14-8 救世主職、后羿
クゥがふざけた真似をしてくれた所為で扶桑樹の枝に襲撃を受けた。枝といっても葉っぱのない枯れ枝のため、見た目だけでは根と見分けがつかない。
「はいよー、玉龍!」
クゥが指示を出した直後、俺達が跨るフライング白馬が動き始めた。俺と黒曜、乗って来たクゥ、更には尻尾を掴んで脱出した紅の重量まで加算されているというのに機敏に動いて枝を回避している。
ばんえい競馬の馬並みの体格とはいえ、四人も乗せているとは思えない動きだ。というか、少しは俺達に配慮しろ。振り落とされそうになっただろ。
「というか、このウマは何だ??」
「拾った。名前は玉龍」
拾ったって。猫の子を拾ってくるみたいに言われても。
飛行している時点でただの馬ではないのは確定である。日本で発見されたなら本当のUMAだ、馬じゃない、って騒がれる珍生物である。というか、どうやって浮遊しているのか。未知の粒子を蹄から下に放出して浮いているのだろうか。
「あっちのカツラって徒人、どうやって空を歩いているの?」
「あーあー、聞こえない」
黄昏世界に生息している野生動物の多くは妖魔なので、この玉龍なる馬も妖魔の一種なのだろうか。その割には人間のクゥの言う事をよく聞いている。妖魔は基本的に人慣れしないはずだ。
正体を探りたいのに今忙しい。このウマ、よく枝を避けているが、扶桑樹の接近と共に攻撃頻度が急上昇中だ。
「攻撃が激しい。やっぱり仮面を外すぞ。地球には、目には目を歯には歯を、化物には化物を、っていう有難い言葉があるんだ」
「野蛮な世界の格言なんて知らないから!」
「妖怪変化に支配された黄昏世界の住民に言われたくねぇ!」
言い合っている状況ではないものの、どうにもクゥに禁止されてしまうと抗いたくなくなってしまう。そういった声質をクゥは有する。親身でありつつ深い切実さが込められている。
縛りプレイをしながら戦える相手ではないというのに、仮面を外すのに慣れ過ぎた結末を思うと手を止めてしまう。
「小娘に賛同するつもりはないが、ぱぱには討伐不能王を討伐した実績がある。仮面有りでも扶桑樹ごとき余裕だ」
黒曜よ。持ち上げてくれるのはありがたいが、主様は決して実力で倒した訳ではないので。フィジカルではどうやっても届かない怪物の唯一の弱点がメンタルだった。俺の勝因なんてその程度のものである。
「后羿ッ!! 娘達を笑いながら惨殺した男。決して許すものか、后羿ッ!!」
同じ男の名前ばかりヒステリックにハウリングさせている扶桑樹も、決してメンタルが強そうな訳ではなさそうだが。
つけ入る隙があるとすれば、后羿なる人物か。
ちなみに、俺は詳しく知らない人物である。ここにいる人の中で知っている人がいれば詳細を教えてくれ。
「后羿こそが、御母様の十姉妹を誤って全員殺害してしまった救世主職だ」
紅が知っていた。以前に十姉妹について教えてくれたのも彼女である。粗暴に『擬態』しただけのいい所のご令嬢なので知識量は多い。
「十姉妹については覚えているな?」
「大前提だからな」
黄昏世界は何千年前の事件によって滅びが決定している。現在は滅びの過程にあるだけでしかなく、閉幕の幕が落ち切る途中に過ぎない。
根本的な原因は太陽神たる御母様の実子、十姉妹だ。次代の太陽神の仕事の一つ、世界を照らす大事な役目を子供らしく煩わしく思った結果、あろう事か一柱ずつ空を飛ばねばならない決まりを破り、十柱全員で飛んでしまったのだ。
十の太陽、十倍の陽光に照らされた世界は簡単に干上がった。海は蒸発。生物の大量絶滅も発生。
事態を重く見た神や仙人、そして創造神は一人の救世主職を援助して世界救済を託した。
「その救世主職の名が后羿だ。黄昏世界で救世主職が忌み嫌われる切っ掛けとなった男でもある」
「ここ大一番で失敗したのも最悪だが、世界滅亡のすべてを救世主職の所為にする責任転嫁こそが最悪だ。救世主職は妖怪共のサンドバッグではないぞ」
「……御影には言っていなかったがな、后羿には疑惑がある」
救世主職、后羿。
彼は弓を扱う救世主職だった。巧みなる技の持ち主で、座付きの魔王を悉く矢で撃ち貫きSランク救世主職へと駆け上がる。魔王ごとき、彼の技量の前では動く的でしかなかった訳だ。
世界の窮地に現れた、世界の窮地だからこそ現れる、強大な救世主。誰もが后羿に任せておけば世界は救われると期待していたのだが、彼は十姉妹討伐戦で大きな間違いを犯した。
十姉妹は魔王認定された極悪非道の巨悪なれど、太陽系に太陽は必要不可欠。だから、十の内、一は残さなければならない。そういう達成目標のある世界救済だったはずが……后羿は十姉妹すべてを撃ち落としてしまった。
許されない失敗である。
だが、誰にだって失敗はある。機械も遺伝子も神さえも失敗する。失敗そのものを批判しても詮無き事だ。
