17-1 保護活動
「本気で言っている? 置いていくとかッ、いまさ――」
居残りを告げられて、喜びとは正反対の感情をクゥは剥き出しにする。
……その直前という間の悪い瞬間に、耳の痛い悲鳴のような警鐘が鳴った。
「何事ですかっ。禁軍が攻め戻ってきましたか」
『詳細不明ですっ! 下層部にて、原因不明の事象が発生し拡大中!』
スノーフィールドが遠隔通信でどこかとやり取りしているが判然としない。
客人の立場の俺達は警戒する事しかできない。緊急事態のようであるが、足元が揺れるような分かり易い前兆は感じられなかった。
ようやく状況が見えてきたのは、奥部屋へと引っ込んだ嫦娥が早足で戻ってきてからだ。彼女が「――水月、遠隔、投影」と軽く詠唱を行うと足元の床が透明となって地上まで続く軌道エレベーターが見えた。
それだけだとよく分からなかったのだが、映像が地上方向へとズームされて多少の違和感に気付く。
「外壁が銀色に光っている?」
軌道エレベーターの色が途中から変わっている。
色の変化だけではない。デザインも変化しており、瓦を備えた屋根が数えるのも嫌になるくらいに層を形成していた。支柱やチューブというべき要素で編まれた軌道エレベーターに対して瓦は明らかな装飾過剰だ。
天竺のカエル化したスタッフ達の反応から、本来の色や形とは異なるようである。ただ、俺には正体が分からない。
「あれは……また独特な形をしていやがる」
「黒曜、分かるのか?」
「おそらく、色が変わっている部分から下は全部、魔王城だ」
魔王城と言われてもよく分からない。
単語だけを抜き取って脳内でイメージ出力すると、コウモリが飛び交う闇夜に鎮座する石組みの城になるのだが。足元に投影されるオリエンタルな装飾の塔とは別種で連想し辛いものがある。
「御前、私も同意見です。あれは魔王職のスキルが発露したものです」
「世界法則の適用外。特異法則領域。通称、魔王城か!」
黒曜、スノーフィールド、嫦娥の三者間でのみ認識が共有されていく。その他大勢は置き去りだ。
救世主職と神性にしか分かり合えない危機感があるのだろうか。
はて、俺はどうなのだろうか。
「まさか魔王城とは。魔王職の封じられた黄昏世界で起こりえるのか」
「救世主職として断言いたします。そちらの救世主職も直観したのでしょう?」
「まあな。あの嫌な気配は間違えようがない」
「……なぁ、黒曜。俺が仲間外れなのは、救世主職を離職しているからか?」
「パパも一度、魔王城へ侵入しているはずだから、分かるはず」
全然覚えがない。魔王とは何度も戦っているが、城へ攻め込んだ記憶はないに等しい。
「もしかして、迷宮魔王の地下迷宮?」
「アイツは違う。魔王職のSランクに達していたなら、あの迷宮は更に危険だったはず」
迷宮魔王でもないなら本当に記憶にない。討伐してきた魔王は前線に出てくる奴等ばかりで、城の最奥に引き込もるステレオタイプな魔王がいなかった。
「――蟲星全体が、魔王城だった」
……いや、あそこはマグマが垂れ流れる完全なる屋外だったぞ。アウトドアの中でもかなり悲惨な分類の外。城要素がないって。
「蟲星にいた魔王は魔王としても破格だったからな……」
遠くを死んだ目で見ている黒曜。何万回と同じクソゲーをプレイして心が擦り切れた者の目だ。
魔王城の中は世界の法則よりも、魔王となった存在を象徴する特異法則が優先される。蟲星の生物異常進化はその一例らしい。
もう少し穏やかな魔王城の例は、陸地に深海が生じる、酒が雨として降り続ける、言葉を喋れなくなる、血が沸騰する、などがあるらしい。法則が適用される部分は城のような外壁に覆われる事が多いため、魔王城と呼ばれているそうだ。
「まぁ、最初が蟲星だと、他の魔王城の気配に気付けないか」
「ええっと、話をまとめると、魔王城はSランク魔王のスキルで発生するから、そこにヤバい魔王がいると分かる。スキル効果自体も世界法則を塗り替えるからヤバい。こういった理解でいいか?」
「だいたい合ってる」
合っているらしい。間違っていて欲しかった。
天竺がSランク魔王に襲撃を受けているとなれば、三人の警戒の高まりも分かるというものだ。黄昏世界に魔王職がいないという前提も加味すれば、イレギュラーの中にイレギュラーが積層されてしまっている。
魔王城の中の異常法則は魔王ごとにまったく異なる。調べてからでなければ、とても踏み入れたものではない。
「スノーフィールドがいるなら、外から大剣でぶった切ればよくないか?」
「中に取り残された者達ごとなんて、お断りですわよ」
一つの考えを語っただけで、俺も別に本気だった訳ではないので酷い男を見るカエルの目を向けないで欲しい。
幸いとは言わないが、軌道エレベーターに配置されていたのは天竺の兵隊達だ。壁村からの避難民は最上階に全員匿われている。
戦う能力と装備を持った者達なら多少は耐えてくれる。救出作戦を考えるくらいの時間はあるはず――、
“――月カエル共。世界から逃げ出すなどという絶望に満ちた手段を採らずともよいよい。俺達、兄弟が徒人共々、保護してやろうぞ”
――宇宙の高さに相当する最上階へと魔王城方向から声が響いた。妖術による遠隔通信の類か。
“妖怪の至高に達した俺達兄弟の『世界をこの嘘言で支配する』の内にさえいれば、世界が燃えようとも絶滅はせん。実演してみせている通りだ”
魔王城の内部は世界法則に従わない別のルールが敷かれている。
妖怪の言葉は嘘ばかりであるが、場合によっては、恒星の肥大化の影響を受けないシェルターとなりえるのか。少なくとも魔王城を発生させた犯人はそう考えている。
“金角銀角の兄弟に統治され、管理され、気分で食される。なんとも素晴らしい時代の家畜としてお前達を保護してくれようぞ”
「金角銀角。あいつ等かよ……」
“俺達兄弟のせっかくの保護の手を振り払うというのであれば……ううむ、仕方あるまい。どれ、カエルの血の色は何色なのだろうな”
金角か、または、銀角か。
どちらか分からない妖怪の声が聞こえている中、その背景音に甲高い雑音が複数人混じり込む。
“なんとつまらん、緑色ではないのか”
「金角ッ!!」
“おっと聞こえん。通話は一方通行ゆえな。ちなみに俺は銀角よ”
聞くだけでも不快な妖怪の声は音で聞こえている訳ではないので耳を塞いでも聞こえてしまう。
“カエルの人質では物足りんのであれば、そこいらの壁村の徴税でもするか。それでも足りんというのであれば、御母様に吹き込むとするか。……天竺は御母様の愛娘を射落とした矢を隠し持っておるとな。あの黄昏女、さぞ熱く激高するであ――”
ふと、不愉快な銀角の声が途切れた。
嫦娥が手に横に振っているので、彼女が対処したのは間違いない。
「知られては絶対にならん。黄昏た女に、神殺しの矢の存在だけは絶対に知らせてはならん」
強張った嫦娥を見れば、銀角が嘘を言わなかったと分かる。