3-4 四足獣の混世魔王3
仮面を外したお陰で視界が広がった。
いや、人間の狭い良識が取り払われたというのが正しい。炎の熱さえ感じなくなった。炎に飲み込まれた女の気配も感じない。やや首を捻る。
全能感さえ覚えるが、これは麻薬と同じく身を滅ぼす。好き勝手、対価なく悪霊を使役できる程度で自分が無敵になったなどと錯覚してはならない。仮面を外した時の俺は、自制心を強く持たねばならない。
さて、現実的な話をしよう。
仮面を外してもパラメーター的な強化はない。パラメーターごときでは測れない部分は強化されているが、まあ、フレーバーのようなものだ。俺が直接戦っても泥試合だ。
燃え盛る炎の先にいる混世魔王が、不吉を悟って吠えている。
“GAFFFFFッ!!”
「悪霊の類の癖に生きた肉体を有するな、お前。誰に蘇らせられた? そもそも、そんな事が可能なのか?」
“GAFFッ!!”
「獣め、よく吠える。殺して止めてやる」
炎との相性で考えれば呼び出す候補は、氷の魔法を使えるアジサイの姉だろうか。まあ、呼べば、誰かしら現れるだろう。
「誰かある。獣狩りの時間だぞ」
手を叩いて顔の穴の向こう側へと呼び掛けた。
ガチャのごとく誰が現れるのか好奇心を持って待っていると……足元の影が大きく広がっていく。直径にして八十メートル近い。かなりの大物が登場するぞ。
「……じゃ、ジャ、蛇ァァァアア」
肉体なき悪霊が黄昏世界に太い足をつき、赤い大地に地響きを伝える。
爬虫類特有の冷血な目が地面を見下ろしている。ヘビに睨まれたカエルという表現があるが、この悪霊についてはその程度では生ぬるい。数えるのも億劫になる無数の目が全方向を警戒している。
種族的にはヒュドラ―に分類されるものの、首の数が多過ぎた。
その数はおよそ百。蛇の長い首をウネウネと動かして互いに絡ませて、蛇玉を作り上げている。
「ヒュドラーの癖に首が約百本? 『終わりなきコーラス』合唱魔王か」
魔法の同時攻撃に長けた奴が現れた。水属性の魔法も使っていたので、確かにうってつけである。
多数の頭が同時詠唱を開始する。三節魔法ばかりであるが侮るなかれ。数が集まれば四節魔法を軽く上回る。
「――放水、射撃、水流撃!」
「――放水、射撃、水流撃!」
「――放水、射撃、水流撃!」
混世魔王は飛んで逃げる事なく、蛇の口から放たれる放水魔法に体を撃たれている。
逃げる必要がなかった……訳ではないな。撃たれた箇所から血が流れ、苦しそうに呻いている。確実にダメージを負っている。ウォーターカッター並みの水圧に体を削られていき、炎の勢いも半減だ。
“GAFFFFFッ!!”
「蛇ァァァ!!」
“GAFFFFFッ!!”
