15-6 天竺は徒人が唯一助かる救済の土
虚構の満月が浮かぶ夜ではなく、黄昏世界の本物の明るい夜がやってきた。地平の眩い夜は星々の光を遮ってしまうため豊かさに欠けている。
「もしかして、以前よりも明るい?」
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“●カウントダウン:残り二十日……、五か月……、四秒……、七日”
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「限界かもしれないな。太陽の膨張が加速している。『カウントダウン』の変動は太陽の脈動と同期していそうだ」
今夜の宿泊地は折れた扶桑樹の根元である。扶桑樹の幹に穴を開けた洞穴的な寝床しかない民泊施設でしかないものの、屋根があるだけでもかなりマシだろう。個室が用意されているのも好感触だ。
戦闘の後なので早めに就寝したい欲求は強い。が、悠長に眠っていられる余裕はない。
根を遠ざけた更地に、円となって仲間達が並ぶ。
俺の左右には黒曜と月桂花が座り、更に隣に紅と扶桑樹が座る。クゥは正面にいて馬を背もたれにしていた。
クゥの奴、若干、よそよそしい位置であるが、黒曜と月桂花にベッタリとされている俺が敬遠されてしまったのだろう。
「混世魔王、石油は俺と同じ『正体不明(?)』スキル持ちである可能性が高い。石油の起源は推測されていても特定はされていないから条件は揃っている」
石油の起源には大きく分けて二説が存在する。
生物の死骸が長い時間をかけて地中で石油に変化した、という説が有機起源説。化石燃料と呼ばれている所以でもある。
過去の教科書では恐竜のような動物の死骸が石油になったと書かれていた事もあるが、現代ではプランクトンや藻のような微小生物が由来という考えが一般的だ。実際のところは分からないが。
もう一つの説は、惑星内部の炭化水素がゆっくりと変化しながら地表に染み出したものが石油、という無機起源説。土星の衛星、タイタンにも炭化水素の存在が確認されており、生物のいない星にも石油の素があるのならば、地球の石油にも同じ事が言えるかもしれない。
「結局、どっちなのよ?」
「今は有機起源説が有望視されているが、常識や定説なんて時代によってコロコロ変わるからな。その昔、刃物による傷を治すには薬を傷にではなく、傷を作った刃物に塗るのが正しい、なんて言われていた事もあるんだぞ」
「御影君の世界って、頭良いのか悪いのか分からないわね」
石油も都合良く有機起源説を持ち出して、自らを生物の呪詛の集合体として動いていた。
総量一兆バレルの怨念である。俺なんかよりも石油の方が悪霊魔王としての素質は高いだろう。戦うとなれば無数の悪霊と対峙しなければならなくなる。
そして、仮にどうにか物量を突破して本体に手が届いたとしても、最後に不条理な二択を強いてくるのだ。
石油は有機起源なのか、無機起源なのか。
確信がなければ否定される。
確信を持っていたとしても正解できなければ滅ぼせない。
「率直に言って戦うべき相手ではない。戦って時間を浪費できない。御母様の寿命だ」
「太陽が消えてなくなって、今のような夜が続くんだ」
クゥの落胆声を聞いてしまったので、一度、全員の顔を見渡す。
世界の滅びについては周知の事実であるが、滅び方まで知っている人物は少ない。永遠の夜が訪れ、緩やかに滅びると安易に考えている節がクゥの落胆には含まれていた。
ここにいるメンバーで真実を知る者は、先に優太郎ファイルを開示した扶桑樹だけだ。黒曜と月桂花は現地人ではないので問題ないだろうが、クゥと紅の二人に話すべきか悩む。
「私に話していない事があるなら言っていいからね。むしろ、言って欲しい」
クゥの金眼が真っ直ぐ俺の仮面を見据えてくる。
言い淀む必要はない。こんなに旅をして、色んな場所を巡って、危険な目にも沢山あったというのに、今更、隠すなんて水臭い。そんな信頼感ある感情が伝わってきた。
