16-5 ただ一つの冴えた選択
体感で三十分程経過した。
時間経過と共に緩やかに空の色は赤から藍へと変化していき、黄昏世界の地平線が見えてくる。異世界ですら世界は丸いというのに、地球で平面説を唱えている人々は恥ずかしくはないのだろうか。
「直行便ですが最上階までは時間がかかりますわ。機内食でも食べながらお待ちくださいませ」
スノーフィールドが手を叩くと、キャビンアテンダントのカエル達が浮遊するワゴンで食事を運んできた。不透明な銀シートでパッキングされた厚みのないトレーが一人に一つ配られる。備え付けは箸ではなく匙が一つ。
手で持って温度を感じなかったのに封を破ると蒸気が昇る。タコ糸を引っ張ると温められる駅弁みたいなものか。
彩は、まぁ、豊かだ。
緑だったり黄色だったり白かったり。すべてが容器の小部屋に平べったく敷き詰められているが種類は豊富だ。ただし固形感がない。
「すべてペースト……」
俗に言われるディストピア飯だ。
生産性と最低限の栄養価だけを優先して、エネルギー吸収率を上げるために原材料が分からなくなるまで磨り潰している。料理は愛情なのだと分からされる終末世界の離乳食だ。効率だけを求めた社会が行きつく末路が、トレーの中に敷き詰められている。
いやまぁ、本当のディストピアではディストピア飯すら食えないのだが。
黄昏世界で目撃したまともな飯の順位は、一位が桃源郷のモモ単品、二位が天竺のディストピア飯。三位がクゥの故郷の郷土料理となってしまうのが悲しい。
「へぇ、壁村では見られない豪華な食事ね。ちょっと歯ごたえがないけど」
「クゥの感想がすべてを物語っているな」
周りを見ればクゥだけが平然と食っている。緑の何かを一口食べた黒曜は額を歪ませているし、月桂花も黙り込んだままだ。原住民の紅ですら微妙な表情。玉龍はパクパク食っているが……こいつトレーごと食べて食感を足しているぞ。
俺も一口すくって口に含む。味蕾に意識を集中しているのに味が分からない。不味いと普通の間くらいの絶妙なラインだった。
提供してもらっておいて文句を言う程に恥知らずではない。腹の足しにするためだけに完食を目指した。
食べるのに時間がかかったお陰か、目的地の最上階まではすぐそこだ。
窓の向こう側はすっかり黒くなってしまっている。けれども、深い黒の中において異様に目立つ赤く沸き立つ巨大な星。寿命を迎えた太陽、御母様だ。
「『カウントダウン』も限界ですわね。貴方達は間に合いましたわ」
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“●カウントダウン:残り十三日……、三か月……、九秒……、五日”
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救世主職のスノーフィールドの網膜には俺と同じ残り時間が見えている。時間の変動は、太陽の膨張周期と一致しているように思えた。
「到着しましたわ、皆様、ここが天竺の本拠地でございます」
大きな建造物の内部にエレベーターは到達し、窓の外は見えなくなった。常に感じていた下方向への重力も消えており、体が浮き始める。
そうか、ここはもう宇宙なのだ。
“スノーフィールド。道中、案内ご苦労。ここからは此方が引き継ごう”
不慣れな無重力に戸惑う俺の横を通って前に出てきたのは月桂花。浮かびながら振り返った彼女の瞳は月のように黄色く光っている。
見知った人物だというのに一挙手一投足が異なって違和感を覚える。具体的に何が違うのかを説明しても細か過ぎて相違点が霞んでしまうが、今の月桂花は別人だ。
「……あの女に何か入っていやがる。俺の世界のいけ好かない管理神と似た気配。神性か」
黒曜も月桂花の変化に気付き、正体を看破したようだ。アレなら殴れると物騒な事も口走っていたような。
こちらを向きながらも浮遊する月桂花。後方に等速移動して辿り着いた先には、灰色一辺倒な座具がある。背景は柱のない全天の宇宙。ファンタジー感とサイエンスフィクション感が同居する天竺の玉座の間だ。
「……屈辱だ。体を失い、憑依してなお黄昏た女の呪いは続くか」
座した月桂花の体が変質していった。
スノーフィールドほどの激性はないが、手には水搔きの膜が広がり、瞳孔はカエルのそれと同じく菱形へと変形してしまう。
「客人にこのような醜い姿を晒す事になるのは耐え難い。が、猶予はないのでな。此方自ら、仮面の救世主一行を歓迎しよう」
「桂さんではありませんよね。では、アナタは誰でしょうか?」
「天竺を創設せし、月の神性、此方は嫦娥よ。このような見苦しい姿をしておるがな」
忌々しげに手の水搔きを広げてから、隠すように強く拳を作る嫦娥。
魔法というよりは神様の権能的なもので一瞬で着替えると、羽衣のある天女みたいな服装になった。月桂花が好まない明るい生地なので、やはり中身は別人のようだ。
「仮面の救世主職。そちらの事情は此方を取り込んだこの女より聞いている。元の世界に帰りたいという要望も知っておるが、諦めよ。黄昏た女が管理神として世界の法則を私物化しておる。あやつは世界への侵入を許さない以上に、世界からの脱出を許しておらん。何もかもを巻き込んで心中するつもりだ」
いきなり否定から入った。
一度、御母様に存在を捕捉されたら、二度と世界の外へと逃げる事はできない。それが黄昏世界の法則との事だ。
神様に帰還が絶望的だと告げられてしまい、俺にも『陽《SUN》』が欲しいと心底思ってしまった。とりあえず、考えていた方法の答え合わせをしてもらう。
「管理神の権限ですか。では、御母様を倒せば自分は地球に帰れるでしょうか?」
「無理な話だ。救世主職であっても恒星に勝てるものではない。そして、勝利したとしても管理神が消えるだけ。既に設定された法則はそのままだ」
つまり、御母様に勝とうが負けようが結果は変わらないと。
ただ、それでは勝負を挑まず逃走に徹して、寿命が尽きるまで逃げ切ったとしても意味がない。
「新たな管理神に引き継ぎが行われる事もなく黄昏世界は加速度的に衰退するだろう。創造神に見放された時点で終わっていたが、とうとう終わりが現実となる訳だ」
蟲星が創造神でさえ管理不能と見放した禁忌の世界ならば、黄昏世界は創造神でさえ存続不能と見放した末期の世界だ。
もはや、生きる事すら意味があるのかと疑いたくなる惨状である。
「……それでも、黄昏た女と一緒に死ぬなどありえんよ」
嫦娥は生き残る事に希望を見出していない。怨敵と共に死にたくないという反骨心のみで恒星膨張からの生存を続けている。
「帰還の可能性はないかもしれぬが、此方と共に生き残れ、仮面の救世主職。恒星膨張から逃れる事だけを目標とせよ」
太陽の爆発的な膨張により黄昏世界が滅び、世界が焼失すると共に御母様の精神も焼け切れていなくなる。
そこまで生き残る事ができれば戦うべき敵はもういない。嫦娥は否定したが、時間をかければ地球への帰還方法も発見または開発できるかもしれないのだ。
「天竺の最上階はそのまま他星系への脱出船として機能する。暮らすには狭苦しいが千年間、宇宙を漂流しても壊れる事はないと保証しよう」
魅力的な生存計画だった。もうそれしか手段は残されていない。選択肢のない選択問題だ。
決まったも当然であるが、あえて言葉にしよう。
俺の答えは――、
「――俺は、御母様を倒します」