15-7 村娘
部屋に入ってきた人物は……クゥだった。金眼が猫のように光ってみえたので間違いない。
「クゥか?」
「あ、起きていた」
意外という気持ちと順当という気持ちが介在する。行方不明の生死不明となっていたクゥなので積もる話があるはずだ。俺だけに個人的に話したい事もあって然るべき。
とはいえ、それは黒曜にも月桂花にも言える。二人とも当分、一対一で会話できていない。黒曜とは告白を受け入れた直後の単身赴任――扶桑への島流し――だったし、月桂花とはウィズ・アニッシュ・ワールド以来の再会だ。
そんな高親密度の二人を差し置いてクゥが先発。意外に感じてしまうのは仕方がない。
クゥとは黄昏世界で長く付き添った旅の仲間なので親しい間柄なのは確かなのだが、それはあくまで仲間としてだ。彼女の性格は黄昏世界らしく乾燥している。妖怪の都では同室に泊っていたのに、同じ牛舎で寝泊まりしている牛とアライグマくらいに何もなかった。
「ちょっと話があるけど、時間ある?」
「茶は出せないが、温い水なら出そう」
木製コップを二つ用意して出迎える。コップを置いた机も木製。素朴な丸太椅子もやはり木製。すべて扶桑樹が身を削って即席したハンドメイドであるため荒い。植生に乏しい黄昏世界においては木製は高級品に相当するが。いや、地球でも高級品なのは変わらないか。
二人っきりの時間をワザワザ選び、他の女が訪ねてきそうな男の所にやってきたクゥの話とはいったい何だろう。
「……なんかクサい」
「最初の言葉がそれか。ここの民泊、シャワーがないから仕方がないだろ」
男の部屋なので体臭に関しては諦めてくれ。扶桑では手荒な歓迎会の連日で、体を拭く余裕もなかった所為でもある。
「私の所為だった。私の所為だった。私の、所為だった!」
「扶桑樹。てめぇ、正気になったのにいきなり精神不安定になるなよ。怖えぇだろ」
デオドラントスプレーを優太郎に注文するとして、温い水を飲んでいるクゥの二言目を待つ。
「黄昏世界が燃えて滅びるって話は、本当なのよね」
「俺の故郷にも太陽があって、真空宇宙でどうやって燃えているのか科学で解き明かされている。同時に、太陽がエネルギー不足になった未来の姿も予想されている。クゥにもファイルを見せておこう」
『暗器』解放で優太郎ファイルを取り出す。手にファイルの重さが加わった瞬間に思ったのだが、優太郎ファイルのどこが武器なのだろう。ファイルを閉じたままチョップの代わりに用いる事ができるからか。いやいや、流石にそれはない。
「……ああ、これを挟んでおいたからか」
扶桑樹になぶられ過ぎた脳みそがすっかり忘れていた。
「『傲慢離職、山月の詩』とかいう宝貝の入った木簡か」
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“宝貝『傲慢離職、山月の詩』。
自らの怠惰、傲慢によって職を辞め、詩人を目指した者の末路が書いた詩。最終的に詩人は虎となり姿を消した。
詩人の人生を追体験させる詩であり、この詩を目にした人間は最も上位の職業を一つ離職する事になる”
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忘れていたので妖怪共に奪われたと勘違いしていた。虎人なるウェアタイガー妖怪が持っていた宝貝の木簡を展開し、ファイリングする事により『暗器』で隠せるようにしたのである。その所為で厚みが出て攻撃力が増した、というのが『暗器』で隠せるようになった真相だったらどうしよう。
「まだ、持っていたのそれ?」
「クゥにとっては良くない思い出だろうが」
「私の壁村の名簿って偽られて宝貝を読まされた、って話だったっけ。でも、本物の名簿も含まれているみたい。ここにあるのはお母さんの名前」
無用心に木簡の文字を読んでしまうクゥ。村娘を離職してしまったらどうするつもりだったのか。職業NEETにでもなるのか。
本物の名簿も混ぜていたとは虎人の用心深さを今になって知る。税収を行っていた虎人なので名簿の中身も正確らしく、クゥの父親の名前も記載されていた。
「クゥの名前は?」
「うーん、ない。両親が徒人税でいなくなる前の年の名簿っぽいから古い? 次の頁に載っているかも」
「無用心に開くなっ」
