彼女のモノローグ2
「――むにゃむにゃ。まだ食べられるよぅー、うへへっー」
ジュゥーっ、と肉の焼ける香ばしき匂いがする。
食欲中枢を刺激する匂いだ。もう何年も嗅いでいない。下手をすると、生まれて一度も口にした事のない。そんな匂いだ。
それが自分の顔の傍というか、自分の顔が焼かれて匂っているのだから、もうたまらない。
「――って、危なッ!?」
危うく寝ながら焼死するところだった。昨晩、うっかり閉め忘れた木窓から、赤い陽光が枕元を鋭く照り付けている。
今日も悲惨な程に良い天気で、雲一つない赤い空が広がっているのだろう。昨日も晴れだった。その前の日も晴れだった。一年前からずっと晴れだった。私が生まれる前から晴れだった。この地域で最後に雨が降った日を覚えている徒人は生き残っているのかしらん。
太陽に照らし殺されそうになるなんて、かなりの寝坊だ。まあ、今更慌てても仕方がない。日々を勤勉に生きて次回の徴税に備えるべきなのだが、それ以上にカロリーが大切である。
とりあえず朝餉を済ませよう。
「昨日は久しぶりにおっきなミミズが獲れたっけ。今日も太く育っていてよね」
ミミズ料理は我が壁村の定番だ。
グロテスクな見かけ通りの味に、胃腸が悲鳴を上げると評判の郷土料理。悲鳴を上げる程度の動物性タンパク質を得られるなんて、昨今、珍しくて有難い。最近は地面を掘っても天然物は見つからないため、室内の暗室で養殖する事態になってしまっている。
昨晩の内に木桶に移し、土抜きしておいた一本を取り上げる。
まな板の上に連行しても、細い身をよじって必死に抵抗する私の朝餉を目打ちした――目があるかは知らない。縦に体を掻っ捌いて腸を摘出する。玄人はこの腸が珍味であるとほざいているらしいが、ジャリジャリした砂特有の歯ごたえと強烈なえぐみしかない部位なのでお勧めできるものではない。
「来年の今頃はそんな事も言っていられないかもだけど。……来年もこの壁村、残っているかな」
開いたミミズを窓の外に置いて、陽光でカリっと焼き上げる。石板の上で赤い光に照らしているだけでジュージューと焼き上がるので光熱費はゼロである。
焼いている間に、痩せこけた畑で僅かに採取できる雑草の葉と根をちぎってサラダに仕立てる。
文化度の高い朝餉が出来上がって満足です。
「いただきます。――いただきました」
朝餉を終えたので仕事に向かうために身だしなみを整えよう。
世界が絶望的だろうと私は乙女。外出するならそれなりに気合を入れる。ミミズ食った女が何を言ってんだ、とか言わない。
長腰巻は基本色の赤をベースに、白縄を若干のアクセントとして添える。
長袖は黒を選び、紫外線対策も忘れていないのがポイントだ。日焼けで死にたくないなら――冗談ではなく――素肌は極力隠さなければならない。
手袋と厚底靴も欠かせない。
「では、行きますか」
戸をスライドさせて、代わりに簾を垂らして家の外に踏み出す。
雲一つない赤天が世界へと被さっている。
熱せられた大地は枯れて荒れて、空の色が移ってしまって土の色さえ赤い。
西の山脈には、山脈よりも大きな赤い御母様。
午前中なのでまだ涼しいが、正午に近づくと陽光がいよいよ殺人的になってしまう。だからそれまでに村の中心にある簡易宝貝で水を生成して瓶に汲んでおく。一部は畑まで運んで水やりに使う。旬の近いサボテンはしっかりと手入れをしよう。
「聞いたか? 山向こうに混世魔王が現れたらしい」
「前にお達しのあったあの混世魔王か。妖怪が珍しく近づくなって警告してくる危険な魔王って。壁村に現れたが最後、問答無用で焼き殺されるって」
畑への道中、模範的にも日の出前に一仕事終えた村人達が、枯れた井戸の前で井戸端会議を開催しながら休んでいる。
話の内容は、どこどこの壁村に妖怪が現れた、どこどこの壁村は徒人税を払えず人口の半分が徴税されてしまった、どこどこの壁村が一夜にして無人になった。そういう酷くありきたりな悲劇ばかりだ。
面白味にかける。特に会話には加わらず畑に急ぐ。
「いや、それがそうでもない。確かに混世魔王が徒人を襲ったらしいが、壁村が焼かれる前に退治されたとか、なんとか。行商がそう言っていた」
行商め、話を盛ったな。これだから妖怪に雇われて仕事をしている徒人は信用ならない。
