14-4 黄昏世界に魔王はいない
いつぶりなのか思い出せないくらいに久しぶりの快眠だった。
「ぁ、眩しい。もう夕方か」
「いえ、朝方ですよ」
「……おぅ、マジか。丸一日も眠っていたのか」
「違う、丸二日だ。寝過ぎにも程がねぇか?」
夕日と朝日を間違えるって笑い話でしか聞いた事がない。いざ、己で体験してしまうと恐怖しか覚えないな。自分の体なのに自分で制御できていないのは金縛り以上のホラーだ。
固まった節々を伸ばす。
続けて欠伸をしている最中に、ふと、気付いた。
周囲数十キロの風景が樹海と化しているではないか。寝る前までは扶桑樹が陣取る方角だけ根で茂っていた。その他の方角は黄昏世界のテンプレート的に荒廃していたはずである。
「余程、貴方達に執着しているようですね。それとも貴方一人ですか? 扶桑樹は損害を度外視して私の領域へと攻め込んでいます。これから日照率が増えて私が不利になる時間帯とはいえ、あまりにも見境なしです」
「扶桑樹にとっては俺の逃亡は早急に自己解決したい事案だろうからな。ヒガンバナ、持つのか?」
「どうでしょう。ここまでの力押しは今までなかったので」
ヒガンバナには迷惑をかけてしまったらしい。巨大な根を何本も毒に枯らされながらも扶桑樹は包囲網を縮めている。
「いえ、これはまたとない好機です。見境なしになって私の結界に踏み込んだのであれば膨大な回復力を有する扶桑樹であっても命にかかわる」
巨大根を枯らしているくらいなのだからヒガンバナの言う事は確かなのだろう。とはいえ、短期的には危機である事に間違いはない。
「ちょっとした変化があればというくらいの気持ちで貴方達を迎え入れましたが、これ程の劇毒となろうとは。御影さんに紅さん、本当はどんな罪を犯して扶桑に飛ばされてきたのです?」
扶桑樹が救世主職の虐待に余念がないだけだが、立場的にはまったく変わらないヒガンバナと比較しても俺に対する当たりと執着が強いのは確かだ。ただの力押しで攻め込んでくるくらいに冷静さを失って俺を追ってきている。
「俺が説明して欲しいくらいなのだが」
「――救世主職ッ!! どこだ、愛しき娘達を奪った救世主職ッ!!」
「錯乱しているようですね。私の毒が回った訳ではないなら、何らかの精神支配を受けているのではないでしょうか」
「扶桑樹が??」
「以前からヒステリックな女でしたが、ここまで考えなしな女ではありませんでした。半世紀も千日手を続けておきながら、今になって攻め込んでくるのは明らかに異常です」
「――救世主職ッ、救世主職ッ、救世主職! お前の所為だ。お前の所為で!!」
扶桑樹ほどの大妖怪が精神支配を受けるものなのか、という驚きはある一方、いつも怒り散らしており精神的には成熟していなかったので納得感もある。世界樹に精神攻撃は特効だ。
「だが、どうやって?」
「妖怪の『斉東野語』スキルであれば可能でしょう?」
「いや、お前も妖怪なんだからカマトトぶってんなって感じに言われても」
『斉東野語』は妖怪の職業スキル。効果は、言葉を絶対に嘘と信じ込ませるものだったか。使える妖怪も限られる所為で出現頻度は低いものの、いざ使用されてしまうと使われた事さえ自分では判断できない悪辣なスキルである。
俺も紅も使えないスキルなので、扶桑樹が暴走した原因は俺達ではない。
では、誰が扶桑樹を暴走させたのか。
「兄ジャ。うまくいったようだぜ」
「そうさな、弟よ。天竺は期待外れで残念至極。されど、それならそれで別の策を弄するまでよ。初手は、邪魔者の一掃よな」
崖際に追い詰めた訳でもないのに、空から二体の妖怪が現れて供述してくれている。
雲に乗った兄弟妖怪だ。高い位置にいて攻撃を警戒している癖に、ワザワザ顔を出している。
「俺の筋斗雲を勝手に使うなッ、金角、銀角!」
紅が雲の正体に気付き、空に向かって怒鳴りつけた。
「牛魔王の娘。良い宝貝であるな。重宝してやっているぞ」
「仮面の救世主職も揃っているようだな。扶桑樹の言いがかりの八つ当たりに難儀していただろう。憐れであったゆえ、少し助言しておいてやった」
金角銀角か。ちょくちょく現れて戦った事もある妖怪だ。不利を悟った途端に撤退されてしまうため下手に強い妖怪より面倒な相手である。
そんな聡い妖怪がワザワザ現れたのであれば明確な理由があるのだろうが、嫌な予感しかないな。
「なに、そう身構える事はない。扶桑樹めにこう正しく伝えておいてやった。『仮面の救世主職は御母様の娘を殺戮した救世主職ではない』と正しくな。怒りをぶつける相手を間違っておろうと」
