17-3 豚面の混世魔王2
巨大な手に握られてクゥの姿が消えた。ソフトさも優しさもありはしない。握り潰す勢いであり、指と指の間は完全に密着してしまっている。
ただの村娘が真っ先に狙われた。人質にするつもりか。
攻撃のためにナイフを構え……いや、『コントロールZ』で掴まれる前に助け出す。
『ふん、お前の手口は分かっている。竦めッ』
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“『人類萎縮権』、復讐するべき人類に恐怖を植え付け萎縮させるスキル。
相手が人の類の場合、攻撃で与えられる苦痛と恐怖が二倍に補正される。
また、攻撃しなくとも、人の類はスキル保持者を知覚しただけで言い知れぬ感覚に怯えて竦み、パラメーター全体が二割減の補正を受ける”
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突っ込んでくる車両を目撃した瞬間のごとき悪寒がした。筋肉が萎縮するようにスキル発動が遅れる。
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“『コントロールZ』、少しだけ時間を戻してピンチを乗り切れるかもしれないスキル。
『魔』を1消費して、時間をコンマ一秒戻す”
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『コントロールZ』の弱点を突かれた。
弱点は燃費の悪さだ。『魔』の消費が激しいため可能な限り戻す時間を限定している。今回で言えば二秒だった訳であるが、スキル発動が遅れた所為で中途半端な時間遡行にしかならなかった。
『――ふん、お前の手口は分かっている。竦めッ』
「やられたッ」
『お前の猿真似だが、なるほど、効果的だ』
「やめろ、クゥを巻き込むな!」
『小娘を奪い取ればお前も本気にならざるを得ないだろう。今回こそは決着を付ける』
時間を戻した甲斐はなく、再び握られたクゥの手が外へと引かれていく。
同時に空気も外へと激流のように流れ始めた。外の真空宇宙へとエアーが流出している所為だ。抜かれた巨人の腕の穴から外へと向かって恐ろしい吸引力が働いてしまっている。
奪われたクゥも心配であるが、急減圧で吸い出されそうになっている俺達も大混乱だ。
「混世魔王。こんな時にですかっ」
実際、体が浮かんだカエル兵士もいたのだが、スノーフィールドが救出に動いて事なきを得ている。
スノーフィールドが頭上に向けて嘆願する。
「お頼みします、御前!」
『一時的に天竺周辺宙域の真空状態を曖昧化させる。その間に、襲撃してきた混世魔王を排除するのだ』
エアーの排出が穏やかになった。宣言通り、嫦娥がサポートしてくれたのだろう。
魔王城化した軌道エレベーターの攻略も急務だというのに、混世魔王も放置はできない。
……戦力分散となってしまうが、二手に分かれる他ない。混世魔王討伐と魔王城攻略。人質まで取られて呼ばれているため、俺が混世魔王担当なのは決定である。
「すまない、俺はクゥを助ける」
「そうしろ。魔王城は俺と脳筋妖怪がいれば十分だ」
「アアっ? 誰が脳筋だ、沙悟浄女! おい、御影。金角銀角ごときは俺等に任せてさっさと行け」
配分は、混世魔王に対して俺一人だけ。
魔王城攻略の経験がある黒曜は軌道エレベーターへと向かって欲しい。そこそこ以上に組み合わせの良かった紅と一緒なら不安は薄れる。
かなりの偏りがあるものの、何が待っているか分からない魔王城により多くの戦力を投入するべきだろう。
「いえ、天竺からは私が残りますわ」
「スノーフィールド?」
「混世魔王は二体いるのに、一人で相手するつもりですの?」
巨人型と四足獣型。二体の混世魔王を同時に相手するのは確かに厳しいのだが、手練れの救世主職を魔王城攻略から外すのは正しい判断だろうか。
混世魔王が天竺の破壊に動く可能性もあるので、スノーフィールドが防衛に当たるという考えは決して間違っていないが。
こう悩む時間も惜しい状況か。
「速攻で倒してしまえばいいのですわ。幸い、四足獣の方は一度、撃退した経験がありましてよ」
「分かった。そっちは頼む。巨人の方は俺がどうにかする」