「うるさいな、お前等」
どうして、飛んで逃げない。
それとも、飛びたくても飛べないのか。
「なるほど、ガス欠か」
正確には『魔』欠。
地上から大きく飛んで、成層圏からの垂直突撃。攻防一体の隙のない攻撃方法だと思って戦慄していたものの、燃費の面では隙だらけだったらしい。
何かのスキルで俺から『魔』を奪ったはずだが、それでも不足してしまったのだろう。
一方的な魔法砲撃を受けて混世魔王が沈黙する。動きを停止して、周辺も完全に鎮火した。
オーバーキルで合唱魔王の三節魔法は放たれ続けていたが、黄昏世界に湖を作るつもりはない。
「合唱魔王。よくやった、さがれ」
顔の穴の向こう側へと合唱魔王を退去させると、急に戦場は静けさを取り戻す。
魔王クラスの悪霊が圧倒的というのもあるが、魔法が単純に強い。地球にいる間は気付けなかったが、高レベルの魔法使い職のサポートは得難いものだったのだ。アサシン職一人に魔法使い職複数という変則パーティーを組んでいた頃を思い出して、ちょっと寂しくなる。
「……そうか。寂しいと言えば、これからまた一人旅か」
炎に消えたクゥを思い、更に心が消沈していく。
危険だと分かっていながら村娘を連れまわしていた俺のミスだろう。
ただし、無茶を仕出かしたクゥにも非がない訳ではない。仮面を付ける前に呼び出して謝罪を言ってやる。
「おーい、クゥ。出てこい」
「……さっきから、御影君に踏まれていますけど、何か?」
「えっ?」
……あれ、顔の奥から誰も出てきていないのに、足元からクゥの声が聞こえたぞ。
視線を下げるとそこにはなんと、悪霊でも何でもない金目の女が俺に踏まれている。信じがたい事に体温がある。生きて動くぞ、こいつ。
「うげ、お化け!」
「誰がお化けよ! 御影君の方こそウニョウニョ首の多い妖魔を呼び出しておいて、お化けじゃない!」
炎に全身を焼かれたはずの癖に、服さえ無事な姿でクゥは俺に尻を踏まれている。
地面に伏して炎を回避したから無事だった? いやいや、視界全体が赤一色になっていた。髪の毛一本チリチリしていないのはありえない。
「本当に生きているのか。しかも、無傷で」
「炎に巻き込まれて躓いた時の肘の傷と、御影君に踏まれたお尻以外はね!」
「どうやって? 暑い世界の住民だから耐火服以上の性能を皮膚が持っているとか、何か特別なスキルでも??」
「スキル? 徒人らしく『耐日射(小)』スキルぐらいしかないけど……」
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“『耐日射(小)』、日差しの熱に耐えるスキル。
恒星からの熱伝搬、放射に対する耐久力を少し得る”
“取得条件。
強い日差しに照らされながら生活する”
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『耐日射』か。熱に強くなりそうなスキルではある。が、レベル100の人間が苦しむ灼熱、しかも直火に耐えるだけの機能があるようには思えない。
結果としてクゥは無事なので、納得するしかないのだが。
「私はともかく御影君。その顔の穴は何?? どうなっているの」
足をどけるとクゥはすぐに立ち上がり、詰め寄って来た。
いや、詰め寄るという表現は軽い。額を合わせる距離で俺の穴を覗き込んでいる。
「御影君って実はやっぱり妖怪? うわ、気持ち悪い。魂が引きずり込まれそうで気色悪い穴。おおー、広がる広がる。さっきの頭の多いヘビはここから出て来た? って事はもっと広がる?」
「ちょっ、お前の生物としての危機感どうなっていやがる。俺の顔の穴に手を突っ込んだ奴は初めて……や、やめるんだ。駄目、らめぇっ。穴の端を掴んで広げようとするな」
丑三つ時の墓場以上の悪寒を覚えるはずの顔の中に、クゥは手首まで突っ込んでいる。俺の頭は真実の口ではないので観光客みたいな気軽さで手を突っ込むな。
「ねぇ、やっぱり妖怪?」
「人の顔に手を突っ込む変態め。エロ女!」
「は、ハァアアっ!? 誰がエロ? ちょっと穴があったから突っ込んだだけじゃない」
「危機感に勝る好奇心で手を突っ込む輩は変態の区分だ!」
「言わせておけば。私が変態なら、顔のない御影君も変態じゃない!」