クゥの名前の文字を書いてもらう。黄昏世界文字は画数が多くて難読であるが、クゥの名前は比較的、分かり易いものであった。似た漢字を挙げるなら“空”になるだろう。
話が逸れてしまったので軌道修正して、太陽の膨張についてのレポートページを開いた。図解ありなので異世界人のクゥでも何となく分かるだろう。
「――恒星は核融合によって燃焼しており、爆発膨張しようとする力が常に働いているが重力と釣り合う事で大きさを維持している」
ふと、クゥが黄昏世界人らしからぬ科学を語り始める。
「けれども、長期の核融合によって水素はヘリウムに変化、恒星中心部分の水素減少によって核融合は表層に移動して、重力と爆発膨張の均衡が崩壊。結果、恒星は巨大化していく」
「んっ。まさか、クゥ、読めるのか??」
「恒星は惑星系に広がりながらもヘリウムを燃料に核融合を続けるが、ヘリウムもその内枯渇する。その後も炭素、酸素を燃料に燃え続けるものの、物質的な安定性の高い鉄まで進行するとついに核融合が停止する。そうなると今度は膨張力よりも重力が勝って恒星は急激に収縮。中心部分に物質が集まった反動で超新星爆発を引き起こす……」
一心不乱に恒星の終焉を読み漁るクゥ。食らいつくみたいに顔を近付け、瞬きもしないで必死に読んでいる。俺の声も届いていない様子だ。
「恒星の質量によっては超新星爆発後のシナリオは異なる。比較的質量の小さな恒星であれば、長い時間をかけてゆっくりと冷えていき、輝きを失った黒い星、黒色矮星と呼ばれる死んだ星になってしまう……あっ」
レポートを読み終えたと思えば、クゥは巾着袋を開いた。中にある黒八卦炉の宝玉が反応して黒い炎を少し吹く。
「――ああ、なんて、私達は報われない。どうして……死ぬなら孤独に死ねないの。どうして、燃やし尽くした果てに孤独になってしまうの?」
俺に聞こえないように小さな声で何かを呟いたクゥは、久しぶりに俺の方を見ていきなり訊ねてくる。
「御影君は自分の故郷に戻りたい?」
「隠さずに本音を語れば、今すぐにでも帰りたい」
「だよね。……当たり前か」
クゥだから嘘をつかず、『擬態(妖)』なども使わず弱音みたいな本音を吐露した。虚勢を張る必要がない間柄だからこそであり、皐月や黒曜が相手だとむしろ言い出し辛かったと思う。
「……うん、分かった。――きっと叶うと思うから、今は眠って」
クゥの巾着袋の中で黒い炎が大きくなったかと思った瞬間には、もう俺は意識を手放してしまっていた。
「――ハァ、ハァ。美味しい、御影君の汗が、ハァ、ハァ」
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“ステータス詳細
●陽:34 → 33”
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「美味しい。とっても美味しい。臭くて美味しい。我慢なんてできない、酷く苦しい。食べてしまいたい。汗を舐めるだけなんて、こんなの生殺しっ。体液すべてを、吸い尽くして。骨までしゃぶって……ッ。駄目!」
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“ステータス詳細
●陽:33 → 29”
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「噛み付いてゴメン。跡が残っていたらバレちゃう。汗だけにしておくから、今だけにしておくから。欲しい。寿命が欲しい! 超新星爆発なんて嫌だ。もっと生き延びたい。照らしたい。世界を育みたい! 食べたい。食べたい食べたい食べたい食べたいッ。食べた……ッ! それはッ、嫌だ!」
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“ステータス詳細
●陽:29 → 19”
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「いつまで私は、私で、いられるかな。御影君に、いつ、嫌われちゃうのかな??」
暗闇の中。妖しげに金色の眼が光る。
「――なんにしても、御母様。母様を始末しないと」
漫画原作者となったので何とは言いませんが自重しました。