「どこが失敗しても黄昏世界の人類は終わりです。皆々様、ご武運を」
それぞれが自分の役目、世界を存続させるという目標を全うするべく散っていった。
黒曜と紅は非常用点検口からシャフトへと潜っていく。
俺とスノーフィールドは穴から外へと跳び出した。
右を振り向けば、赤く爛れた惑星が。
左を振り向けば、遠く、しかし近傍で燃え盛る恒星が。
幻想的過ぎて現実感のない――これならまだ嫦娥が見せていた幻術の方がリアリティのある――光景だ。3D映像のように思えてしまうのは、黒い巨人が鏡のごとく研磨された宇宙船の上に立っている所為もあるか。
「クゥを返せ」
『それはお前次第だ』
強く握られたままの巨人の左手を見る。握り過ぎているのではないかというくらい固く閉じられており、内部がどうなっているかまったく分からない。
『俺は何だ? まずはこの問いに答えてみせろ』
「お前は……ユ……いや」
『そうだ、ユウタロウなどではないのは分かっているな』
仁王立ちする巨人の顔を見上げる。
パーティーを組んでいた頃から造形は変わっていない。ブタに類似する鼻の大きな顔付きであり、また、肉食を好む生物らしき牙が伺える。
『種族固有のこの顔を見て答えてみせろ。種族を統治する者の巨躯を見て答えを当ててみせろ。お前には簡単なはずだ。なにせ、お前はこの姿をした敵と戦っている』
戦う前から追い詰められた気分だ。背中が汗で冷たい。一度は仲間として戦った者を、なにゆえ蔑称で呼ばねばならないのか。
『……まだ、分かっていないようだな』
巨人が左手に力を込め始めた途端に、ミシリと誰かが軋む音が聞こえた気がした。
「やめ――」
「――速攻と言いましたわよね!」
巨大化した直剣が巨人の左手首を斬り落とすコースで振られた。
寸前で、巨人が足場を蹴って大きく後退したため当たらずに済むが、僅かなタイミングの違いで手首は両断される結果になっていただろう。
「まったく! 妙なスキルでパラメーターが下がっている所為ですわ」
前に勇ましく出た巨漢のカエルが、悔しげに長く舌を伸ばす。
『女ッ、邪魔をするな!』
「少し見直す部分があるかと思いましたが、ただのモンスターでしたわね」
『そうだっ、俺はモンスターだ。そんな単純な事が分からん奴がいるんでな』
「叩き斬ってしまいましてよ、モンスター。覚悟!」
『憎き人類を救う輩が出てきたぞ。ほら、食い出があるぞ』
一度、元の大きさに戻した大剣を横に構え直すスノーフィールド。水平に巨人を両断するつもりだ。
だが、剣を振るのを邪魔するように突っ込んできた猛獣にスノーフィールドは噛み付かれてしまった。直接ではなく、咄嗟に盾にした剣でガードしているものの、そんな事はお構いなしに牙が閉じられようとしている。
噛み付いて動きを封じながら、炎を噴射してスノーフィールドを空へと誘ったのは四足獣の混世魔王。己が得意とする無重力空間で仕留めるつもりだろう。
『邪魔はいなくなった。さあ、答えろ。俺は何だ?』
「お前は、お前は――」
曖昧なままにはできない。
正確に答えなければ、クゥの命はない。
「――お前は……オークだ」
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“『オーク・クライ』、オークに対する絶対優勢を示すスキル。
オークに対して、攻撃で与えられる苦痛と恐怖が二倍に補正される。
また、攻撃しなくとも、オークはスキル保持者を知覚しただけで言い知れぬ感覚に怯えて竦み、ステータス全体が二割減の補正を受ける”
“取得条件。
その一、オークに対して憐憫、憤怒という相反する感情を覚える事。
その二、オークに安堵と恐怖という相反する感情を覚えさせる事”
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認めた途端に発動する『オーク・クライ』が、回答の正しさを証明してしまった。
『そうだ。俺はオークだ!』
巨大オークの左手が解かれて、ぐったりしたクゥの体が宙に投げ出されていく。
今、追うのは無理だった。
邪魔な人質を解放したオークが、とてもデバフ中とは思えない快活な動きで殴りかかってきているからだ。