「太陽の化身、御母様の寿命と共に太陽は何倍も膨張する。黄昏世界全土を炎に巻き込んで、すべてが燃え尽きる。それがこの世界の終焉だ」
「……そっか。皆、燃え死ぬんだ」
「そんなに驚いていないな、クゥ」
「年々、暑くなっていたからね。そういった結末もあるのかなって。徒人にとって死は身近だし。そんなに驚いていない」
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▼クゥ
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“ステータス詳細
●陽:37 → 36”
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見かけ上、クゥは落ち着いていた。紅の方が驚いていたくらいだろう。
「マ、マジなのかよ。全員、燃えるのか? 本当か?! オヤジもお袋も、皆か」
「真実だ。仮に御母様を倒したとしても、太陽の膨張は止まらない。黄昏世界の滅びはもう回避できない。逃げ場さえも……」
俺も黄昏世界と一蓮托生の状況だ。他人事ではない。
黒曜や月桂花といった大事な人もいる。こちらで見知ったクゥや紅も死んで欲しくはないというのに、救うにはすべてが遅い。
もしかすれば黒八卦炉の宝玉を用いれば地球への転送も……いや、御母様が逃がしはしないか。
「御影様。最終手段にはなりますが、太陽膨張より逃れる手段が一つだけ。天竺です。天竺には脱出手段が準備されていますわ」
何もない俺に代わって月桂花が発言してくれた。
「天竺は徒人が唯一助かる救済の土。熱病に犯された世界が燃え出すまでに辿り着いたならば、世界を抜け出せる。この話は真実です。実際に現地を訪れて確認しております」
「桂さん、天竺には異世界への脱出手段があるのですか?」
「いいえ、世界間の移動は管理神が封じているためできませんわ。そうでなくても、本来、世界間移動は難しいものです。私達は特殊過ぎます」
ウィズ・アニッシュ・ワールドが蟲星に襲撃を受けた際に実行を検討していたものの、異世界に避難するという考えは異世界転移が可能な俺達ならではのアイディアだ。実行するには受け入れ先の世界の協力も必要であり、本来は机上にも上がらない空論である。
御母様に挑んだものの少数派でしかなかった天竺に用意できた手段は、もっと現実的なものだ。
「天竺が用意したのは、箱舟ですわ。惑星を脱出するための宇宙船、と表現するのが御影様にとっては理解し易いものかと」
妖怪世界に宇宙船とはチグハグで思い至らなかった。惑星環境悪化で地球脱出というのはSFの定番なれど、黄昏世界でそうきたか。
正直に言って落胆した。地球に戻れない、故郷に戻れない、大学に籍はまだ残っているのか、と様々な不安が脳裏をよぎったからだ。優太郎は俺の家の家賃を振り込んでいてくれるだろうか。
とはいえ、実現できるのであれば現実感のある対策だ。
太陽の膨張から逃れるために惑星を捨てて逃げる。見えていない困難は多いだろうが、とりあえず生き残る事は可能だ。
異世界転移を妨害している御母様が消えてからなら地球に帰還できるかもしれない。そんな希望も少なからず存在する。
「……生き残れるのは天竺に到達できた人だけ」
各地の壁村に住む人間は絶滅するだろう。
妖怪も息絶えるだろう。多くは自業自得だが、紅のような例が少数存在する事を忘れてはならない。
満足には程遠い結末であるが、今は天竺に頼る他ない。明日には扶桑を旅立ち、月桂花の案内で向かう予定だ。
扶桑樹は一人残る。体が折れているためというのもあるが、彼女に脱出の意思はないというのが最大の理由だ。
そのため天竺には俺、クゥ、黒曜、月桂花、紅の五人と玉龍の一頭で移動する。大陸を跨いでの大移動になるため今夜はじっくりと眠ろう。
「――まだ、起きている?」
おや、誰か来たようだ。誰だろう、こんな深夜に。