4-2 豚面の混世魔王1
混世魔王だ。ブタの顔をしたコイツは混世魔王だ。
同じ名前の魔王が複数いるというのは意味不明であるが、黄昏世界において混世魔王は肩書に過ぎないのかもしれない。類似した特徴の怪物が複数体いると解釈すれば納得し易い。
体から炎を吹き出す。
特殊なスキルを使用する。
そして『正体不明』。
外見的な特徴がマチマチで一貫性はないため、まるで取って付けたかのような特徴だ。いや、本当にコートを被せるみたいに上から被せただけなのか。性能さえ伴えば偽者であろうと構わない。そういう割り切りを感じた。
「とはいえ、こいつは四足獣とは随分違うが」
ブタの顔をした巨漢の混世魔王は、四足獣とも違う賢さを見せている。俺を蹴り跳ばした後も不用心な追撃をしかけず動いていない。どっしりと重心を落として、三つに分かれた槍の穂先を俺へと向けている。
槍の構え方が洗練されている。武術を使えるのか。
「上等だ!」
元が平均的な大学生だけあって武術はからっきしである。ただし、実戦経験だけなら豊富にある。槍に対してナイフ一本で挑む無謀程度は平然とやってのける。
穂先に向かって直進した。
当然、混世魔王は槍を突き出してくるが、奴の動作に合わせて体を捻って回避する。最小の動きで敵の攻撃を見極めた、などという達人の真似事だ。人間離れした『速』の反射神経でぎこちなく、無理やり避けただけ。
穂先を抜ければ混世魔王の心臓まで一直線。こいつもどうせ『正体不明』で死なないだろうが、動きを止めさえすればいくらでも無力化は――、
「――ぬるいな。実にぬるい」
「しゃ、喋ったっ。ぬおッ」
――槍が横に振られて脇腹を強打された。穂先を避けて、柄と平行するように移動していたので簡単に迎撃されてしまう。
前へと突き出した槍の軌道を変更し横に振る達人級の芸当にも驚かされるが、それ以上に、ブタ顔が人語を発音した事により強く驚く。
「お前、喋れるのか??」
問い掛けてみたが返事はない。オリエンタルな鎧を装着した混世魔王は、不敵にブタの鼻を鳴らして笑うのみだ。
警戒心を最大まで上昇させた。『正体不明』でしかも知能まで有するとなれば、出し渋りはなしだ。昨日はそれで失敗している。俺は学習する生き物だ。
仮面に手を伸ばして、剥がしにかかる。
「――深淵よ。深淵が私を覗き込む時――」
仮面の奥へと呼び掛けを行い、俺は『正体不明(?)』へと至るのだ。
「――『正体不明(?)無効(御影限定)』。お前のそれを禁じよう」
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“『正体不明(?)無効(御影限定)』、御影の神秘を否定するスキル。
御影の『正体不明(?)』を認めず、神秘を格下げする事で無力化する。
特定人物の『正体不明(?)』スキルに対するメタ対策という限定的な使用方法しかできず、本来、スキルとして明示される程のものではない”
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仮面を取り払って視界が広がったというのに、違和感があった。
人間から乖離したという全能感が一切ないのだ。仮面を外せ、お肌が蒸れない爽快感しか覚えない。そんな普通に眩暈がした。
額を手で押さえて、更に違和感が強くなる。
俺の手が……俺の顔に触れている。
幽世に続く穴など存在しない。
「お前ッ。何をした!!」
ただの人間に戻ってしまっている。
ありえない事態だった。俺の神秘を否定できる人間がいるとすれば、それは俺が御影として活動する前からの友人たる紙屋優太郎くらいなものであり、目の前のブタではない。優太郎はブタではない。
混世魔王は動揺する俺を見て明らかに笑っている。コイツが俺の『正体不明(?)』を無効化したのだと言いたげだ。
「答えろッ!!」
「――――俺はお前を、知っている」
「な、にっ」
流暢に人語を喋った混世魔王は三叉槍を肩に担ぎ直すと……背中を向ける。
何をするつもりかと思えば、何もしない。俺から離れていくだけだ。
「待て。意味深な事を言って立ち去るな。そもそも、何をしに現れた」
「顔を見た。今日はそれで満足だ」
当然、追いかけたのだが……混世魔王の背中から広がる炎が壁となって進路を阻んできた。火傷だけならと強がって無理やり突破したものの、炎の壁の向こうに混世魔王の姿はない。
「俺と違ってお前は、俺を覚えていないらしいな」
混世魔王の声――ブタ顔には勿体ない男性声――だけが聞こえてきたが、それも遠ざかった。
完全に逃げられた。顔の穴がいつの間にか開いているのが証拠だろう。
ただでさえ危険な混世魔王の中に、俺の切り札である顔の穴を塞ぐ奴がいる。
ゾワりと体が震えた。メタ対策される程に俺は黄昏世界の何者かに敵視されているらしい。
蹴られたり打たれたりしたものの、大きな傷を負う事なくクゥの所まで戻る。
「お帰り、御影君。無事?」
「……きっとアイツは優太郎だったんだ。優太郎だったなら、顔の穴が無効になっても説明がつく。だから、アイツは優太郎だったんだ」
「えーと、御影君? 無事じゃないの??」
クゥは若干心配した声で呼びかけてくるが、安心して欲しい。俺は今、正常性バイアスを限界まで高めているので精神的に安定している。黄昏世界に俺を狙うヤバそうな存在がいると分かっても、今晩はぐっすり眠れる。
「アイツは優太郎で間違いないんだ。ちょっと見ない間にプロレスラーに就職したのかな。体格は随分違ったが、アイツは優太郎だったんだ」
「ちょっと、御影君。妖術でもかけられたの!?」
「優太郎が俺を救いに黄昏世界に来てくれたんだ。肉体と顔面を改造して。きっとそうだ」
「駄目だコレ。妖術ってビンタで直せるのかな。試してみよう」
クゥが両方の頬に平手打ちを続けても、俺はブツブツと独り言を続けた。




