16-1 ゴー・ウェスト
……昨日、いつ眠ったのか覚えていない。いつだ?
「……俺、ぱぱの所に行っていたはずなのに、いつ眠った?」
「……おかしいですね。就寝した記憶もありませんわ」
今朝は妙に記憶障害が多いな。流行っているのだろうか。
俺と同じように首を捻っている人物が少なくとも二名いる中、妙に肌艶の良い女が遅れて現れる。
「おはよう、御影君。今朝も暑いね」
「よく眠れたらしいな、クゥ。今日からの長旅の準備は十分だな」
「天竺って大陸の西だから扶桑からは正反対にあるのよね。私の壁村よりも遠いなんて徒歩だったらどれだけ時間がかかるか分からないけど、今はこの子がいる」
クゥが自信満々に手を叩いて呼び寄せたのは、遠くで扶桑樹の根っこをはみはみしていた白馬、玉龍である。ドラゴンっぽい尻尾を駆使して飛行可能な馬の背に乗っての移動であれば確かに早い。
早いが、今更ながらにこのウマ、何なんだ。
「明らかに妖魔だよな、このウマ。どうやって手懐けた」
「妖魔だなんて失敬な。可哀相じゃない」
怒ったらしい玉龍が俺の服を口で引っ張る。扶桑樹が用意してくれた麻みたいな繊維の一張羅が唾液で台無しに……って、食っていないか、このウマシカ!
「お腹が空いていたみたい。沢山、食べていいのよ、肆姉――間違った、玉龍ちゃん」
このUMA、なかなかの悪食である。
口の形に破かれた服を更に食おうとしてきたため、注意を引こうと転がっていた石を見せて遠くに投げたのだ。結果、石を追いかけていき齧りついてしまう始末。工事現場で聞く音を長い顔から発しながら石を飲み込んでいる姿には唖然とする他ない。
石を食った後は地面の土まで食べ始める。何でも好き嫌いせずに食う様子とドラゴンの尾にしては少々蟲っぽい外観に、一瞬、正答を連想しそうになったというのに、クゥに背中を叩かれて思考が脳みそより零れ落ちていった。
「玉龍に変なもの食べさせないでっ」
「俺の服は変なものじゃないのか? いや、俺が着たから変なものって意味でもなくてな」
「大丈夫、御影君は変な者だから心配しないで」
クゥの中での俺の評価は変人のままか。ここまで一緒に旅をしていながら一切の歩み寄りがない。高校三年間、ずっと隣席にいた女子よりも好感度が上がっていないというのも思わず涙を流したくなってしまうのだが、一方で、不変な態度がクゥらしくて好ましく思えた。
土を食っていた玉龍を再び呼び寄せて背に乗るクゥ。細い手を差し伸べられたので掴んで俺もウマの背に跨った。
長い旅を前に意気込む俺達。
「――申し訳ありません、御影様。わたくしの魔法ですぐに到着できるため、騎乗いただく必要性はありません」
酷く言いにくそうに月桂花が後方より声をかけてきた。
振り返ると俺とクゥ以外のメンバーが月桂花の周囲に集まっている。何でも、距離を欺瞞する魔法を用いて大陸を跳び越えるとの事。
二人して赤面してしまう。ただ、言われるがままに玉龍の背から下りるのも体裁が悪い。騎乗したまま月桂花達へと近づく。
「欺瞞魔法。広くは展開できないので屈んでいただけると助かりますわ」
更に赤面する破目になってしまった。クゥと一緒に玉龍の背中にくっつく。
「お前等、仲がいいな」
黒曜はそう指摘してくるが、クゥならばこうして齧られた服ごしに密着していたとしても変な気分にはならない。だから、嫉妬で脛を捻るのを止めるんだ、黒曜。
「……ハァ、ハァ」
「ん、どうした、クゥ?」
「ハァ、ちょっと近づき過ぎ」
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▼クゥ
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“ステータス詳細
●陽:19 → 18”
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俺、そんなに臭い?
密着しながらも適度な距離を取る。予定通り五人と一匹での出発だ。
「私は体を癒した後、灼熱宮殿へと向かいます。話をつけるべき方もいるので」
「もしかして、クソ親父か?」
「荒廃する世界の延命に今も動いている数少ない妖怪です。ご息女としての評価は低いでしょうし、私も思うところがありますが、話はしておくべき相手です」
扶桑樹も予定通り見送りだ。紅も残るべきか悩んだようだが、結局、天竺を優先した。
月桂花が詠唱を開始して、扶桑からいよいよ旅立ちだ。
「では、参ります。――赤靴、神隠、失踪、新月、赤い靴を履いていたあの子は何処に――」
月桂花の魔法は便利なもので、大陸横断に一日とかからなかった。流石に一度の行使で目的地とはならなかったものの、休憩を挟みながらの移動で夕方には大陸の西のは端へと到達する。
黄昏世界は基本的に荒廃しており、建造物は石や木で出来た昔ながらのものばかり。
「過去には常時姿を現していたようですが、最近になるまで姿を隠しておりました。こちらが、天竺です。正確にはその下層部ですが」
唯一の例外となった天竺を俺は眺めている。
目的地までまだ数キロ先の遠方より首が痛くなる角度で見上げているというのに、超高層な塔の先が霞んで分からない。
「いや、これは塔というよりも……まさか、軌道エレベーターなのか?」
「そう言ってしまって差し支えはないかと。各地より逃げてきた人間を地表から空へと逃がすための道ですから」
どこまでも高く続いた一本の白く長い塔は、まるで地獄の底へと伸ばされた蜘蛛の糸のようである。おそらく成層圏まで続いてしまっており、雲のない黄昏世界だというのに先を見通せない。
軌道エレベーターは地球では概念だけのものであってまだ実現していない。ロケットよりもエネルギー効率良く宇宙へと物を送り出すための施設であるが、実物はもはや風景であり、ただただ圧倒の一言だ。
「天竺の本拠地は空の上です」
「だとすれば、地表にたむろしているアイツ等は?」
「つい最近、攻め込んできた妖怪の禁軍ですわ」
俺が扶桑へ流されている間に天竺も大変な事になっていたらしい。
軌道エレベーター内部にまで妖怪の軍隊に侵入されて、今も占領が続いている。
“此方の足元を、我が物顔で……”
聞き覚えのない声が月桂花の付近より聞こえたような。
軌道エレベーターに乗るには妖怪共が邪魔になる。隠れて進むにも、こちらには隠密行動のできないメンバーがいる。
「逆に言えば戦力はある。蹴散らすか」