ネームドの妖怪ほどに恐ろしいものはない。魔王と呼ばれる程の大妖怪ならばなおさらである。律令を無視して権力を思うがままに振るい、徒人を好きなだけ喰って、我儘し放題。最近、話題の混世魔王は炎で徒人を焼き殺すのが趣味らしく、多くの壁村が犠牲になっているらしい。
妖怪や魔王に襲われるくらい当たり前。ただ遊んでいる子供が矢で狩られるぐらいに治安は低迷していた。
この世界はすでに黄昏ているのだ。良い話というものはすべて昔話の中にあるもので、もう時代遅れの産物でしかない。
正午になる前に畑から退散していた。昼も働く愚か者の死に方は熱死と相場が決まっている。夕方頃にまた少し働いて、今日の仕事は終了である。
昼間に出歩く徒人はほとんどいない。無人の通りを一人で歩く。
「――あれ、珍しい」
真っ昼間だというのに、門の前に村人が集まっていた。基本的に閉まっている門の扉が開かれているから余計に珍しい。
行商ではないだろう。一昨日やって来たばかりである。
騒ぎの元へと駆けつけると……ちょっと言葉を失うショッキングな光景が突き刺さっている。
なんとまあ、壁村の門の付近にある枯れ井戸へと何者かが頭から突っ込んでしまっているのだ。村人はその人物の足を引っ張って助け出そうとしている様子だが、なかなかに難航している。
「な、何があったの??」
「いや、分からねぇ。突然、門の外からやってきたコイツが、俺の爺さんの爺さんの代に使わなくなった井戸に頭から突っ込んで動かなくなった」
「落ちたら危ないから蓋をしていなかったっけ?」
「頭が蓋を破って、体がつっかえているから落ちずに済んでいる。なんて石頭だ」
変化に乏しい壁村に起きた珍事に胸が高ま……失敬、早くこの面白い人を助け出さなければ。私の表情筋が笑い出す前に。もたもたしていると私が笑い死に……逆さまの人の頭に血が溜まって死んでしまう。
出遅れながらも村人達と協力して足を引っ張る。ガッチリはまってしまっていて最初はうまくいかなかった。それでも徐々に逆さまの体が動き始めて――、
「抜けそうっ、もう一息!」
――ガツガツと頭部が井戸の縁にぶつかる音と共に、ついに救出に成功した。
苦労を称え合う村人達。一方で、私はどんな顔をした徒人だったなら、枯れた井戸へのダイブを考えるのかを早く知りたくて、引っ張り出された人物の顔を確認する。
「――か、仮面を、付けている。行動も格好も変な徒人ね」
顔の上半分を隠す仮面の所為で、顔が見えなかった。残念。
ただ……顔が見えない癖にこの人物の顔から目を離せない。私は緊張を覚えているのか、ゴクりと喉を鳴らしてしまう。
「本当に徒人か?」
「徴税官らしくはない、就職に失敗した在野妖怪かもしれないな。気絶しているのなら、今の内に遠くに捨ててくるべきじゃないか。何をされるか分かったものじゃないぞ」
村人達も徒人らしからぬプレッシャーを仮面に感じているのだろう。妖怪は徒人の上位の種族であり、多くは粗暴だ。喰い殺されたくなければ関わり合いになるべき相手ではない。
けれども、私は村人達を制してしまった。
「待ってっ。私が、連れ帰っても良い?」
壁村近くの荒野を大ムカデの妖魔が走っている。その事自体は特に珍しくはないが、妖魔の背中には人語を話す妖怪が複数乗車している。やはり珍しくない。
「――ギャハハ、ちぃーと腹すいたよな、お前等。壁村寄らねぇ?」
「おー、いいねェ」
「キキキキキ、キキキキキ」
「あっちに五年物があるってよ。行こうぜ!」
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▼雑鬼
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“『雑鬼』、黄昏世界における妖怪の半数を占める。
色々な妖怪が掛け合わさって分類不明な奴等を言う総称。先祖によって姿形は大きく異なる。
もう少し正しく研究すれば正しい分類が可能だが、わざわざ雑鬼を研究している妖怪はいない。
雑食性であり、主食は徒人”
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猿や鬼の姿をした妖怪共がファーストフード店に向かうような気軽さで、大ムカデの妖魔の進路を変更する。
プロローグはこのあたりで、次話は来年です。
では、よいお年をー。