持者を追わず、追い越せなくなったとしたら、人類は自らが拡張した可能性の一端を失う事になるだろう”
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人類よ、我を追いかけ続けよ。そして追い越してみせよ。
我に追いつけなくなる日が来たならば、この黄昏世界と同じくお前達の世界も滅びの道を歩む事になるのだから。
落花生が悪霊クドリャフカの体に手をついた時、犬の遠吠えが聞こえた気がした。
幻聴かもしれない。真実を確かめようにも、落花生は帰還しており、悪霊クドリャフカも姿を消してしまっている。
「……落花生が地球に連れ帰ったんだな。きっと、そうだ」
地球からの召喚者は御母様に存在を気取られる前に強制的に送還されてしまう。結果は聞けなかったが、悪霊クドリャフカの不在が作戦の成功を教えてくれる。
「…………あんな速度で送還されて、はたして大丈夫なのだろうか」
減速する暇もなく地球の大気圏内へと戻ってしまった落花生のその後は、怖くて想像できない。