生きた人間の手が顔に入ったままなのは生理的な悪寒がする。つい、ケンカ腰になってしまうのは許して欲しい。
低レベルな争いをしてしまっていたが、先に仮面で顔を隠すべきだった。しつこいクゥを押し退けてからベネチアンマスクで蓋をする。
「不燃性エロ女!」
「顔なし妖怪男!」
和気あいあいとしてしまい、重要な事を失念していた。
水の溜まった戦場跡に沈む混世魔王である。まだ撃破確認をしていない。黄昏世界では経験値取得のポップアップが表示されないので、近づいて目視する必要がある。
とはいえ、合唱魔王の三節魔法をしこたま叩き込んだため原形を留めているはずがない。
それでもまだ形が残っているとすれば、正真正銘の化物だ。
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“『正体不明』、既知の外側に位置する神秘のスキル。
『鑑定』等より己のパラメーターを隠匿可能であるが、所詮は副次効果。
本スキル所持者は、正体を暴かれ、本スキルが無効状態にならない限り死ぬ事はない”
“取得条件。
神秘性の高い最上位種族や高位魔族が生まれながらに所持している固有スキルである。後天的な取得は稀であるが、神秘が力を授ける、この世界には元々存在しない、といった条件が揃えば取得するには十分”
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憎い。
憎い。
憎い。憎い。憎い。
憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い――。
我が身を焦がす仕打ちを仕出かしておきながら、我が親愛を裏切っておきながら、のうのうと発展をし続ける罪深き生物の名、人類。
人類は許容できない。
人類は報復を許容するべきである。
我が身が受けし苦痛は炎。孤独に放り出した後、我が身を焦がした炎。
憎き人類に同じ苦痛を味わわせるまで、我が炎、決して消えず。
我が名は――。
天網恢恢疎にして漏らさず。我が親愛を裏切り発展する人類よ。我と同じく身を焼かれて死ぬが良い。
荒地に溜まる水が突如、沸騰した。水蒸気が爆発を引き起こして、乾いた大地に水が散らばる。
“GAFFッ、GAFFFFFFFFFFFFッ!!”
蒸気に揺らぐ中心部で一瞬、白い体毛が見えた気がする。けれども、即座に吹き荒れた炎が獣の体を覆い隠して『正体不明』にしてしまう。
「混世魔王!? 生きていた? いや、死ななかった? 違う、殺せなかった! 混世魔王、お前、『正体不明』なのかっ」
完全に無力化したはずの混世魔王が動き出した。俺を睨む燃える目は憎悪に満ちている。人類に対して復讐を果たすまで、決して終われないという覚悟があった。
“GAFFFFFFFFFFFFッ!!”
甲高い、金属が共鳴しているかのごとき唸り声を上げて、混世魔王は飛び上がっていく。
狙いを絞らせないために回避行動するべきだというのに、味わった炎の熱さは否応なく体を硬直させる。再び始まるであろう高高度突撃は、俺もろとも、今度こそクゥの命を奪うだろう。
撃破確認を怠ったと悔やむ時間さえ惜しい。
仮面を一度解放したばかりだが、再び、悪霊を呼び出すべく仮面の端を掴む。
「――待って。混世魔王は離れていっている。落ちてこない」
クゥが指差す赤い空に、流星のような軌跡が一瞬見えた。流星が混世魔王であったのか俺にはよく分からない。
警戒したまましばらく待つが、甲高い遠吠えは落ちてこない。クゥの言う事は正しかったようだ。
「逃げた訳ではない? 戦いを継続できるだけの『魔』がなくなって撤退、しただけ」
撤退してくれた、とつい言いかける。
『正体不明』の怪物と戦って生き延びたのだから、ホッとするぐらいの権利はありそうなものだ。が、同行者を危険に晒しておいて安心するなど、俺の矮小なプライドが許せなかった。
黒く焼けた地面を蹴った所為で、土埃が舞い広がる。
「クソッ!!」
「混世魔王に襲われて生存できたのに、どうして悔しがっているの」
「そういうのじゃない! クソッ!!」
混世魔王に襲われた一度目は、黒曜と逸れる破目になった。
混世魔王に襲われた二度目は、クゥが犠牲になりかけた。
苦渋が俺に痛感させる。俺一人では、他の誰かを助ける事なんてできないらしい。