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“『斉東野語』、信用などあるはずもない怪しげなる存在のスキル。
本スキル所持者の言葉を確実に信じさせない事が可能”
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余計な事を仕出かした金角銀角を睨みつける。こちらに攻撃手段はないというのに、殺気を感じ取った兄弟妖怪は颯爽と飛び去った。
金角の策略にまんまと乗せられた。扶桑樹を暴走させて俺を葬るつもりだ。
「これも一種の暗殺か。最初に遭遇した時に始末しておくべきだった」
「あいつ等、いつの前にAランク妖怪に昇格していた? いや、御影と扶桑樹を争わせる目的は何だ??」
紅と一緒に筋斗雲が残した飛行機雲を眺めている間にも、扶桑樹の進撃は続いている。枯れ落ちた根を進入路として新たな根が突き進み、俺達のいる中央部までかなり接近している。
マズい状況だ。スキルを封じられた俺と、そんな俺を抱えた紅の二人だけでは戦いにならない。ヒガンバナの協力は不可欠だ。
「夜まで猛攻を耐えれば扶桑樹を枯らせられます。それまで、個々の命はそれぞれがお守りいただくという事で」
「ヒガンバナ、いやいやっ。か弱い状態の俺に自衛なんてできないぞ」
「私もか弱い婦女子ですので、では」
ちょっと待て、軽い一声だけを残してヒガンバナは一人跳び去っていってしまったぞ。
置き去りにされてしまった俺と紅の元へと、扶桑樹の巨大根が急速に近づく。
「お前が娘達を殺したッ!! お前は……お前がッ、救世主、后羿だ! 十姉妹の仇を、私が直々に殺してやる!!」
筋斗雲に乗った金角銀角は扶桑を無事に脱出していた。
今回の遠征の真の目的たる黒八卦炉の宝玉も、しっかりと握り締めている。
「やはりあの女、宝玉を隠し持っていたな、兄ジャ」
「綺麗に飾りつけた祭壇に安置しておったな、弟よ」
「使っておらんのならば我等兄弟が使ってやろう」
「これで、我等兄弟に二つずつ。二人でのSランク妖怪昇格も可能となった」
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▼黒八卦炉-壱 所在:クゥ
▼黒八卦炉-弐 所在:扶桑樹 → 金角(強奪)
▼黒八卦炉-参 所在:桃源郷 → 銀角(強奪)
▼黒八卦炉-肆 所在:妖怪の街 → 竜頭魔王(捕食)
▼黒八卦炉-伍 所在:未発見
▼黒八卦炉-陸 所在:妖怪の街 → 白骨夫人自身 → ?
▼黒八卦炉-漆 所在:妖怪の街 → ユウタロウ
▼黒八卦炉-捌 所在:盗難 → 銀角(強奪)
▼黒八卦炉-玖 所在:クゥ
▼黒八卦炉-拾 所在:盗難 → 金角(強奪)
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妖怪としては若い金角銀角の本来の妖怪職のランクはBランクだ。紅とは異なりきちんと徒人を食していたが、胃袋に詰められる量にも限界があるため自力でAランクに昇格するには長い年月を必要としていた。
いや、仮に年月をかけても妖怪はAランク止まりというのが通例である。灼熱宮殿のお歴々を眺めてもAランクが上限だ。牛魔王や扶桑樹ですらAランクのためそう信じられている。
……酷い誤解だった。
仏神からクラスチェンジした落伍者ごときでは妖怪を極められないだけである。生来の妖怪であれば条件次第でSランクも夢ではないが、その前に大半が過酷な黄昏世界で死んでいるだけである。
「条件は揃えた。これで兄弟揃ってのSランク妖怪よ」
黄昏世界が黄昏れてから誕生した生粋の妖怪たる金角銀角であれば、願いを叶える黒八卦炉の宝玉を用いるだけでインスタントにランクアップ可能だろう。
「御母様が身内びいきに十姉妹の汚名を消し去ろうと魔王職を廃した。その結果生じた亜種の職業たる妖怪職。さてはて、一体全体どのような力に目覚めるものか」
「楽しみだな、兄ジャ!」
兄弟は黒い炎に願った。
己を邪悪なる妖怪の頂へと押し上げてもらえないか、と。
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“ステータスが更新されました
ステータス更新詳細
●妖怪(Aランク) → (Sランク)”
●妖怪固有スキル『世界をこの嘘言で支配する』を取得しました”
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