16-2 対禁軍
妖怪兵の数は二千くらいだろうか。三千には足りないだろう。
両手の指で四角を作って遠くの妖怪の陣地を望む。四角の内側にいる兵士を数えた後、今度は手を動かして禁軍全体を何個の四角で囲めるかを数える。遠くから大群を数えるための方法だと何かしらの文献かテレビかで見た覚えがある手法を用いて、おおよその数を導き出した。当たっているか自信がないが、東京国際展示場に夏と冬の二度形成される大群の百分の一もいないな、きっと。
軌道エレベーターを包囲するには不足する程度の数だが、黄昏世界としては大軍勢と言っていい。
禁軍と大層な名前で呼ばれているだけあって装備も整っている。妖怪の街にも兵隊はいたものの、防具はほつれていたり剣は欠けていたりと世界の荒廃に相応しい低品質だった。一方の禁軍の妖怪兵は艶のある綺麗な鎧を装着しているな。
「軌道エレベーターの中にも侵入している妖怪兵はいるだろうが、まずは外の奴等を蹴散らして撤退させる。……クゥ、黒八卦炉の宝玉を――」
「御影様。地球より魔法使いを召喚するのであればご一考を。あの娘達の魔法で万が一にも軌道エレベーターを傷付けてしまえば天竺に悪印象を与える事になります」
安易に大魔法をぶっ放して一掃しようとする俺を月桂花が窘める。皐月の魔法であれば間違いないだろうが、軌道エレベーターも間違いなく破損するだろう。
A案が駄目だとするとB案はどうしよう。五人で三千弱となれば一人あたり五百の妖怪兵を倒す必要がある。
「ねぇ、それって村娘、かつ、か弱い私も頭数に含まれていない?」
一対一であれば負ける事はないだろうが、五百回の連戦となると分からない。装備の整った軍隊ともなればいやらしい宝貝を所持していてもおかしくないため、できれば時間をかけたくない。
「小娘に頼らずとも、わたくしにお任せくださいませ。雑兵の数を減らしてみせましょう」
魔法使い職であれば地球から召喚せずとも隣にもいる。
月桂花がスリットを見せつけるように片足を半歩前に出した。腕を伸ばし、柳のように五本の指を垂れ下げる。そして、眠る前の瞬間のごとく瞼を下げていく。
「――狂乱、感染、暴走、妖月、紅く輝く月に精神は蝕まれて怪物と化すだろう」
いつの間にだろうか。空が暗くなっており、軌道エレベーターの背景には血のように赤い月が浮かんでしまっている。
おどろおどろしい雰囲気を醸す月が見下ろす地表では、妖怪兵共に変化が生じた。
「う……アゥ、あっ、ウオオオオオ!!」
「ギャハ、ギャハハハ」
「ハハハハハハハハハハハハっ」
動物の顔をした妖怪兵が奇声を上げながら仲間を剣で斬りつけたのだ。血しぶきを浴びる瞬間もその直後も目も瞳孔も開いたまま、ただただ狂っている。
おかしな行動を取ったのは一体だけではない。同時多発的だ。陣地全体で異様な目付きの妖怪兵が同士打ちを起こしている。
月桂花の魔法による精神影響だろう。ただ、唱えたのは五節の魔法だった割に効果と規模がえげつない。空の月が魔法効果をブーストしているのか。赤く染まった月が昇る前までの同僚を、狂気任せに滅多斬りにしている光景は正視に堪えない。
“月の妖しげなる側面ばかりを強調した、見下げた魔法よな”
「血に酔う妖怪により効果が出るように調整した結果ですわ。自業自得の末路です」
“そなたは月属性を履き違えておる”
「俗世と関わりのない天の高みでぼんやりと浮かんでいられた女神には、地表に住まう者の苦労が分かるはずもありません。自ら光らない衛星は受動的で楽なものです」
あの、月桂花はどこの誰と喧嘩しているのでしょうか。声しか聞こえない女性と言い合っている。
困惑していたいが妖怪兵の方も無視できない。精神影響を受けていない集団がちらほらと存在する。魔法防御手段を所持していた指揮階級の妖怪だろう。
一番混乱していない所に将軍階級がいるはずだ。
「あの辺りが統制を維持している。中央の陣にいるのは……寅将軍か」
「どいつの事を言っているんだ、紅?」
「トラ顔の無駄に豪華な鎧を着た妖怪だ。……御影、一緒に突っ込め。桃源を懲罰した頭目に、挨拶に行こうぜ」
好戦的で妖怪らしい顔付きになった紅が誘ってきた。
人間との共存を望んだ異端、桃源は滅ぼされた。妖怪聴訟の際に聞かされていた結末であり、聞かされてからもう一か月も経過している。
濃い一か月のため随分と過去の事のように思えるが、それでも濃く残っていた血の腐った臭いと虐殺の跡を、天竺に向かう前に寄り道して俺達は確認していた。
「禁軍の妖怪兵の死体も残っていやがったから間違いねぇ。皆に代わって挨拶してやらねぇとな」
「ああ、挨拶に行くか。黒曜も一緒に来てくれ。殴り込むぞ」
「当然だ。俺のナイフも妖怪の血に飢えていやがる」
悪い顔をしながら三人で並び、一斉に走り出す。
が、その前に――、
「――あ、クゥは残っておけよ。戦場慣れしていても村娘なんだからな」
「はいはい。行ってらっしゃい」
助かったという感じに嘆息するクゥを月桂花に任せて、先行する二人に追いつくために速力を増して走る。
先方は紅が務めた。陣幕を破って突っ込んでいき、手頃な位置に立っていた妖怪の腹を蹴り飛ばす。
『力』に優れる紅に本気で蹴られたのであれば、戦車砲の直撃を受けた方がマシな衝撃が身体を揺るがす。着ていた鎧が良かったためか腕や足が分離しなかったものの内臓関連は酷い状態だろう。
「よっ、寅将軍!」
「何者だ?! いや、お前か! 我が軍に手出しする不届き者めが」
「てめぇの軍でなくて御母様の軍だろ」
トラの癖に虎柄のマントを装着した偉そうな感じの妖怪が、青龍刀を片手に椅子から立ち上がる。NBAでも見ない長身長だ。
「おらっ、死ねッ」
「ふん、カエル共がようやく籠城を諦めたのかと思えば、どこぞの雑鬼か。侮るなっ」
紅の右ストレートを胸板で受け止める妖怪将軍。まさかの無傷であり、不動で拳を停止させる。
「馬鹿め。我は猛虎、寅将軍だぞ。数々の功績により禁軍将軍の位に就きし我は最上位の宝貝を有する。雑鬼ごときでは傷一つ付ける事など不可能! そして恥を知れ! 我が『羞恥変化、山月の虎』によりお前もトラに――」
「――『暗殺』発動」
べらべらと長ったらしく喋っていた間に気配を消しながら妖怪の背後に回り込んでいた。
紅を目立たせて裏からこっそりという作戦通りではあるものの、無防備すぎて罠っぽくも思える。妖怪に散々騙された悪い経験もあった。それでも、いちおう『暗殺』しておこうかと後頭部を狙ったところ……刃がすんなり入ってしまった。
絶命して、膝から崩れて倒れていく妖怪将軍。
「……えっ、弱くない?」
「レベル差があるならこんなものだ。今までの相手が悪過ぎただけで、条件さえ満たせば『暗殺』スキルはあっさりはまる」
アサシン職先輩な黒曜がいきなり姿を現す。同時に、周囲に立っていた警護の妖怪兵が一斉に倒れていく。見事な手際だ。