「大陸間の長距離狙撃でノミの額の誤差も生じさせない弓の名手に、失敗する理由がないんだよ」
「失敗する理由がないのに失敗した?」
……それが故意の失敗でない限り。
「后羿が意図的に姉妹全員を殺害したのではないか。こう疑う妖怪は多い。矢を射る際に口を裂く程に開いて笑っていたとも言われている」
后羿は大量絶滅の最中に突然現れた謎の救世主職である。活動期間は短く、救世主職として持ち上げられる前は無名の存在だった。
だから后羿の人間性は誰にも分からない。
后羿の見えない顔の奥には、ドス黒い闇が堆積していたのではなかろうか。世界の窮地を引き受けて、最後の最後に全員を裏切る快感にゾクゾクと震え、十姉妹の最後の一柱を屠った瞬間に絶頂したのではないか。
実際はどうだったのか分からないが分かるはずもない。后羿は世界救済に失敗した直後に自決したらしい。
「后羿ッ!! 后羿めぇッ!!」
「少なくとも、扶桑樹は后羿の失敗を故意だと考えていそうだな」
あながち、扶桑樹の行動すべてが八つ当りという訳ではなさそうである。当時を生きていた妖怪が救世主職を悪だと断じているのであれば、もう事実と変わらない。
后羿については紅もこれ以上は知っていなさそうだ。そう簡単に突破口は見つからないか。
どうしたものか。こう悩む俺の手を、ふと、クゥが握ってきていた。妙に冷たい感触である。
「どうした、クゥ?」
「な、何でもないけど……握らせて」
「まさか、扶桑樹が怖いのか?」
俯くクゥは否定するために首を横に振る。俺も今更、そんなしおらしい事を言い出すような女だと思っている訳ではないのだが、では、どうしてクゥは握力を高めているのだろうか。
よく分からないまま手を握り続けるクゥはぼそりと口を開く。
「――扶桑樹って女性が、可哀相だって」
可哀相。
荒れ狂う枝に襲撃されて、必死に逃げている立場の人間の発言らしくない事を言う。
「十姉妹は扶桑樹にとって数千年経過しても忘れられないくらいに大事で欠けてはならない相手だったはずなのに、そうだったはずなのに。結果として今のように別人の御影君に復讐心を向けるだけなんて」
クゥの可哀相はやはり適切ではなかった。
「扶桑樹の立場なら復讐したくなる気持ちも分かるけど、本当の復讐相手もいないのに、その、何だかなって」
クゥの言う可哀相は、同情を主原料としていない。
クゥの言う可哀相は、扶桑樹という女の有り様に向けられたものである。
過酷な環境で育ったためにドライな部分もあるが、その癖に根っこの部分で優しさのあるクゥにしては酷い評価だ。村娘にさえ惨めな女と見下されてしまうとは、これはさすがに扶桑樹を同情したくなる。
「変な事を言っちゃった。扶桑樹も妖怪なのだから何もおかしくない。理性もなく、ただただ迷惑なのは当然よね」
「……何も、おかしく、ない??」
クゥにとっては取り繕うだけの言葉であったが、俺にとっては十分な問題提起となってくれた。
考え直すべきは扶桑樹の行動だ。
扶桑樹が救世主職に復讐心を抱くのは、状況的におかしくない。扶桑樹が最初から妖怪だったのであれば違和感を覚えない。
「紅。扶桑樹は十姉妹とどういう関係だった。前に話してくれただろ。もう一度、教えてくれっ」
「十姉妹の乳母役だ。御母様に代わって、実質的な育児や教育を行っていたのは扶桑樹だ」
「乳母役だった頃から、今のように激情家だったのか? そんな奴が次代の管理神の育児に任命されたのか?」
「そこまでは知らねぇよ。その頃は生まれていねぇし」
「当時の扶桑樹は妖怪だったか?」
けれども、それは今の妖怪と化した扶桑樹だからである。妖怪が自分勝手に八つ当たりしてもまったくおかしくはない。
けれども、数千年前の十姉妹が生きていた頃ならば、違うのではなかろうか。
「違げぇよ。今の上級妖怪共は落ちぶれた成れの果てだが、昔はれっきとした天界に住まう神仏、仙人だ。御母様だってな、黄昏る前はまともだった。扶桑樹も神聖な世界樹だったはずだ」
自らの手で育てていた子供達が道を誤り、魔王として討伐されて、最後には全員帰ってこなかった。あまりにも悲劇的な体験である。扶桑樹の巨体を以てしても耐えられない重荷だ。想像しただけでも心が潰される。
妖怪ではなかった頃の神聖なる世界樹だった頃の扶桑樹が、そんな体験をした時、最初に思ったのは本当に復讐だったのか?
「扶桑樹。お前はもしかして――」
改めて扶桑樹を見上げた。
無限の再生能力を有する樹木の異形。
イバラのごとき刺々しい枝を無数に伸ばした、緑に乏しい枯れ木のごときモンスター。
「――黒曜。ナイフを一本、貸してくれないか」
エルフナイフを受け取った。その後、回避のために飛び回っている馬の背中で危なげなく立ち上がる。
二度目の世界樹討伐を、俺は静かに決心していた。




